14冊目 未来の義姉様
縦巻ロールの令嬢は、口元だけ笑みを浮かべていた。
よろしくて?と尋ねられているが、拒否を許されない強制力が伝わってくる。私は、ちらりとシルフィードに視線を向けた。
今日の予定を確認するため?
いや、違う。どうみても高位貴族の令嬢が誰なのか、確認するためである。
一度、有力貴族の子息令嬢たちには挨拶へ伺った。時間が押しているので、挨拶の時間は数分で、次から次へと挨拶に次ぐ挨拶を繰り返したせいで、顔と名前が一致していないのだ。目の前の令嬢も見覚えがあるのだが、名前がいかんせん。まったく思い出せない。
……まさか、王族の一員が有力貴族の御令嬢を知らないとは口が裂けても言えなかった。
「姫様、この後の予定でしたら問題ありません。
お気になさらず、クローディア・デルダグロス公爵令嬢とお過ごしください」
さすが、シルフィード。目くばせだけで、全てを察してくれたのだろう。シルフィードは静かに目を伏せながら、丁寧に説明してくれた。
その説明を聞いて、はたっと思い出した。
「と、いうことです。
私も、クローディア様とお話ししたいと思っていましたわ。私の義姉様になる予定の御方ですもの」
にっこりと満面の笑みを浮かべると、クローディアは満更でもない表情になった。
クローディア・デルダグロス公爵令嬢。
アルフォンス兄様の婚約者である。
「まぁ、義姉様なんて。気がお早いこと」
ほほほ、とクローディアは上品に笑った。笑うことで目元も若干緩み、少しだけ親しみやすい雰囲気になる。やはり「義姉様」と口にしたことが、効果的だったのだろう。
「こちらにいらして、リディナ様。立ち話も悪いですから、中に入ってもよろしくって?」
「ええ、どう――いや、クローディア義姉様を招待できるほどの部屋では……」
すぐさま、言葉を濁した。
仮にも王族の娘が、使用人と茶会を開いていたなんて外聞に悪い。いま、室内に入れるわけにはいかなかった。
すると、なにを勘違いしたのだろう。クローディアは、にっこりと微笑むと
「それでは、私の部屋でお話しいたしましょう?」
自分の部屋に招待してくれた。
「そんな、急に伺うなんて……迷惑ではありませんか?」
「いいえ、まったく。むしろ、リディナ様に来て欲しいのよ」
クローディアは、そう口にすると有無言わさず歩き出した。私はシルフィードと室内のガルーダ二、お供するよう目配せすると、クローディアの後を追った。
「ここが、私に与えられた部屋ですわ」
さすが公爵家出身だけあり、豪勢な一室だった。日当たりがよく、調度品も監査官の部屋より数倍質が良い。座るように促された椅子1つとっても、細やかなところまで複雑な細工が彫り込まれている。
「素敵な部屋ですね。そこの花瓶は、デルダグロス領の工芸品でしたっけ?」
私は、ガラスの花瓶に目を向けた。
ガラスの透明度に加え、花弁を思わす細工に目を惹かれた。花弁一枚一枚の色はもちろんのこと、花の皺まで丁寧に表現されている。その端正な技術は、前世のヴェネチアングラスを想起させた。
まったく、なんでガラス作成の技術は進んでいるのに、物語本がないのだろう? ちょっとだけ、不満が胸を横切った。
「ええ。あの花瓶は私のお気に入りのガラス職人が創りあげた一級品ですのよ」
「そうなのですか。素晴らしい腕の持ち主なのですね」
「領内の職人のなかでも、上位5名には入ること確実ですわ。そうですね! 実は今度、新作が発売される予定ですの。リディナ様も買い付けにいらしては?」
「善処いたしますわ。
それで、クローディア様? どのような御用件でしょう?」
ガラスの花瓶の話は、ここまでにしておこう。
美しいガラス工芸を見て楽しむのは嫌いではないが、購入するとなれば話は別だ。ただで貰えるなら貰っておくが、あきらかに値が張りそうな買い物をする余裕はなかった。
「ええ、実はリディナ様にお願いがあってね」
クローディアのご機嫌だった顔が、一気に曇った。
「貴方、最近のアルフォンス様をどう思いまして?」
「どう、と言われますと?」
「まぁ! もう、お忘れになって?」
クローディアの瞳が、僅かに見開かれた。
「数日前、アルフォンス様とリディナ様が歓談なさっていたときのことですわ。
あの礼儀知らずの令嬢と、アルフォンス様のやり取りのこと……私、遠目から拝見していましたの」
「あー……あの朝の出来事ですね」
私は扇子を広げ、口元を覆い隠した。
あの朝の出来事を思い出すと、いまでも苦笑いが浮かんでしまう。朝っぱらから、あの甘ったるい桃色空間全開は――あまり見たくない。それの主演が腹違いとはいえ実の兄ともなれば、なおのことである。
「アルフォンス兄様は、アタランタ子爵令嬢と大層仲睦まじく会話をなさっていましたね」
「ええ、まったく……アルフォンス様、あの女に骨抜きにされてしまって。
リディナ様は悔しくなくって?」
「悔しい、とは?」
私が尋ねると、クローディアの瞳に怒りの色が浮かんだ。
「子爵令嬢よりも軽んじられていることですわ。
お忘れになって、あの自己紹介を? 無礼過ぎるとは思いませんこと?」
私は視線を天井に向けながら、自己紹介を思い出す。
確か、あのときーー
『あぁ、こいつは俺の妹だ。紹介しよう、リディナ。
彼女は、ソフィー・アタランタ子爵令嬢だ。仲良くするように、リディナ』
と、アルフォンス兄様がソフィーを紹介したのだ。
あのときは、ソフィーとの初対面で緊張していたので、そこまで頭が回らなかったが、今思えばアルフォンス兄様の一発退場な紹介だった。
「あんな雑な紹介、ありまして?
