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アカシックレコード

作者: 執毬 緑

 以下に綴る内容はある作家による手記である。


 *two to three


 私はいつも通りペンを持つ。私の世界をここに形づくる。この世界は私だけのものだ。私が書けば世界が生まれる。国が生まれる。人が生まれる。習慣や気候、地形や文化——、様々なものが生まれる。謂わば私は我々人間のいうところの神様というわけである。

 私はここで一つの物語を作家として綴る。


 *three to four


 うだるような晴天の暑さの中、少年はとある部屋にいた。畳張りのこの部屋にある物は少ない。ベッド、机、そして本棚。少年はまだ生徒だった。ここは彼の部屋だ。

彼をここで呼ぶ名前はない。だから私は彼を少年と名付けた。

少年は畳の上で仰向けになり、そっと目を閉じた。


 *four to five


「やあ主人公」

唐突に声が少年の耳に入る。真っ暗な空間の中少年は少しだけ顔をしかめる。しかし、彼女の存在には驚いた様子はない。少年のそばには長い薄花色の髪を持った女性が佇んでいた。無風の中女性はその長い髪だけを揺らし、不敵な笑みを浮かべていた。

「誰だお前は?」

少年は無気力で感情のない声で尋ねる。

「君自身が私を呼んだにも関わらず誰だとは挨拶だね」

少年は退屈そうにそうかい、と返事をし彼女をあしらう。

「では自己紹介をしよう。私は言うなれば君の世界を構築するコンシェルジュ。そしてこの世界の意志形容。神の使いという表現が正しいかな」

「どういうことだ」

女性は得意げに続ける。

「君はこの世界のことについて何か知っていることはあるかい?なんでもいい。国家や文化。君の身の周りについて。なんなら君自身についてでもいい。知っていることを僕に教えてくれ」

少年は答えない。少年は答えられない。今この世界において定義されている事象は自分自身の肉体と世界の意志形容と名乗ったこの女性だけだからだ。

 少年は考えた。何か分かることはないか。すでに定義された事象の中で少年が女性に返す言葉を思案した。

「俺は人間だ」

それだけ。彼は口に出した。女性はうれしそうに口角を上げた。まるで少年の答えを全て見透かしているように。

 女性はふふっと怪しげに笑い続けた。

「本当に君は人間かい?そもそも哺乳類かい?鳥?魚?菌かもしれないしそれこそ生物じゃないかもしれない。ではなぜ君はそこで人間たりえる?」


*five to three


 作家と小説家は違う。少年は作家だ。小説家は作家だが、作家のすべてが小説家とは限らない。時に絵画家であり、時に音楽家である。芸術家だけではない、政治家や、言葉を覚えたばかりの赤ちゃんの中にも作家は存在する。

 作家とは明確なビジョンを持っている。しかし、そのビジョンは空想だ。現実があるとするならばそれは決して現実にならない。なぜならば、空想の意志は一つだけだからだ。


 *three to four


 少年は目を開いた。少年は畳の上で仰向けのまま手を顔の前にやり、まじまじと観察した。自分は人間だ。そう思った。少年は疲れたように手をおろし、再度目を閉じた。


 *four to five


 「人間だったかい?」

女性は少年の顔を覗き込み問いかけた。目を開いた少年は答える。

「ああ、当然だ」

「そう、君は人間だ。この世界ではそう君は定義されている。じゃあその他はどうだろう。君は答えられなかった。当然だね、この世界にはまだ君と僕しかいないから」

女性は得意げに答えた。そして続ける。

「じゃあこう定義してみるのはどうだろう」

女性は手を高く掲げ指をパチンと鳴らす音が空間に響いた。その音に呼応するかのように一瞬にして辺りは明るくなった。

 そこはビーチであった。真夏の太陽が照りつける砂浜は、白く眩しい。少年は広大な砂浜にぽつんと建てられた一つのビーチパラソルの下に寝そべっていた。

「ここはビーチだ」

「見れば分かる」

誰も人はいない。ここに存在しているのはまだ二人だけだ。波の音と時折吹く風だけがこの世界のアクセントとなっている。

「常夏のビーチ、これで舞台は完成だ。でもこれでは世界の意思が存在していない。目的を持って世界が動かなければ世界を構築したとは言えない。では次だ主人公よ、なぜ君はここにいる?」

少年は何も答えない。

 女性はもう一度パチンと指を鳴らした。誰もいないビーチに音が鳴り響いたかと思うと辺りから騒音が立ち込め始めた。

 ビーチではしゃぐ人々の声だ。何も存在していなかったそこには沢山の人間が現れた。水着姿ではしゃぐ人々の声。波の音はもはや聞こえない。少年は海の方ではしゃぐ少女達の何人かを知っている。

