1冊目 人生に欠かせない調味料
リディナ・ベルジュラックは、どこか物足りなさを感じていた。
父からの愛情を受け、不干渉気味だが母親も存命している。
末席とはいえ「王女」という立派な地位もあった。
容姿は地味だが、別に不満はない。
他の兄姉たちと比較すれば平凡な顔立ちで、せっかく美人な母譲りの金髪も艶がなかった。ただ、焔色の瞳だけは自慢だ。どこから遺伝してきたのか分からないが、少なくとも自分では綺麗だと思うし、気に入っている。だから、この容姿で満足だ。
むしろ、私の立場では多少地味な方が丁度良いのでは?とさえ感じている。
金銭も使える額が少ないが、そこまで不自由でもない。
末席という立場と後ろ盾がないことが起因してか、他の兄姉たちより使える額が少なかった。でも、不平不満が起きない程度に切り詰めて使っているため問題ない。
食事も、ちゃんと色彩豊かな料理が三食しっかり並ぶし、衣服は肌触りの良い絹で作られていた。王城に一室を構え、1日政務に追われることもなく悠々と過ごすことができる。
むしろ、政治的な闘争に巻き込まれることがない分、有力な後ろ盾のある兄姉様たちよりも優雅に落ち着いた生活を送っているのだ。
だから、なにひとつ不自由のない暮らし。不満な要素なんて、どこにもない。むしろ、これ以上の質を求めるとキリがないだろう。
……そう、これが丁度よい。丁度良い、はずなのだが……
「やっぱり、なにかが物足りないわね」
12歳になった私は、庭を散策しながら呟いた。
国有数の庭師によって整えられた庭園は、異論なく美しい。咲き誇る花々や完璧に整えられた植木もさることながら、薔薇のアーチを進んださきの小奇麗な池も目を惹く美しさだ。小さな橋を渡れば、洒落た東屋に辿り着く。ここから眺める白亜の城は一際輝いて見え、午後のお茶会を楽しむには絶好の場所だ。
「物足りない、でございますか?」
なにげない呟きを拾ったのは、従者のシルフィード。後ろで1つに結わいた栗色の髪と、なよっとした雰囲気が特徴的な青年である。シルフィードは小首をかしげると、東屋から眺める庭を一望した。
「王国中、いや世界中探しても、これほど素晴らしい庭はありませんよ?
もし、姫様が不満なのでございましたら、庭師との謁見の機会を設けましょうか?」
「いいえ、庭が物足りないんじゃないの。なんというか……言葉で表現できないんだけどね」
「よく分かりかねますが、とりあえず茶の支度をいたしますね」
シルフィードは微笑むと、慣れた手つきで茶の支度を始める。
シルフィードの淹れる茶は、文句なく美味しい。たぶん、茶葉が良いからだろう。茶葉のグレードを上げてから、格段に美味しくなったのだから。
お茶は好きだ。
心が落ち着くし、茶と共に嗜む焼き菓子だって好きだ。口の中で溶ける甘さが愛おしい。
「……」
それなのに、私の心を満たしてくれない。
私は椅子に腰かけると、テーブルの一点を見つめる。
後一味、なにかが足りない。
そう、たとえば、朝食は目玉焼きなのに塩がないような。ケーキの上にイチゴが乗っていないような……人生に欠かせない調味料が足りないような……
「っ!? 姫様、危ないっ!!」
シルフィードの叫び声で、ふと顔を上げる。
そのときだ。突如、鈍器のようなもので後頭部を殴ったような衝撃が奔ったのだ。私の目の前で星が飛び散り、くらりと視界が揺れる。
……これは後で判明したことなのだが、兄の投げた小石が、みごと直撃したらしい。
「姫様、大丈夫ですか!?」
遠くなる意識のなか、シルフィードが駆け寄ってくる音が聞こえてきた。平気だ、と答えるため顔を上げようとした瞬間だった。
「うっ!?」
一冊の書物が脳内に浮かび上がった。
それから、次々と書物が現れ、それを読むかのように「柳 咲良」として過ごした経験が蘇ってくる。ぐるぐる目が回るほどの膨大な記憶が、波のように12歳の私に流れ込んでくる。
「姫様!?」
シルフィードの声に、返事をする事すらできなかった。
とてもではないが、情報の洪水に耐え切れない。
そのまま熱に浮かされるように倒れ込んでしまい、目が覚めたのは3日後――。
そのときには、柳 咲良として生きた「前世の記憶」を思い出していた。そして、私は1つの重大な事実に辿り着く。
「いやー、姫様。一時はどうなることかと思いましたよ」
「……」
「……姫様?」
シルフィードが怪訝そうに覗き込んでくる。私は小刻みに震えながら、薄い笑顔を浮かべた。
「私、分かったの……なにが足りないのか」
「足りない、でございますか?」
取り戻した前世の記憶。
記憶を辿ってみれば、前世の私は性格も容姿も平凡で、とくに取り柄らしい取り柄もない女子高生だった。これといって専門的な知識もなく、王族として役に立つことは何もない。
私は特筆すべきところを見つけられず「前世かだからなに? 今の私とは関係ないことよ」と割り切ってしまおうとしたとき、前世の私が抱いていた趣味に気づいたのである。
その趣味に気付いたとき、私は「人生に足りない一味」が分かったのだ。
「本が足りないんだ!」