人に疲れてきませんか?
貴方はネット上の情報を片っ端から見たりするタイプでしょうか?
そんなやり方をすると疲れるから見たいページしか見ない、というのであれば賢い方ですね。私は何でも見てしまいます。いや、興味のあることを調べるのですが、あえて「苦手だ」と思うような方向に足を突っ込みがちです。
また、ネットでなくても目や耳に入った苦手なタイプの言葉に気をとられがちです。雑誌の広告とか、町中で話している人々の声とか。そしてしょっちゅう疲れています。
人の言葉に疲れると、こちらからも「ああ疲れた」という雰囲気を出すことになります。ある時は意図的に、ある時は無意識に。
だから時々ネット上で人と喧嘩になります。多分こちらの態度が悪かったのでしょう。自分が「疲れた」という状態のまま情報等を発信すると、ちょっとしたトラブルが起こりやすいです。
しかも無意識にその状態でいる場合、なぜ相手から怒られたのか考えてもよく分かりません。今でも「なんであんな事を言われたんだろう」と思うことがたくさんあります。
けどそれはすべて、こちらが疲れた雰囲気を放って相手の方の気力まで奪い、イラッとさせてしまったからだと思います。
そんなわけで人の意見に疲れやすいタイプの方は、可能であれば疲れる情報や疲れている方から距離をとった方がいいと思います。でないとこちらか相手がイライラする羽目になります。
……といった内容のエッセイ(「ネット上で交流を楽しめる人、バテる人」)をこの間投稿しました。その後思い出したことがあります。
私は以前無料チャットやオンラインゲームにいました。疲れ癖があるくせに人恋しくて、そのような場にフラフラと現れる迷惑な存在です。
時折誰かと喧嘩になるものの、中にはすごく優しくアドバイス等をくださる方もいました。
ある時、私はチャットで出会った方と普通に雑談をしていました。
自分は重い話を普通のことだと思って話し続け、相手のテンションを下げて回るのでたちが悪いです。
その時も内容は忘れたのですが「疲れた、疲れた」と言っていたのだと思います。
すると相手の方は「カウンセリングを受けたらどうかな?」と提案してくださりました。私は慌て、「いや、そこまで大したことじゃないんだけど……」と思いましたが、その方は「ちょっと待っていて」と言って、私が住む県にあるカウンセリングを検索してきて教えてくださりました。
結局勇気が出なくてカウンセリングには行っていないのですが……今になって考えると、その方の温かさがとても嬉しかったです。本気で心配してくださっているのが伝わってきて、優しさを感じました。
ご心配をおかけして悪かったとは思いますが、私が触れたかったのは、追い求めていたのは、この「優しさ」でした。
インターネットを見て回ればチクチクとした言葉や人を笑い者にするような話、圧迫感のある無機質な情報と愛のない批判ばかり。
新聞やテレビに目を向ければ明るい話はあるものの、なんだか目を逸らされているようで「これが優しさだ」とは感じられない。
ならばと自分から優しさを発信しようとするも、理由もなく勝手に疲れて出てくるのは愚痴と批判ばかり。
人からの優しさが欲しい、と思っていました。でもそれだけじゃダメなんですね。本当は自分の中に迷いのない信念を持ち、人に優しさを分けられる人間になりたいです。
多分、「ああ疲れた」という雰囲気の人々の中に、私と同じで温かさを求めている方がいますね。でも私程度じゃまだ、応え方が分かりません。だから耳を閉ざし、人の疲れに自分まで飲まれないようにします。
……力不足だから。分かち合おうとしても、一緒になって疲れているようじゃ多分ダメなんです。
でも、いつかは人の疲れまで癒せる人間になりたいです。
貴方には理由のよく分からない孤独感とか悲しみはないですか?
誰かと雑談して盛り上がることはできても、「これだけでは物足りない」と感じたり、溢れる情報を拾い集めつつ「探しているのはコレじゃない」と思ったり、「なんで人間はこんな話ばかりするんだろう」と落ち込んだり。
もしそうなら、貴方の心に響く歌とかお気に入りのアイテムとか、素晴らしい人との出会いがあることを願います。「これだ!」と思えることは、きっと見つかります。明日かもしれないし、今日かもしれません。
世の中には情報が溢れている。発信力はあるのだからその気になればたくさんの優しさで世界を満たすことだってできるはず。なのになんで偏見とか差別とか不安とか、悪意でいっぱいなんだろう? って時々思いますよね~。
人に優しさを求めるのは間違っているのかもしれない。人に求めているうちはダメかもしれない。でもまず自分が優しいものにたくさん触れないと、優しさの表現方法が分からないと思うんです。
だから探します。そして余計なお世話かもしれませんが、貴方にも最大の癒しが訪れることを望みます。
戦争はダメ、イジメはダメ、差別はダメ。そんな考え方や言葉は昔からあるのに、なぜ浸透しないのか?
じわじわ改善されているとは思いますが、もっと人間の世界を楽園にできていてもおかしくないと思うんです。というか楽園になっていないことがおかしいです。
ダメダメ言っていてもダメってことです。ダメって言われて悪意がなくなるくらいならとっくの昔になくなっています。
弱い心に寄り添ってくれる、もっと強力な何かが必要なのです。
人の弱さに振り回されてしまう、弱い心じゃなくて。脅すための最強の武器でもなくて。
もっと包み込まれるような温かさを欲していると思うんです。
悪意を発する人には、弱みがあります。それを責めて追い詰めようとしたってさほど効果はありません。
偽りの中途半端な温かさではなく、強い本当の愛が必要だと感じます。
ってそれができないから困っているんですよね~。
とりあえず、夜空を仰いで両手を掲げてみましょうか。……お手上げというやつです。