13冊目 良い噂、悪い噂
監査官就任 1日目。
「あー、もう疲れたー!」
私は部屋に帰るや否や、ぐてーとソファーに座り込んだ。
朝も早くから挨拶めぐりと自己紹介。授業と授業の合間を見繕って、有力貴族子弟へ挨拶に伺う。やっと監査官に与えられた部屋に帰れたときには、すでに夕刻。窓からは西日が差し込み、部屋を蜜色に染め上げていた。
「姫様! はしたないですよ!」
「いいじゃない、シルフィード。少しくらい休ませてよ」
本当は、そのままベッドにダイブしたかったのだ。
でも、それだと服が乱れるし、皺を直すのが面倒だ。だから、それをソファーで我慢している。そのくらい、目を瞑って欲しい。
「はぁ……たしかに、普段とは違う生活ですからね。
分かりました。少し休憩になさいましょう。お茶を用意するので、少々お待ちを」
シルフィードは部屋に備え付けられた給油スペースへ向かい、茶の準備をし始めた。シルフィードは、無駄な音を立てずに準備する。さすが、私の見込んだ完璧な従者である。
「お待ちしました、姫様。
本日の茶菓子は、黄金の薔薇亭の焼き菓子でございます」
シルフィードは、慣れた手つきでカップと焼き菓子を並べた。行儀よく並べられた薄茶色のクッキーが、白い皿の上に良く映えている。紅茶の香りと共に、クッキーの仄かに甘い香りも鼻孔をくすぐった。
「黄金の薔薇亭? よく買えたわね」
黄金の薔薇亭といえば、いま貴族子女の間で最も人気の高い菓子店だ。近い将来、王室御用達の認可を受けるのではないか?と噂までされている。故に、店は常に人で溢れかえっており、私の従者として忙しく働いている青年が簡単に買いに行けるわけがない。
「姫様、お忘れですか?学園長様からの贈り物ですよ」
「あぁ、朝一番に貰った菓子ね。話半分聞き流してたけど、これならもっと良く聴けば良かったわ」
「……姫様」
シルフィードが軽く睨んできたが、素知らぬ顔で居住まいを正した。
「お菓子が貰えるなら、監査官になって良かったかも」
私の懐は寂しい。
常に切り詰めた生活をしているので、黄金の薔薇亭の菓子なんて普段口に入るわけがなかった。せいぜい、ルイーゼ姉様のお茶会で1つ2つほど上品に頂戴する程度である。
「あの、リディナ王女? これは?」
私が菓子にはしゃいでいる横で、ガルーダは困ったような表情を浮かべていた。
最初、どうして悩んでいるのか分からなかったが、彼の視線の先――すなわち、テーブルの上を見て納得する。
「これはもなにも、それは貴方の分よ」
テーブルの真ん中には、黄金の薔薇亭の焼き菓子が鎮座している。その周囲を囲むように3つのティーカップが用意されていた。
1つは私のお気に入りのティーカップ。
1つはシルフィードのティーカップ。だから、あと1つはガルーダのために用意したティーカップである。
「貴方たちの仕事量は、他の従者たちに比べて多いでしょ?
だから、休憩は必要よ」
庭園での茶を嗜むときは人目があるので例外だが、それ以外――つまり、室内で午後の一服を楽しむときは、こうしてシルフィードと2人でテーブルを囲むことが多々あった。
「まぁ、それはあくまで休憩云々は建前です。
本当は『飲みきれない分の茶を捨てるのは、もったいない』という理由があります」
シルフィードも椅子に腰かけながら、淡々と事実を告げた。
「仕方ないじゃない。あのティーポット、ちょっと体積が大きいんだもの。
1人で飲みきれない分を捨てるなんて、非効率よ。その分、誰かに飲んでもらった方が良いに決まってるわ」
「それでしたら、新しいティーポットを買えばよいのに」
「まだ使えるでしょ? それに、ルイーゼ姉様からの頂きものよ? 捨てられるわけないじゃないの」
そもそも、一番初めに茶会を提案してきたのは、シルフィード本人である。
自分から提案してきたわりには、どこか落ち着かない様子で茶を飲んでいたが――まぁ、それは別にどうでもよい。
「ほら、いいから座りなさい。ガルーダ、命令です」
私が命令すると、ガルーダはようやく席に着いた。
一度座れば、さきほどまでの動揺を感じさせないくらい静かに座っている。そわそわと落ち着かなかったシルフィードとは正反対である。
「それで、シルフィード。
私の評判は、どんな感じだった? 正直に話しなさい」
紅茶を啜りながら、シルフィードに視線を向けた。
2人とも挨拶回りに連れて歩いていたが、それは午前中だけ。午後からはガルーダのみを護衛につけて、シルフィードは学園内の偵察へ向かわせていた。シルフィードの年齢は20歳だが、なよっとした外見のせいもあり、制服さえ着てしまえば学生に紛れることができる。
