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【ダイジェスト版】あの日出会った君との思い出は、夢まぼろしだったのだろうか

作者: 志賀輝希

◆あらすじ◆

 統一暦××××年、レオリア帝国は全世界に宣戦布告した。

 理由は、時代に逆行するような白色人種優良主義に基づく黄色人種と黒色人種の絶滅または奴隷化。

 それに対して、黄色人種と黒色人種、さらに白色人種の国の半分が連合を作りレオリア帝国と交戦する。

 連合軍の秘密兵器、『フリズスキャルヴ』のメンテナンス要因であるネオは、戦場跡地で美しい少女の生存兵を発見する。

 彼女に一目惚れしたネオは、彼女……シルを守ろうと翻弄するが……


 その日は、最悪だった。

 少年は、ムカついた気持ちで基地の外へ出る。


 「くっそ!」


 地面に落ちていた石を思い切り蹴り飛ばす。

 なんとなくその石を目で追ってしまって……少年は戦場を見る。いや、その跡地を、だろうか。


 100メートルほど基地からは離れているが、その血の匂いは消えない。


 遠距離狙撃による脳や心臓への攻撃による一撃死が不可能となった今、死ぬ時は体の各所を貫かれて悶え苦しみながら死ぬのがほとんどだ。だから、血溜まりが出来上がる。必要以上に血が体外に出てしまう。


