10くち 8
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マシューは徒歩で目的地のマンションにたどり着いた。
地上八階建て、鉄筋コンクリート造。南側を向いた太陽を望むバルコニー。白いタイル貼りの清潔感ある外観だ。
マシューは紅茶の赤箱が入ったバッグ以外に、最寄りのスーパーのレジ袋を引っ提げてエントランスホールに入った。
自動ドアの内側に冷暖房は完備されていないものの、日光が遮られるだけで随分マシになる。
手を団扇代わりに自分を煽りながら、オートロック設備のインターホンで、目的の部屋の番号を押し込む。
最後に呼び出しボタンを押すと、相手は物言わずに敷地内に続く自動ドアを開けてくれた。
インターホンのカメラに向かって感謝が伝わるように手を振るが、もしかしたら既に通信は切れているかもしれなかった。
ドアが閉まってしまわない内に早足で敷地内に入った。
エントランスを出て敷地内に入ると庭が広がり、また日光がマシューの頭上から降り注いだ。
眩しさに目をギュッと瞑る。
妙に気取っているようで嫌だけれど、バートからサングラスを借りてくれば良かったかもしれないとほんの少しだけ考えた。
やはり日本人の父の血よりも、ノルウェー系アメリカ人の母の血の方が自分は濃く出ている。
黒曜石の色をした瞳とは、光に対する強さが違う。
瞼の裏に焼き付いた太陽光に目を擦り、日陰のある通路を通って庭を横切り、エレベーターに乗り込んだ。
七階に到着すると、兄妹と思われる少女と少年が駆け込んできて、後から追ってきた母親はマシューに「すみません」と謝ると、次に子供たちに向かって眉を吊り上げた。
「降りる人が先でしょ。道を譲って待つんだったよね」
「ごめんなさい」
「はーい」
まずいことをしてしまった、と顔を見合わせる兄妹。
「構いませんよ」
「お母さんとお出かけ?」と、自分の背後で下唇を口内で噛んで気まずそうにしている兄妹に聞くと、恥ずかしそうな頷きが返ってくる。
「気をつけてね」
手を振って言うと、兄妹も無言で振り返す。
エレベーターのドアを抑えっ放しだった母親に、「すみません」と会釈して七階に踏み出した。
通り過ぎようとすると、「今日もお隣ですか?」と母親が聞いてくるので、「はい」と返す。
「すみません、ご迷惑でしたか?」
「いえ違うんです。お隣さん、明るくて良い子で、うちの子ともよく遊んでくれたのに、最近見なくなっちゃったから。私のところは気にしなくて良いので」
結論を言わないと言うか、ハッキリしたことを言わない母親だったが、なにが言いたいのか分からないわけではなかった。
マシューはまた低く会釈をして、親子を見送った。