出自がどうであれ、仮にもリディナ様は王の血を引く直系の御方。成り上がりの子爵とは、比べ物にならないくらい高貴な御方ですのに」
「……」
クローディア様、あなたも大概失礼ですよ。
と、いう言葉は、飲みこんでおこう。クローディアの言い分は、非の打ち所のない正論なのだから。
現代日本では、身分制度を考える機会なんて滅多にない。
でも、ここは異世界。
ベルジュラック王国は、身分制度がしっかり定まった階級社会だ。平民と貴族の階級差はもちろんのこと、貴族内でも階級は厳密に定められている。その頂点に立つのが王族であり、貴族のなかでも最下層に位置するのが子爵だ。
リディナの母親が娼婦であったとしても、父親は国王陛下。
リディナが王族であることには変わらず、ソフィー・アタランタ子爵令嬢よりも遥かに身分は高かった。
現時点において、リディナとソフィーが同じ場にいるとき、いかなるときでもリディナが上の待遇を受けなければならない。しかし、アルフォンスはリディナをソフィーより下に扱っていた。
「あのあと、休み時間を見計らい、アルフォンス様に忠言いたしましたのよ。
『身分の低い者の方から先に紹介はするものですわ。
さきほど、子爵の令嬢へリディナ様を“俺の妹だ”と敬称をつけることもなく紹介したのは礼儀違反ではなくって?』と。
そしたら、アルフォンス様は
『ソフィーは俺の未来の伴侶だ。将来的には、リディナより上の地位に立つ。だから、問題あるまい』
なんて、おっしゃられましたの」
クローディアは、そのときのことを思い出したのだろう。扇子を握る手に力が籠められるのが見て取れた。
「アルフォンス兄様……なんてことを」
仮にも婚約者の前で、堂々と愛人がいることを公言するとは……いや、別に悪いことではない。たしかに、現代日本では「この浮気男が!!」と殴り飛ばされても仕方ないことかもしれないが、ここは異世界。一夫多妻が認められている世界である。
……度が過ぎなければ、目を瞑るのが礼儀だ。
ただ、いくらなんでも呆れてしまう。
さすがに、婚約者の前で愛人発言はいかなるものか。
「ね、貴方もそうお思いまして!?」
クローディアは、熱を入れて話し始めた。
「いくらなんでも、第2王子が子爵の娘を優先するなんて変ですわよね?
ええ、別に子爵の娘がアルフォンス様の愛人の末席に居座るのは、別にかまわなくってよ。ですが、アルフォンス様の正妻は婚約者の私ですわ。その私を愛人ごときと天秤にかけて、愛人をとるなんて!!」
「……」
「でも、ルイーゼ様は『我慢しなさい』っておっしゃるのですのよ? 私、もう我慢の限界! リディナ様には監査官として、現状を告発してもらいたいですわ」
クローディアは、ぱちんと指を鳴らす。
すると、控えていた侍女が小さな箱を差し出してきた。ガラスの蔦が、箱に絡まるように装飾されている。この箱だけでも、シルフィードの給料5年分くらいの価値がある品物だ。クローディアは、高価な箱を器用に開く。
「これは、ささやかな気持ちですわ。どうぞ、お受け取り下さいまし」
箱の中には、黄金色に輝く小粒の石が詰まっていた。
間違いない、金だ。どこから見ても、砂金だった。ざっと見積もっても200個以上、ぎっしりと箱に詰められている。
これだけあれば、何人――いや、何十人の吟遊詩人を雇うことができるだろうか?
いや、そもそも、これだけあれば私的に物語を収集して楽しむことができるかもしれない。私は、ごくりとつばを飲んだ。
欲しい。
あの金が、喉から手が出るほど欲しい。
だが――
「申し訳ありません」
にっこりと微笑みながら――でも、内心は大泣きしながら――丁重に申し出を断った。
「私、監査官ですから。このような高価な品物を受け取るわけにはいきません。賄賂と思われてしまいますわ」
本来であれば、部屋に招待されるのも危ないラインなのだ。
密談だと思われる危険性がある。会うときは公式な手続きを踏むか、もしくは人目を忍んで会わなければならない。今回の場合、他の誰か――とくに、ソフィー一派に姿を見られた日には、あらぬ疑いをかけられる可能性があった。
「クローディア様の話は、心に留めておきます。
今後の監査の参考にさせていただきますわ」
このような証言があった、というのは有力な情報になるだろう。
私は腰を上げると、スカートの裾をつまみ上げる。貴族の令嬢としては、一般的な挨拶だ。
そう、私は間違っていない。
間違っていない、のだが……。
「……リディナ様、もしかして……子爵令嬢の肩を持つということかしら?」
クローディアは、眉間に皺を寄せて糾弾してきた。
……どうして、こうなった?