 沸騰していた頭が、そんな死の光景を見て冷却されてしまった。


 少年はまだ、戦闘には参加していない。たぶん参加することはないだろう。


 それでも、いやだからこそ、少年はそれをきちんと見るべきだと思った。自分は戦場に出ないからこそ、ここから目を背けるべきではないと、そう思ったのだ。


 だからこそ、気づけたのだろうか。


 「……っ!?」


 何かが動いた気がして、少年はもう一度戦場跡地にピントを合わせ直す。

 戦場全体を視野に入れるようにして、全体的に目を凝らす。


 「見間違いだったかな……?」


 少年の視野の中で、戦場が観察されて行く。少しの動きも見逃さないように、集中力が一点ではなく全体に散らばって、でもきちんと持続している状態が保たれる。


 そして。


 「見つけたっ!!」


 少年は、ゆらりと動く生存者の姿を発見した。

 少年は今持っている装備を確認する。


 腰に拳銃が一丁、それだけだが疲れ果てた敵兵を撃ち抜くには十分だろう。


 少年は、腰から拳銃を抜いて右手に持つと、人差し指をぴんとのばしたまま走る。


 遠目から見る感じ、生存者は白人だ。まだ敵味方は分からない。


 いつも運動はあまりしない少年にとって、100メートルの疾走は厳しいものだったので、ブレなく拳銃を保持できる体力を残せる程度にスピードを絞って生存者の元へ向かう。


 「(あの服装は……、連合軍の物だっ! 味方か!)」


 生存者はまだ後ろ姿しか分からなかったが、近づくにつれて分かってきた生存者の恰好から、少年は味方だと判断して拳銃をしまう。


 「大丈夫ですかっ!」


 やっとたどり着いた少年は、生存者に声をかけた。

 生存者は、少年の声に後ろに振り向こうとして……、緊張の糸が切れたのか、重心のバランスを崩して倒れかける。


 そこにギリギリ間に合って、生存者を両手で受け止めた少年はしかし、生存者の意外なまでに軽い体重に驚く余裕など持っていなかった。


 なぜなら。


 崩れ落ちるまでの一瞬でちらっと見せたその顔に、衝撃を受けていたからだ。


 今は血と埃で汚れているが、純白の肌。軍服の中に先が仕舞われている髪は銀白で、その指は細く儚げだ。


 少年は、ただ呆然と純白の彼女を見つめることしか出来ない。

 「あ……」


 そんな中、とても軍人には見えない彼女は、一言そう漏らすと意識を失った。





 ◆  ◆





 ガラッ、と扉が開く音がした。


 慌てて立ち上がって救護室へ視線を向ける少年だが、その顔はすぐに落胆の色に染まる。


 出て来たのは彼女ではなく、黄色人種(モンゴロイド)女性の衛生兵だったからだ。


 しかし、女性衛生兵の方は少年を探していたようでこちらに手招きをする。


 「……なんですか?」

 「君、情報部だよね? ……ちょっとまずいかもしれないのよ」

 「……どうしたんですか?」


 女性衛生兵は周りを見回して人がいない事を確認すると、小声でそれを告げた。


 「あの子、ウチの部隊じゃないでしょ? だからどこの部隊かって訊いたんだけど……。あの子、記憶喪失になっちゃったみたいなのよ……。ドックタグが壊れてるのに」


 記憶喪失と文字の読めないドックタグ。それが示すのは、少女の身元が不明だということだ。


 女性衛生兵に案内されて彼女の部屋に入った少年は、釘付けになった。


 彼女の閉じられた瞳は涼やかに、目鼻立ちはすっと通って、赤みの薄い、小ぶりの唇に連なっている。

 その背景を司る肌色は透き通っていると思うほど白く、髪の毛は銀白色に輝いていた。


 「はいはい、見惚れちゃうのは分かるけど、こっちの話を聞いてよね?」

 「あっ、すみません……」


 女性衛生兵からドックタグのなれ果てを渡された少年は驚く。原型をとどめていなかったからだ。


 「これじゃ、ドックタグの意味がないですね……」

 「そうでしょ? だから本人の言葉に頼るしかないんだけど、その本人が記憶喪失だとね……。あっ、こらっ!」

 「……?」


 女性衛生兵の奇妙な言動に驚く少年だが、しかしその理由はすぐに明らかになった。


 「とりあえず薬飲んで寝ようって言ったでしょ?」

 「でも……初対面の人に渡された薬なんて……」


 寝ているはずの彼女が、まだ起きてたのだ。


 「ほら、記憶喪失は混乱による一過性の物かもしれないから、そういうときは一回寝て夢という形で記憶の整理をすると治る場合もあるんだから……。とりあえず、一回寝てみよう?」

 「……そちらの人は?」

 「……答えたら寝てくれる?」


 首を横に振る少女に女性衛生兵は溜息をついて、どうするかを訊いてくるように少年の方に顔を向けた。


 「僕はネオ。君を見つけて基地まで運んだんだけど……、覚えてる?」

 「……あ、あなたが助けてくれたのね? あ……ありがとう……。……ごめんなさいなんとなく揺られていた気はするけど、はっきりした記憶はここで目覚めた時からしかないの……」

 「そうなのか……」


 言葉だけ見れば冷静になるよう少年は頑張ったが、少年の中は少女が見せた素直な姿と、恥ずかしそうな姿に心を撃ち抜かれていた。


 「……で、どうするんですか? この子が入隊しているかも確証が取れない状況だと、ここの救護室にいるのもちょっと問題になるかも……」

 「僕が保証人になるよ」

 「「え……?」」


 女性衛生兵と少女が驚いたように声を上げた。


 「一応僕は情報部なんだ、この案件、機密保護の観点からどうせ情報部の扱いになる。僕が保証人になればその辺の問題は大丈夫だと思うから……」

 「なんで……?」


 少女が少年に問い掛けた。


 「なんでそんなにしてくれるの……?」

 「僕がしたいからさ」


 少年は、一瞬さえ考えずに答えた。


 「僕が、君のためにしたいなと思ったんだ」


 少女は、少しの間ぽかんとした様子で少年の顔を見つめていた。


 それから。


 「ありがとう……」


 もう一度、それだけを少年に呟いた。





 ◆  ◆





 次の日の朝。

 ネオは、昨日の指示通りに救護室に向かう。


 「よし、来たな」

 「はい」


 救護室の前に到着したネオは、情報部部長と合流した。


 「はいはい面会ですねー。って情報部の人ですか、了解です。信用調査ですよね?」

 「そんな所だ」


 衛生兵の確認を曖昧に濁しつつ、部長は面会の準備を進めて行く。


 「こちらの部屋です。念のため個室にしたんですけど、良かったですか? この子情報部の扱いになるんですよね?」

 「ああ、一応このまま個室を確保しておいてくれ。私が扱う案件になるかどうかはまだ分からないがな」

 「分かりました」


 衛生兵はそう答えると、彼女が割り当てられている部屋の扉をコンコン、とノックする。


 「入りますよー。情報部の人が来ましたー」

 「どうぞ……」


 すぐに返ってきた声に、衛生兵はガチャリとドアを開ける。


 「どうぞ。私は外にいるので、用事があるときはブザーを鳴らしてください」


 その声を背景に部屋へ入ったネオは、足を止めざるを得なかった。


 昨日会ったときはボロボロの軍服を脱いだだけの無機質な服だったのに、今はペイルブルーの薄手パジャマを着ている。


 彼女がその服を着て、ベッドに佇んでいるところを見ると、ネオはまるで雪の精の寝室に忍び込んだかのような気持ちになってしまう。


 「……オ。おいネオ!」

 「は、はいっ!」


 いつの間にか見惚れてしまっていたのか、ネオの精神は部長の呼び掛けによってやっと現実へと帰還した。


 「ボケッとするな、任務中(・・・)だろう」

 「す、すみません……」


 部長はベッド脇に一つだけ置いてあったパイプ椅子に座って、ベッドの上で上体を起こしている彼女へと話しかけた。


 「見苦しいところをお見せしました。私は情報部の部長を務めている、セガワと言います。あなたの扱いについて、説明に来ました」

 「はい……」


 不安そうな声を出す彼女に、情報部部長は遠慮容赦なく冷徹に言う。


 「結論から言いますと、現在のところどんな手段を使っても身元が確認できないあなたは、軍紀上不審人物として扱うしかありません。ですので、ネオが保証人になった上で監視を付ける事を条件として、単純作業に従事してもらいます」