なにげなく廊下を歩いたり、学食に立ち寄ったりしながら、学生たちの噂話を集めておく約束になっていたはずだ。
「そうですね……」
シルフィードは焼き菓子を口の中に放り込むと、午後に集めた情報を話してくれた。
「『気品のある末の姫』『学園を正す救世主』『王族出身の監査官』『わずか12歳で監査官を任せられるエリート』というものがありましたね」
「そう」
予想以上に、良い噂だ。
もっと、悪い噂が多いと予想していたのだが……なんて、私が考えていると、シルフィードは、苦々しい表情を浮かべながら言葉を続けた。
「『ルイーゼ・ベルジュラックの手先』『気味の悪い赤眼の持ち主』『片腕の騎士を連れた変な王女』『下賤の姫』『部下の腕を切った狂人』『囚人を部下にした頭の狂った姫君』……こんな感じですね」
「……悪い噂の方が多いわね」
というか、ガルーダに関する噂が広まり過ぎだ。
まだ、彼を護衛騎士にして2日目だ。いくらなんでも、広まるのが早過ぎる。
「ちなみに、後半の噂はほとんど男子学生がしておりました」
「ソフィーね、情報源は」
ガルーダの腕を切ったとき、彼女は傍にいた。
十分、情報源としてはあり得る話だ。彼女は、なぜかガルーダを欲しがり、私を眼の仇にしていた。嫌がらせの類で情報を流すことは、ありえることだろう。
「まさに、学園を裏から操る女王様ってところね。
それで、女王様に反旗を翻す敵が私たちってことかしら」
完全に悪役だな、私。
ソフィーが敵にまわっている以上、男子側からの信用を得ることは皆無と考えていいだろう。
私の監査官という身分上、ルイーゼ姉様も表立って協力してくれないだろうし、もう完全に敵地だ。なんだか、胃がきりきりと痛みを訴えてくる。
あーあ、最初は「物語が読みたい!」ってだけだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか?
時間が空いた時にでも、学園の図書館に行ってみようか。どうせ、私の望む物語はないに決まっているが、香りと雰囲気だけでも楽しむことにしよう。
「はぁ……とりあえず、ソフィー・アタランタの動向に注意する。とくに、シルフィードとガルーダは彼女の魅了されないように注意すること」
「了解した」
「姫様、私がそう簡単に女性になびくとお思いですか?」
ガルーダは素直に頷き、シルフィードはどこか怒ったような口調で了承する。
「貴方が一番不安なのよ、シルフィード」
ガルーダは、自分を裏切らない。復讐対象である山賊を天秤に持ち出されない限り、彼から裏切ることは――しばらくないだろう。
一方のシルフィードは、非常に出世欲の強い男だ。ソフィーに私以上の利用価値があると分かった途端、そちらへ簡単に流れかねない。
「失礼な、姫様! 私は、姫様に忠誠を誓って――」
「頼りにしてるわよ、ガルーダ」
「姫様っ!!」
私は小さく微笑むと、焼き菓子に手を伸ばした。
はむっと口に含めば、とろりと舌の上で溶け、蜂蜜の香りがいっぱいに広がった。噂に違わぬ美味な焼き菓子だ。こんな状況にもかかわらず、うっとりと惚けてしまいそうになる。
「……もっと貰っておけば良かったわね」
「はしたないですよ、姫様。そもそも、これ以上頂戴した場合は、賄賂とみなされる可能性が――
っ、ガルーダ! 貴方は食べ過ぎです! 13個しかないのですから、姫様が5個、私ども使用人は4個ずつと決まっているではありませんか!?」
「……そういうものなのか?」
「そういうものです! あー、私の食べる分が!」
シルフィードの嘆き声が部屋に響き渡ったそのときだった。
こんこん。
扉をノックする音で、部屋が静まり返る。
こんな時間に来客とは、いったい誰だろうか?
「はい、なにか御用でしょうか?」
シルフィードが扉を少しだけ開けた。
この位置からだと、扉の向こうに誰がいるのか分からない。ただ、仄かに香水の匂いが漂ってきた。記憶が正しければ、ルイーゼ姉様も愛用している高級香水だ。
と、いうことは、ルイーゼ姉様が尋ねてきたのかもしれない。
それにしては、ずいぶんとシルフィードの対応が遅い。ルイーゼ姉様が尋ねて来たにしては、長い時間の押し問答が続いている。一体、誰が来たのだろう?
私は立ち上がると、扉の方へ足を向けた。
「シルフィード、どうかなさいましたか?」
「監査官様、ちょっとよろしくて?」
そこには、縦巻ロールの御令嬢が佇んでいた。いや、立ち塞がっていた、と表現する方が近いかもしれない。
取り巻きと思われる女子生徒たちを従え、きつく腕を組み、鋭い視線で私を見下ろしている。
「私、お話ししなければならないことがありますの。お時間、よろしくて?」