「思い出したかい?」

女性は少年に尋ねた。

「ああ、はっきりと思い出した。ここに来た経緯も彼女達の存在も——、僕の存在も」


 *five to three


 空想は誰の中にでも存在する。空想はそれはその人だけの物だ。他人に伝えても完璧には伝わらない。それゆえ空想の意思は一つだけなのだ。

 この世界を完璧に認識している者はどれくらい存在するのだろう。その答えはゼロだ。動物の見ている世界と我々人間が見ている世界はまず眼球が集める光の波長という観点から見て異なっている。音や匂いに至ってはまるで違うだろう。同じ人間であっても同じことだ。人によってクオリア、つまり見え方聞こえ方は異なる。さらにそれらの認識は全て感覚器官によって行われる。感覚器官はこの世界の事象の一部を観測する役割でしかない。感覚器官を用いているわれわれ人間にこの世界を完璧に認識することはできない。

 もしそれができる者がいるとすればこの世界の創造主、我々人類が神と呼ぶものでしかない。

 しかし、人間主観においてそれら創造主を認識することはできない。例えば、小説において登場人物が著者を意図することなどありえない。創作物に意図はないからだ。もし、作者に触れた主人公がいるならば主人公には既に意思はなく、それは作者の意図とするものだ。しかし、我々人間は自由意思を持っている。少なくとも私はそう認識している。それは、我々小説家が登場人物に意思を吹き込むように神が人間に対し意思を持つことを定義している若しくは定義した法則が組み合わさり人間に自由意思を与えているのだろう。

 では我々が現実世界と呼んでいる空想にはどのような意思があるのだろう。


 *five to four


 少年は目を開いた。畳の上で己の人生を回顧した。

 少年の人生はその年齢のとおり歩んだ時間は他の人間に比べ短い。それゆえに小さな想いも大きく彼にのしかかる。両親からの期待。友人や異性との関係。彼は逃げ出すようにまた——。

 目を閉じた。


 *four to five


 少年と女性はビーチバラソルの下にいた。女性はパラソルの中棒を少年と挟み立っている。少年は疲れた表情をしながら寝そべっていた。

「思い出したというには少しだけ語弊があるな。君が知っているこの世界の記憶——、つまり君が持つ君や海辺で遊ぶ彼女達の記憶はさっき作られたばかりの出来立てほやほやの記憶だ」

「確かにその通りだな。お前がこの場にいなければ作られた事実は忘れてしまいそうだが」

「これでこの世界の構築はある意思のもとで形成された」

「その世界の意思とはなんだ?」

少年は怪訝な表情で女性に尋ねる。

「全ての世界は創造主の意図のもとで形成している。君には理解できないかと思うがこの世界を創造したのはある生徒だ。その生徒には悩みがあってね。ここは逃避の世界さ」

「理解できるさ、逃避の世界。その生徒も苦労しているんだな」

突然女性は笑い始めた。それも大声で。

「君は本当に面白いな!そうだろ?——神様!」

そういって女性はパチンとこれまでよりも大きな音で指を鳴らした。


 *five to three


 世界五分前仮設というものを知っているだろうか。世界が五分前に誕生していたとしてもそれを否定することはできない。

 この世界は神によって綴られる物語だ。物語である以上この世界にも何かしらの意思が介在している。しかし、それをこの世界から理解することはできない。結局は神の意思にのっとりこの世界は動くだけだ。

 

 *three to four


 開いた窓からは風が入り込み赤く照らされたレースのカーテンを揺らす。頬を伝った汗が畳に落ちた。

 少年は目を開いた。夏の暑さの中、身体中を汗で濡らし少年は夢を見ていた。自分の本来の記憶が蘇り

、それと同時に夢の記憶は薄れていった。少年は大きくため息をついた。

 長い時間を夢の中にいたみたいだ。夢の中の自由な世界に浸っていたにもかかわらず、少年は久しぶりの現実の空気が眩しかった。


 *four to three


 私は外なる神に近づくために神となった。今となってはそれが私にとって所詮として自己満足であると知った。しかし、世界を形づくることが神へ近づく道の一歩だと思ったからだ。

 作家は滑稽な生き物だ。この神の空想の中で誰にも理解されることのない空想を描き続ける。


 *three to two


 この作家の手記はここで終わっている。

 人間をつくったとされる神が人間によってつくられるというのは本当に滑稽である。

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