 「えぇと……監視というのは?」

 「そのままの意味です。この部屋の中にまでは入ってきませんが、それ以外はほとんど監視役が一緒に行動すると思ってください」


 その言葉を聞いて、彼女は俯いて黙り込んだ。


 「わたしは……」


 彼女の中でも、どうするべきかは揺れ動いているようだった。かすかにネオにも聞こえる言葉には、その迷いが簡単に分かるほどに現れていた。


 それでもネオは何も出来ない。これは、彼女が決めるべき事だから。


 ただもし一つ、何か言えることがあるとするならば……。


 「もし、君が何かを心配しているのなら……」


 ネオはそう切り出した。


 部長が面白そうな顔で眺める中、彼女は、その声を聞いてまっすぐネオを見る。


 「僕が、君のことを守るよ」


 そう、誓った(・・・)


 少しの黙考の後、少女はそう言った。


 「よろしくお願いします……ネオ、さん」

 「ネオで良いよ」

 「……分かりました。よろしくお願いします、ネオ」


 そう言って、ネオにだけに向けられたほほ笑みを、ネオは一生忘れることは無いと思う。


 なんとなく見つめあっていた二人だが、すぐに部長の声が投げられた。


 「さて、話はまとまったな。では次が最後の話だ」


 はっとして、顔を赤らめながら部長に視線を戻す彼女に、部長は最後の話を切り出した。


 「それで、君の名前はどうすれば良い? 書類に書くにしても、人に呼んでもらうにしても、名前が無いというのは不便だからな」

 「え……?」


 彼女が、また困ったような声を上げた。


 「私の、名前……?」


 「いや、思い出せと言ってる訳じゃない」


 部長は苦笑しながら補足する。


 「ただ、私達が君をなんと呼べば良いのか、とそういう話だ」


 「……ネオは、私を見た時どう思ったの?」


 少し考えてから彼女から放たれた問いに、ネオは即答する。


 「綺麗だなって……」


 ネオは言い終わってからその台詞の恥ずかしさに気付いて、顔を赤くしたが、彼女はそんなレベルでは済まなかった。


 「ーーーっ!」


 一瞬でその純白の肌が、紅に染まった。あまりにもの恥ずかしさからか、膝にかかっていた毛布を持ち上げて顔まで隠してしまう。


 「……シル」


 そんな中、ネオは呟いた。


 「白銀色の髪の毛だから、シル。部長、これはどうですか?」

 「これは本人に決めてもらわないといけないからなぁ」


 その言葉を聞いて、毛布お化けになっている彼女の動きが止まった。


 それから、少しづつ、顔を隠している毛布を下げていって、目だけを出してネオに言う。


 「それで、良い……」


 かすかに見えたシルの恥ずかしそうな顔も綺麗だな、とネオは顔をさらに赤くしながら思った。





 ◆  ◆





 そして休暇の日。


 二人は連れだって隣町を訪れようとしていた。


 「部長も無理矢理だよ、監視に裂く人手がないからって休暇中も一緒に動けって……」

 「私は、嬉しいです、けど……」

 「あ、嫌って訳じゃ無くてねっ?」


 と言っても、戦争の前線である基地から町は遠い。日が暮れる頃になって、ようやく隣町に到着した。


 「座りっぱなしだったから、体中が痛いね……」

 「私は足を伸ばせなかったのがつらいです……」


 ここまで揺られてきた兵員輸送車が止まったのは、エンドの町の中心に程近い、大きなホテルの前だった。


 輸送車に乗っていた10人が降りてから、まとまってホテルのチェックインカウンターに向かった。


 別に軍から部屋が予約されている訳ではない。早めに部屋をとらないと、今日泊まるところを探すところからやり直さないといけないからだ。


 「10部屋空いてるか?」


 一緒の車で来た兵士の内一人が、カウンターで受付嬢に話しかけた。


 「じゃあ、明日何時頃にロビーで待ち合わせにする? 確かここは朝ご飯はルームサービスとレストランと選べたはずだけど、どっちにする?」

 「ええと……」


 シルにはシルで、一人でやりたいことがあるかもしれないと、早々と明日の予定を確認しておくネオ。そんなネオに戸惑うように口ごもるシルだったが、そこで救世主が現れた。


 「ちょいとごめんよお二人さん。話があるんだが?」


 さっきチェックインカウンターでチェックイン作業をしていた男が、急に二人へ話し掛けてきたのだ。


 「は、はい。どうかしました?」


 不思議そうな顔で訊くネオに、男はこう言い放った。


 「ああ、実は今日はもう9部屋しか残っていないらしくてな……。すまんがお前ら二人で相部屋になってくれ」

 「え……?」


 きょとん、とするネオとは対照的に、シルはその言葉に素早く反応した。


 「分かりました、そうします。鍵は……」

 「ああ、このカードキーだ。オートロックだから閉め出されないように気をつけろよ」

 「ありがとうございます」

 「じゃ、楽しめよー?」


 そう二人に声をかけて、男が去った後にネオはようやく再起動した。


 「え? え?」

 「ネオ、今晩は一緒だね?」


 そう言って、シルは嬉しそうにはにかんだ。





 という訳で二人でお泊りだ。


 洗濯すること前提で、3、4日分しか着替えが入っていないバックを持って入ったのは、ツインのルームだ。正確には、シングルルームが8個しか空いていなかった、ということなのかもしれない。


