2冊目 物語がない……
王城の中心から少し離れた場所――そこに、書庫がある。
仕事で訪れる文官以外、そこに立ち入る物好きはいない。ましては、王家の血を引く高貴な王女ならなおのことである。
「本当に、よろしいのですか?」
実際、シルフィードは私を書庫まで案内することに不満を抱いているらしい。
「『金と知識は、あればあるほどタメになる』そう教えてくれたのは貴方でしょ、シルフィード」
「いや、確かにそうですが……」
「今日の勉強は終わったし、あとは自由に過ごせる時間のはず。だったら、なにをしても自由じゃない?」
私が言えば、シルフィードは苦々しい表情のまま口を閉ざした。
書庫を好んで訪れる王女はいないが、別に訪れてはいけないという規則はないしのだから問題はないだろう。
「……仕方ありませんね。ここですよ、姫様」
シルフィードは鍵を差し込み、重たい扉を開いた。
扉の向こうから、冷たい空気と共に懐かしい香りが漂ってくる。深呼吸をしてみれば、本独特の古紙とインクの香りが胸いっぱいに広がった。あぁ、この香りだ。この香りを、私の身体は待ち望んでいたのだ。
どこか楽しい気分になってくる。なんだか、小躍りしてしまいそうだ。
「姫様、どの本が御入り用で?」
「そうね、とりあえず建国正史を」
「建国正史ですか! すぐに探してまいります」
シルフィードは、ささっと本棚の間に消えていった。
私は、ゆっくりと本棚の間を歩きながら背表紙を見て回る。
「『王国帳簿』『裁判記録-判例集-』『王国法-外交編-』……どれもこれも記録書ばかりね」
私は、ちいさくため息を吐いた。
いや、別に本は好きだ。だけど、本に描かれた物語が好きなのであって、数字だけが淡々と記されている帳簿や法律みたいに頭が痛くなる本はナンセンス。もっと軽く読めて、心躍るような本が欲しいのだ。
「姫様、建国正史を見つけました」
2つ向こうの棚から声が聞こえてきた。
私が急いで駆け付けると、シルフィードの腕には一冊の分厚い本が抱えられていた。私は、ほにゃっと顔の筋肉が緩むのを感じた。
「ありがとう、シルフィード」
「いえいえ、動作もないことでございます」
シルフィードは、得意げに笑った。そして、彼から建国正史を受け取った。
当然だが、建国正史は法律書とは異なる。
王国建国の歴史を綴った書物だから、きっと物語性も高いだろう。古事記にしろ聖書にしろ、位置づけ的には歴史書のような本だが、読んでみれば意外と物語として楽しめたりするものだ。
なんの不自由もない王女に転生したのだ。前世以上に、本を読んで読んで読みまくる! これから、私の薔薇色読書生活が幕開けるのだー!!
私は急く気持ちを抑え、呼吸を整えると、その場で1ページ目を開いてみた。
《アイゼンベルトの子である勇者のマリアベルの子、サトクリフ。
アイゼンベルトはクロムの父であり、クロムはニカルの父、ニカルはヘロデとヨハンの祖父であり、ヘロデは勇者マリアベルの父であった。
サトクリフは、シュナイゼンの地へ住居を移す。大将軍となり、ウルフラン王国を滅ぼす。その後、伯爵家の娘ルルベルと婚姻する。ルルベルはアダーベルトを産んだ。アダーベルトはアレンの父になり、アレンはシャロンの父になり、シャロンはペトラとヴァイスの母となり――》
「……」
私は、無言で本を閉じた。
高揚していた気持ちが、一気にしぼむ。……私は物語を読みに来たのであって、家系図を求めていたわけではない。
いや、分かっていたよ。分かっていたさ。
この世界に、物語本が存在しないことくらい!
この世界の本は、物事を「記録」するためだけに存在する。
数字や事象を客観的に箇条書きで記されているだけ。それは建国正史みたいな……日本の古事記や日本書紀に相当する書物であっても同じこと。「○○の子ども××が△△という改革を行った。結果、どうなった」「××は□□国に戦いを挑んだ。結果、こうなった」が延々と綴られているだけ。
正直、途中で挫折する。
「まぁ、物語自体はあるんだけどね……」
私は、がっくしと肩を落とした。
吟遊詩人や口伝として、地方の民話や架空の作り話を聴くことだって出来た。うん、吟遊詩人の唄は私も大好きだし、それはそれで至福の一時と言えよう。
でも、私は物語をページでめくって楽しみたいのだ。吟遊詩人のペースではなく、自分の調子で物語の世界を楽しみたいのだ。
だいたい、吟遊詩人に「ストップ、今のシーンを繰り返して」なんて頼むことはできないし、「もう一度、このシーンを確認したい」「伏線を確かめたい」ももってのほかだ。
本だったら、「あれ、ここ変じゃない?」と思ったら、すぐに戻って、じっくり自分で考察しながら噛みしめることができるのに……。
「あー、退屈!」
物語本が何処にも見当たらないなんて……。
この国で1番本が所蔵されている場所は、たぶんこの書庫だ。そこに物語本がない以上、他のどの書庫を探したところで見つからないだろう。
私は、傍の机にもたれかかった。シルフィードがすかさず「はしたないですよ、姫様!」と注意を飛ばしてくるが、無視することにする。
「吟遊詩人の物語は本に残さないの?」
「いや、そんなことをしても意味ないでしょうが。紙の無駄ですし」
「……」
原因はこれか!
私は、がっくしと机の上に崩れた。
つまり、物語は「残す価値がない」と切り捨てられているらしい。私は口元を軽く押さえながら、シルフィードに問い返してみることにした。
「……それを語る吟遊詩人が死んだら?」
「それは、そこで途切れるべき運命だったということでしょう」
くっ、この従者め。
運命を持ちだしてくるとは、姑息な真似を……。
「運命。たしかに聴き心地の良い言い訳ね」
「いや、事実ですけど」
「まぁ、かまわないわ」
私は建国正史を抱え込むと、野望を胸に立ち上がる。
シルフィードは、私の様子から何か感じ取ったのだろう。伊達に5年間、私の従者を務めてきたわけではない。シルフィードの青ざめた顔には「あー、なんか厄介なことに巻き込まれる気がする」と書いてある。
「あの……姫、様?」
「シルフィード!」
彼が何か言う前に、私は宣言することに決めた。
なにをするにも先手必勝。戦でも情報戦にしろなににしろ、先手を取った方が物事を有利に進められるのだ。……まぁ、例外はあるが。
私はコホンと咳払いを一つし、堂々と宣言する。
「これから、国中の物語を一冊の本に纏めるわよ!」