10くち 12
「わ、わかっ」
"わかった"
そう返事をすることさえ彼女は待たず、プツ、とインターホンから音が鳴ると、もうそれ以上、なにかが聞こえてくることは無かった。
空いた口が塞がらない、とはまさにこのことで、呼吸すら一瞬止まってしまった。
「………」
なんだこれは?
翌日もマシューはプリントと教科書の束を持たされ、玄関前に立っていた。
「溜まっていたものが実は半分も渡し切れていなかったなんて…」
昨日の記憶は未だ鮮明にマシューに焼き付き、今日はここに来るのが億劫だった。
人に明確に拒まれるのは生まれて初めてで、バートに対する態度をもう少し改めようとも思ってしまったくらいだ。
今日も茶封筒はポストに入らない。言伝を預かるマシューも、無言でそれを玄関前に立てかけておくわけにいかず、渋々とインターホンを押した。
今日も時間をかけにかけて、「はい」と声がする。
「こんにちは。昨日来た日国です。またプリントなんだけど、ポストに入らないから、玄関前に置けば良…」
「そうしてください」
「わかっ」
わかった、と言おうとすると彼女はインターホンを切ってしまう気がしたので、すぐに「あー!」と今の言葉を遮った。
「えっと、ど、どう、元気?」
そう聞くように担任に言われたのだ。
しかし、こんなことを聞いてどうすると言うのか。
「……」
「あ、げ、元気なわけないか!元気だったら学校来れてるもんな!」
その通りだ。本当にその通りだ。
担任はどうして元気かどうかを聞こうなどと思ったのか。
自分もどうしてこんな聞かずとも分かるようなバカバカしいこと、口にしてから後悔してしまったのか。
反省していると、
「体は元気だよ」
不貞腐れているような声が返ってきた。
会話が続いたことに安心して、マシューはもう少し彼女との会話を試みる。
「気持ちは…落ち込んでる?」
「体は健康なくせして、甘ったれてると思うでしょ」
「思わないっ。心だって健康じゃいられない時がある。今はそういう時なんだろ?」
「……」
「キミは今、療養中なんだよね」
「……」
返事が無くなり心配になってくる。
なにかまずかったのかも。
気に障ることを言ってしまったのかも。
不安になってくるが、自分まで黙り込んでしまってはいけない。
せっかく話せるチャンスを逃してはいけないと、マシューはなんとか言葉を捻り出す。
「あのさ、全部良くなるよ。大丈夫だと思うんだ。今だけだよ、きっと」
慎重になって選んだ言葉のつもりだっだが、しかし、
「帰って!」
つんざくような悲鳴が静まり返ったマンション内に響き渡り、セミの鳴き声に混ざり合って消えた。
驚いて一歩足を引くのと同時に、抱えていた茶封筒を落としてしまい、衝撃で紐の封が切れてプリントが散らばる。
プツ、とインターホンが鳴るのは、彼女が通話を切ったからだ。
マシューは散らばったプリントを踏み越えて、玄関扉に縋りついた。
「ごめん。無責任なことを言った。本当にごめん」
返ってくるのは無言ばかりで、仕方なく足元のプリントを集めて茶封筒に戻すことに取り掛かる。
破れてしまった紐の封は回収して、学校用のカバンの中から、小型のテープを取り出して貼りつけた。
それを玄関扉の真横に立てかけて、マシューは俯いて帰宅した。