 「……」

 「……」


 時刻は既に6時を回っている。


 しかしそれは、夕食をとるにもシャワーを浴びるにしても早い時間帯だった。


 二人は互いにベッドに腰掛けたまま、気まずい無言で過ごしている。


 「ねぇシル」

 「ネオ……」


 意を決して話し掛けた二人だが、しかしそのタイミングが被ってしまって、またきまりが悪くなって押し黙ってしまった。


 「……シル、先に言って良いよ」


 そんな中で、シルの様子を見ながらネオがもう一度言葉を発した。


 ネオの方の話題は、とりとめのないただの雑談のようなものだったからだ。


 「シル……?」


 ネオがもう一度、許すようにシルの名前を呼ぶと、シルは俯いていたその美しい顔を上げると、すっとネオを見据えた。


 「どうしてネオは、私にそこまでしてくれるの?」


 そうして、その問いが放たれた。


 「どうして……? そんな理由なんてない、僕がやりたかっただけだよ? 前もそう言わなかったっけ」


 揺らぐことのないネオの返答に、シルは分かっていると心の中で思う。


 そして、シルが聞きたいのはそんな言葉ではない。ただ、ストレートになんか聞けない言葉だからこうやって遠回りに訊いているだけだ。


 ネオに惹かれているシルの、本当にそっちへ行って良いかどうかの最終確認。


 「じゃあ、どうしてそんな気持ちになってくれたの……?」


 恥ずかしげに、不安げに、心配そうに揺らぐシルの言葉に、ネオは何を求められているのかも分からないまま、ただただ言葉を紡いで行った。


 「シルを初めて見た時……、とても綺麗だなっ、て思ったんだ……。それで……多分思ったんだよ、ああ、守りたいなぁって……」


 そこで、ネオは逡巡する。


 この感情を吐露して良いのか、伝えて良いのだろうか。


 記憶を失っているシルにこの気持ちを伝えることは、どこか卑怯な行為なのではないかと思ってしまう。


 それでも。


 もし、シルが故郷に恋人を持っていたとしても。

 ネオの、この気持ちは終わらない。終われない。シルの持つ関係の中にどうしようもなく自分の入る隙間が無かったとしても、これだけは絶対に捨てられない。


 そして。


 何かを思い出すように宙を見てい顔を下げたネオは、もう一度シルの顔を見る。


 「…………」


 恥ずかしげに、不安げに、心配そうに揺らいで、覚悟を決めて何かを待っているような強い光をその瞳の奥に湛えた、シルの顔をもう一度目に入れる。


 「……!」


 それを見て、ネオも覚悟を決めた。


 (シルが何かを望むなら、それを叶えるのが惚れた男の義務ってものだろうっ……!)


 「いや」


 その言葉に、込められた雰囲気に、シルの体が震えた。


 言葉から想像されるのは、否定の言葉。何を言われるか怖くて、それでも聞くと決めてじっと耐えるように、無限にも等しい時間を待つシルへ、ネオはついに告白する。


 「たぶん、一目惚れだったんだ」

 「ぁ…………」


 シルが、安心したように声を上げた。耐えられるようにきつく結ばれた口元はほころび、不安げに伏せられていた目は開き、恥ずかしげに下を向いていた顔が真っすぐにネオの顔を見据えた。


 「シルを見た瞬間に、僕はもうシルの事が好きになっていたんだと思う。その時からシルの事を四六時中考えるようになって、仕事の時だって頭の片隅ではシルのことを考えていた。出来るだけシルの近くにいたいと思ったし、シルの隣にいることが出来る任務に命じられた時は本当にうれしかったよ。今この瞬間だってそうだよ。シルと一緒にいられるだけで、僕はとても幸せな気持ちになれる」

 「あ、あぁぁ…………」


 シルの瞳から、透き通る雫が零れ落ちた。


 両手で口元を押さえる純白の少女は、その美しい肌を羞恥ではない感情で赤く染めて、嗚咽を漏らす。


 「私、は……私はネオの……」


 その感情と雫で美しい顔をぐしゃぐしゃにした少女は、自らの気持ちを少年に吐露しょうと口を開いて。


 「今はいいよ」


 少年に止められた。


 「どう、して……っ?」


 驚いたように訊く少女に、少年は答えた。


 「その答えは、シルが記憶を取り戻してから聞くよ」


 再び、少女の頬に銀線が走った。


 本当に、少年は少女のことしか考えていなかったのだ。今その返事を確定させてしまうと、少女が記憶を取り戻した時困ったことになってしまうかもしれない。だから、少年は自分を殺してでも聞きたいはずの返事に耳をふさぐ。全てはただ、少女のために。例えそれによって少年が少女と離れなければならなくなったとしても、少女が幸せに笑っているその側に、少年の居場所が存在しなかったとしても、少年は絶対にこの選択を後悔しない。なぜなら少年が本当に望んでいるのは少女の幸福だからだ。


 少女は、そんな少年の気持ちを理解した。


 しかし少女の気持ちは決まっている。


 少年が記憶を取り戻した時を心配するのとは対称的に、少女は記憶を取り戻した時のことなど全く心配していなかった。


 少女のその感情は、昔の記憶のあるなしに左右されるなんて事は絶対にないと言い切れるからだ。


 もし、少女が失った過去の中で恋人を作っていたとしても、少女は少年を選ぶとはっきり言える。


 それは、記憶を失ったという未来を持たない少女の選択であって、今、記憶を失って少年の隣にいる少女の選択ではないから。


 でも、少女はそうやって心配してくれる少年の優しさを無下にすることなんか出来なくて。


 少女はその上で、少年の気持ちに報いることの出来る言葉を探す。


 「ねぇ、ネオ」

 「なに……?」

 「私とネオは、ずっと友達よね……?」

 「もちろん」


 ネオの答えに、二人は意味なく顔を見合わせて。

 そうして、二人で笑いあったのだった。





 ◆  ◆






 次の日の夕方。


 一日中遊園地で遊び、疲れた二人はベンチに座って喋っていた。


 「楽しかったね……」

 「うん、私は絶叫系はダメみたいだったけど、それ以外なら楽しかった」

 「ぼくも絶叫系はあまり好きじゃ無いからちょうど良かったよ……」

 「そうね……」

 「この後どうする? ナイトイベントもあるみたいだけど……?」

 「ナイトイベント? どんなのがあるの?」


 ネオの言葉に食いついてきたシルに、ネオはパンフレットを取り出してシルにも見えるように手に持った。


 「ええと……? パレードの後に花火大会だって」

 「花火……。ネオ、行かないっ?」

 「わかった、行こうよ」


 花火という言葉を聞いて嬉しそうに訊くシルに、ネオは苦笑しながら頷く。


 「といってもパレードが始まるのは6時、花火が7時半らしいからまだ1時間くらいあるね。どうする、なにかもうちょっと乗る? それとも軽食でも食べる?」

 「ううん、ここでちょっと話してたいな……」

 「……そっか。ちょっと疲れた?」


 シルの言葉に上げかけていた腰を下ろしたネオは、シルを気遣うように訊く。


 「うん、ちょっと疲れた……かな?」

 「じゃあ明日はちょっと寝坊しても良いか、予定も入ってないしね」

 「そうね……。……今日は本当に楽しかった、こんなにネオと歩き回っていろんなものを見たのは初めて……」

 「そうだね、僕もシルと一緒に遊園地を回れて嬉しかったよ」

 「また……、来れるかな?」

 「来れるよ。また一ヶ月後には休暇が来るし、何ならまた明日来れば良いんだから」


 ネオの言葉に嬉しそうな表情を浮かべたシルに、ネオの心は弾む。


 「ねえネオ、教えてよ」

 「何を……?」


 首を傾げるネオに、シルは笑って言う。


 「ネオがいつもなにやってるのか」

 「僕が、なにをやってるか……?」


 ネオはシルのその質問に、反射的に答えてしまう。


 「今はフリズスキャルヴ(・・・・・・・・)の調せー、あっ」


 途中で気付いて口を閉ざしたネオは、シルに秘密にしてもらうように言おうとして。


 「シルごめん。これは秘密だったんだ、聞かなかったことに……っ!?」


 シルの様子が変わったことに気付いた。

 シルは、その美しい顔を歪ませて、なにかに耐えるような表情を続けている。


 「フリズ、スキャルヴ……?」


 シルの口から呟きが漏れた。



 次の瞬間。



 「きゃあああああああああああああああああっっっ!!!!」

 シルは、絶叫する。


 「シ、シルっ!?」


 叫びのせいか、急に慌ただしくなる雰囲気の中、ネオは気を失ったシルを支えることしか出来なかった。




 ◆  ◆




 少女が眼を覚ましてから、一週間が経った。


 シルの検査が終わり、ネオは部長に呼び出されていた。


 「シルの検査が終わり、観察期間も終わった。診断は『不明だが現在は問題無し』だそうだ」

 「『不明だが問題無し』、ですか?」


 不思議そうに首を傾げるネオに、部長はつまらなそうに捕捉する。


 「ああ、気絶した理由は不明だが現在に残る問題は無いということだ。再検査でもまだ、シルは記憶が戻っていないと言っている」


 そこで情報部部長は言葉を区切った。


 「さて、シルのことだが」

 「……はい」

 「シルの監視ももうそろそろ切り上げて、仕事を与えようと思う。何せ保証人までいる状況だ、連合軍にも人材を遊ばせておく余裕はない。そこで、シルをあの部屋との窓口に設定しようと思う」

 「……どういうことですか?」


 あまり部長の言いたいことが分からなかったネオは、確認にそう訊く。


 「お前に変わって、シルに部屋の中と外の物資のやりくりを任せる。ということだ」

 「……分かりました」


 ネオは部長の言葉にそう頷いた。





 『すみません、お昼ご飯を届けに来ました……』


 外のマイクが拾った声に、ネオはふと集中力を途切れさせた。

 「シルが来たね」


 ネオはコンピュータから顔を上げると、『扉』の方を見る。

 既に大人のプログラマによって開かれた扉から、シルがちょうど入ってきた所だった。


 「あっ、ネオ……」


 言葉を尻すぼみにして答えたシルは、その端正な顔立ちをそっと逸らす。そのままこの部屋の食堂の方に向かって行ってしまった。




 「(どうしてあんな事しちゃったんだろう……)」


 シルは胸中にそんな事を思いながら食堂で配膳をしていた。

 すでに食缶をワゴンから下ろして、机の上で大人のプログラマに手伝ってもらっている。


 シルの胸にはきまり悪さが残っていた。しかし罪悪感は無かった。


 「(どうしたらネオに普通に思ってもらえるかな……? 私のこの気持ちに整理がつくまでの間……)」


 シルは考える。

 そんな状態だったので、シルは話し掛けられていることに気付かなかった。


 「ええと、すみません。すみませーんっ!?」

 「ひゃいっ!」


 何回か話し掛けていたのか近くで大声を出されたシルは驚いて飛び上がった。


 大人のプログラマは言う。


 「もうこっちの用意はやっておくから、ネオを呼んで来てくれないか?」


 「わ、分かりました……」


 その言葉に従い、シルは配膳する手を止めた。


 「(ネオにいつも通りだと思ってもらえるように、ネオにいつも通りと思ってもらえるようにしなきゃ……)」


 そう思えばそう思うほどカチカチになっていく体と心を引き連れて、シルはネオの元に向かう。





 「ネオ、ご飯が出来たよ……?」

 「ああ、ありがとうシル」


 シルの声が聞こえたネオは、そう答えて声が聞こえた後ろを見る。


 「……?」


 そこには、急いで食堂の方に走っていくシルの後ろ姿が見えた。




 ◆  ◆





 「人員を総動員しろっ! スパイを特定することはこの基地において第一目標だ、他の何よりも優先して行えっ!」


 基地の中は慌ただしい喧騒に包まれていた。


 前線から報告された、フリズスキャルヴの流出。


 それは、連合軍を優勢にしていたアドバンテージが失われつつあることを意味している。これ以上の流出を防ぐために、情報部だけでなく基地全体がてんわやんわだった。


 部屋の中にいる人間も例外ではない。というか、渦中にならざるを得ない。


 フリズスキャルヴを帝国軍が再現しうるデータがあるのは、この部屋しか無いからだ。


 部屋にあるコンピュータを調べた結果、無線による情報攻撃が仕掛けられていたことが分かった。各々がスタンドアローンで、ネットワークには一切繋がっていないコンピュータに。


 無線のポートから強引に侵入したのか、内通者が繋げたのかは分からないが、しかしどうしようもなく不可解だった。


 だが、実際問題情報攻撃は行われている。


 よって。


 「一時的に、この部屋のコンピュータは全て凍結する。稼動するのはメインサーバーだけだ」


 当然、上層部はこういった判断を下す。


 情報部部長は部屋の食堂兼会議室に集めたネオ、シル、そして大人のプログラマ達を見回した。


 「内通者の割り出しはこちらで行う。よって、こちらには凍結している間別の事を任せたい。……通信経路の発見だ」

 「なるほど」


 大人のプログラマの一人が呟いた。


 「内通者が誰か分からなくても、抜け穴として使っている通信経路さえ塞いでしまえば、元の仕事に戻れますからね……。そうたくさん抜け穴があるとは考えにくいですし」

 「そういうことだ」


 情報部部長は大きく頷いた。


 「恐らく、無線式のハッキングということは部屋の外から電波が通るようにしてコンピュータにアクセスしただけで、中に入れてはいないはずだ。その穴を探してもう一度シールすれば良い」

 「分かりました」


 大人のプログラマが頷いて答えた後に、ネオはふと気付いたことを聞く。


 「もしスパイが分かったらどうするんですか?」

 「……残念ながら、ここまで被害をもたらした者をただで済ます訳にはいかない。上層部のメンツもあるし、恐らく即刻処刑されるだろう。帝国軍へのみせしめという意味を込めてな」






 ◆  ◆





 次の日は、珍しくシルが寝坊した。


 「ごっ、ごめんなさい……」


 飛び起きてきたシルに、食堂でネオは気遣うように言った。


 「大丈夫だよ、シル。昨日から調子が悪そうだったし、食事も他の人が届けてくれたから」

 「本当にごめんなさい」


 申し訳なさそうに言い連ねるシルに、ネオも、その他の大人のプログラマも口々に大丈夫だよ、と声をかける。


 「ありがとう……ございます」


 その言葉と笑顔に、ネオは完全にそのことを気にしなくなったのだった。


 朝食が終われば、通常ならHUV計画の仕事が始まる。しかし、今現在仕事は凍結中な上、まだ部長には『穴』の事は報告していないため、まだ仕事は始められないのだ。


 という訳で、伝令係としてのシルの出番と相成る訳だ。


 「そんな訳でシル、部長のところへ行って、スパイが使った手法を発見したという事と、その詳細について報告して来てほしいんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、シルの胸に痛みが走った。もちろん肉体的なものではない。胸に冷たいものが充満したような、全身にその寒さが伝播しそうな、そういう精神的な痛みだ。


 「分かり……ました……」


 シルにはそう答えるしかない。それ以外の答えは、ここでは許されない。


 そうしないと、この胸に一人抱える秘密に気づかれてしまうかもしれないから。


 ネオはつらつらと『扉』に穴があったことを説明する。


 「わかった。部長さんのところまで行って、報告して来れば良いんだよね?」

 「そうだね。……送るよ」

 「……ありがとう」


 ネオの申し出に、嬉しそうに微笑むシル。その顔に、ネオは骨抜きになっていることを自覚する。


 とりとめのない話をしていれば、出口へはすぐに到達する。


 「じゃあ、またあとで、シル」

 「うん」


 シルは近くの操作盤を操作して、こちら側の扉を開く。


 「じゃあ、ネオ。……大好き」

 「……!」


 シルがその扉を閉めて、姿が見えなくなる寸前、その声が聞こえた。


 ネオが以前、受け取ることを拒否したその言葉を。


 ネオがなにかを言う前に、その扉は完全に閉まりきる。


 ネオの心中には、なんとなく悪い予感が残っていた。





 ◆  ◆





 「ちょっとネオ君、これを見て」


 大人のプログラマに呼ばれたネオは、唐突に動画を見せられる。


 「これは……、監視カメラ映像っ!」


 「そう、ネオ君にも意見を聞かしてほしいんだ」


 全ての動画を見終わったあと、ネオは黙ったまま動けなかった。


 そこには、ご飯を配膳するシルしか写っていなかったから。

 ネオは気付いてしまった。


 真っさらな視線で考えれば、それはとてもとても簡単な事を。


 犯人が写っているはずの証拠映像に、人影は一人しか写っていなかった。それならば犯人は確定しているだろう。


 犯人がしか存在し得ないタイミングで、一人の人影が現れた。ならば犯人は決定しただろう。


 そう。


 これ以上の解答は、もう存在し得ない。




 「シル……」




 ネオはそう呟いた。


 そう考えれば、いろいろな事が腑に落ちる。


 何故あんなところで生き延びられたのかということも。


 フリズスキャルヴ、と呟いて倒れたことも。


 そして、さっきの告白も。



 「シル……っ!」




 ネオは腰のものの所在を確かめると、歩きはじめた。









 シルは、薄暗い階段を下りていた。


 足元にしか照明が無いこの階段は、もしも黒づくめの人間がいたら、数メートルも離れれば気付くことはないだろうと思うほど、闇が深い。


 「ふぅ……」


 そっと溜息をつく。もう自分の正体はばれていて、部長のところに行ったら即座に処刑されるものと思っていたが、部長はまだそこまで到達していなかった。


 おかげで、これで最後とだと思ってネオに伝えた気持ちも、無駄になってしまった。


 このあと、どんな顔で彼と話せば良いんだろう、とシルは思う。


 もうすぐ『扉』だ。

 もうすぐ、彼に会える。


 「その前に……」


 シルは歩きながら、ポケットから手の平より小さい、壁の色とまったく同じ色彩を持ったカードを取り出した。


 いや、カードではない。『穴』を作り出すための極小デバイスだ。


 「これで、最後……」


 薄暗い闇の中、シルはそれを扉に目立た無いように、貼付ける。


 その、直前だった。


 背後からシルの頭に、冷たい感触が押し当てられる。


 「なんで……」


 その声は、彼女が最も愛する声だった。


 「なんで、そんなことやってるんだよ……」


 彼女が最も愛するその彼の言葉に、シルはゆっくりと俯いた。




 ◆  ◆




 ここに来て。


 ここまで来て、少年の胸に飛来したのは、心配だった。


 少年は、本当に考えていたのだ。ここでシルにこの話をして、シルが二度とスパイ行為を働かないと誓うなら、この事実を忘れる、と約束するということを。


 でも。


 少女は、少年の想いを守れなかった。


 「どうして……」


 少年は、繰り返す。

 少年は、少女を守りたいのだ。


 しかし、再犯は文句なしに、事情酌量の余地もなく、完全に殺されてしまう。


 この時点で、少年にはどうすることも出来ない少女の死は決まったのだ。


 「シル、最初から説明してよ……。記憶喪失っていうのも、嘘だったの……?」


 少年は、哀しさと、淋しさと、どうしようもないやるせなさに身を震わせながら訊く。


 少女は、その美しい銀髪を垂らし、顔を俯けたまま答えを返す。


 「ううん……。ネオに助けられた時点で、私は本当に記憶喪失だった……」

 「じゃぁっ?」

 「ネオ、知ってる? ……帝国は、人体への記憶操作技術を確立させたの」


 そう、哀しそうに、寂しそうにしながら。


 「帝国は、連合に記憶喪失の兵を送り込んで、情報収集することに決めた。記憶喪失なら、限りなくグレーだけど完全には黒と言えない、そして時間経過とともに信頼される諜報員が出来上がるから……」

 「じゃあ、でもシルは、記憶を……」

 「うん、取り戻してる」


 少女は悲しそうに頷いた。


 「だって、これだけじゃ連合の情報に触れられても、帝国に送ることは出来ない。だから、帝国はさらに記憶操作を私に施した……」

 「それは……?」


 少年の質問に、少女はその顔を俯けたまま答える。


 「フリズスキャルヴ」

 「……?」

 「その言葉とともに、私の記憶喪失が解けるように……」

 「ああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!」


 その言葉に、少年は喉が詰まるような感覚を感じた。そしてその直後に溢れ出てきたのは、耐えることの出来ない涙と叫びだった。


 少年は、慟哭する。


 自分の不注意が、漏らすべきではないあれが、結果的に少女をこの状況を導いたのだと。


 どんなに後悔してもし足りない。どんなに悔やんでも悔やみ足りない。どれだけ惜しんでも、どれだけ懺悔しても満たされる事はない。そう。


 自分が。愛する少女を死地に追いやったのだと。


 少女に突き付けられている拳銃がブルブルと大きく震えた。


 「ネオ、そんなに思い詰めないで……」


 少女は赦しの言葉を告げる。


 「あのままだったら、ここに来て同じことになっていた……。遅いか、早いかの違いだけ……」


 だが。


 その言葉が、少年を慰めることはない。これは、永遠に少年の心に突き刺さり続ける角になる。


 「でも……、だからってっ……!」


 ネオの手から、ついに拳銃が滑り落ちた。


 「大丈夫……、記憶喪失の時生まれたこの気持ちも、本物……」

 泣きじゃくる少年に、安心してと伝えるように少女は告げる。

 「私も、ネオとずっと一緒にいたい……」


 慟哭する、慚愧の念に駆られる少年に、少女は再びその言葉を……。


 いや。


 少女の本当の気持ちを告げる。


 「大好き……愛して、います……」


 唐突に。


 いや、微かに反響する慟哭を背景に、ネオは慟哭を止める。拳銃を持っていた方の腕で目元をごしごしとこすると、ネオもやっと、ここに至ってそれを言うことを許される。


 「僕も……、シルのことが……大好きです……」


 嗚咽が漏れた。


 それがどちらのものなのかなんて分からない。ただ悲しみの充満する嗚咽が、反響する慟哭を塗り潰して行く。


 突然。


 ……いや、二人にとっては予定調和なのだろう、それが当然なのだろう、シルが体ごと後ろへ振り返る。


 涙に濡れて、その純白で美しい顔を歪ませながら対面する。


 「シル……」

 「ネオ……」


 二人は互いにその名を愛しそうに、噛み締めるように呼び合った。


 直後。


 薄暗い暗闇の中で、立っていた二つの影が重なった。


 二人は互いにその腕に力を込めて、放したくないと、別れたくないと相手の体温を、感触を、そして愛を貪りあう。


 それに続くのは唇だった。


 互いにその体重を預け合ながら、唇が重なる。両者の顔が、これ以上ないほどに近づいて、そして触れる。


 存在を引き止めるように。互いの心を留めるように。


 長く、長い抱擁のあとに、ただ静寂のみが支配する暗闇の中でネオだけを見つめて、シルは言った。


 「私は、もうどうにもならない。どんな未来を辿っても、殺される」


 ネオが寂しそうに、認めたくない気持ちを滲ませながら頷くのを見て、シルはそっと続ける。




 「だから……。……最後はあなたが良い」




 「っ……っ……、っっ…っ……!」


 ネオはそれを聞いて、再び声なき慟哭を漏らす。


 そんなネオをなだめるように、シルの腕が抱くネオの背中を優しく叩いた。


 泣き虫の子供をあやすように。


 「僕は……っ、僕はっ……!」


 断りそうになる気持ちを蹴り飛ばして、ネオは、彼女の幸せのために、そっと、そっと、最後に頷いた。


 結局のところ。


 ネオは、最初から最後まで変わらなかった。


 彼女を守りたいと、彼女の笑顔を咲かせたいと、いつでも願う少年は、たとえそれが死ぬより辛いことでも、少女の幸せの為ならやり遂げる。


 そして。

 ついに。


 ついに、少年は床から拳銃を拾い上げた。


 「どこ、が……。どこが、良い……?」


 「出来るだけ……、痛まないところにして……。それで、確実にいけるところ……」


 「じゃあ、それでもシルの姿が出来るだけ綺麗に残るように……、心臓で良いかい?」

 「うん……それで、お願い」


 少女の左胸に突き付けられた拳銃が、ブルブルと震えた。いや違う。ネオの手が震えているのだ。


 「あ……」

 「どうしたの?」


 突然漏らしたネオの声に、シルは訊く。


 「これ……、あの日シルを助けるために握った拳銃だ……」


 それは、何の皮肉なのだろう。


 助けるために握った武器で、守るべき者を殺すというのは。


 「大丈夫。……それで、私を救って……?」


 シルの両手が、ネオの右腕に添えられた。それは不思議なほど温かくて、じんわりと広がる温かみはネオの震えを解いて行く。


 「ネオ」


 全ての準備が調って、ついに控えた少女はネオに告げる。


 「ありがとう」


 ネオは少女のその必死に作ったであろう笑顔を見て。






 引き金を、引いた。

この作品は、『あの日出会った君との思い出は、夢まぼろしだったのだろうか』のダイジェスト版です。

 完全版が気になった人は、以下のリンクをご覧ください。

https://ncode.syosetu.com/n6540ec/

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