プロローグ
柳 咲良の鞄は、本でできている。
筆記用具や必要最低限の教科書が、鞄体積の3分の1。3分の2は、学校の授業とは関係のない文庫本だ。
1冊目は、今読んでいる本。
2冊目は、1冊目を読破してしまってから読む本。
そして3冊目は、2冊目も読み終わってしまった時に開く予備の本だ。
教科書以外に文庫とはいえ、3冊も余計に通学鞄に押し込んであるせいだろう。通学鞄は切れそうなくらい膨らんでいるが……そこは、まぁ別に気にならない。
私は、本さえ入ればよいのだ。
ファンタジー小説の不思議な世界観に身を投じる感覚が好きだし、赤面してしまうような甘い恋愛物語も好きだ。犯人は誰だ?と、頭を働かせる探偵小説に、夜にトイレへ行けなくなってしまうような恐怖が体感できるホラー小説、そして、SF小説が描く未知の発見に胸を躍らす静かな興奮も大好物だ。
文学もライトノベルも童話も絵本も!! もう全部ひっくるめて大好きだ!!
本があれば、もう何もいらない。
私は、非常に充実している。本、ラブ! 恋人は本のリア充なのだ。リア充、万歳!
……ただ、1つ不満がある。
それは、お金がないこと。
私は学生で小遣いが少ないから、1ヶ月に買える本の量が少ないのだ。
私の小遣いは、1ヶ月3000円。
欲しい新刊を2,3冊買っただけで、かなり財布が軽くなってしまう。その上、売り棚の本に一目惚れしたり、巷で話題になっている本を購入したりしているうちに、ふっと気がつけば財布の中身が100円以下になってしまうなんてことも日常茶飯事だ。
ちなみに、財布の中身が尽きないように「本を買わない」という選択肢はない。洋服代や昼飯代など全てを切り詰めて、本に投資する。それでも、財布は一向に軽いままだ。
本音を言えば、バイトをして稼ぎたい。
でも、私の通う高校は悲しいことにバイト禁止だ。こっそりとバイトした結果、先生に見つかって退学なんてことになったら、目も当てられない。
つまり、私は月3000円の軍資金でやりくりしないといけなかった。
……となると、既に読んでしまったお気に入りの本に耽るしかないわけなのだが、やはり2度目以降では興奮の度合いが若干冷めてしまう。「このさき、どうなってしまうのだろう?」という疑問がないので、最初の時のようなスリルを感じないのだ。
2度目で伏線を愉しみながら読むのも面白いが、さすがに3、4度を超える頃になると飽きが生じてくる。そうなると、やはり新しい本との出会いが欲しくなるものだ。
そんな私の苦悩に対し、数少ない友だちは
「ならさ、ネット小説を読めばいいじゃん」
と助言してくれる。
友だちの言う通りだ。ネットの小説は、無料で楽しめる作品が多い。そのぶん、玉石金剛で鉱脈の発掘には時間がかかるのだが、一度山を当てれば大儲け。スマホのタブレットを通して浸る世界は、時間を忘れさせてくれる。
しかし、私はネット小説は大好物だ!と言える自信がなかった。
なぜなら、ネット小説は悲しいことに「完結」を迎える小説が少ないのだ。虜になった作品に限って、最終更新日が「3か月前」とか「1年以上前」とかだったりする。「ここから面白くなるぞ!」「それで、どうなってしまうんだ!?」というところで、止まっていたりする。世界の謎が解き明かされぬまま、永遠に更新されない小説も多い。
もちろん、今後の展開を妄想するのも構わないが、やはり続きが読めないというのは、むずむず背中がかゆくなった。
だから財布の中身が底を尽きて、2日3日くらい経つ頃には、私の「新しい本を開拓しに行きたい」欲求不満がピークを迎える。これを発散しなければ、万引きに奔りかねない。
そんなときは、今日みたいに図書館を訪れるのだ。
まずは、いつもの席の確保に向かったのだが――生憎、今日は同じ高校の子が座っていた。隣のクラスにいたような顔だったが、話したことはない。同級生は教科書を開いたまま、スマホでゲームをやっていた。イヤホンを耳に押し当て、小さな声で
「ん~、アルフォンス、カッコいいよー。乙女ゲー最高!」
と呟いていた。スマホ自体もコンセントに繋がって充電していたので、完全にゲームをしに来たのだろう。
ただ、文句を言う気にはなれない。
口論なんて他の人に迷惑だし、なにより喧騒は図書館に似合わない。そこから2つほど離れた席を確保すると、すぐに本棚へと足を運ぶことにした。
私は本棚の間を歩きながら、面白い本はないかと目を凝らす。
古書の香りに包まれながら、のんびりと本で埋まった回廊を歩く至福の時。さきほどまでの不快な気分が、ゆっくりと浄化されていく。
「あー、最高」
私は、感嘆の息を吐いた。
日本中、否、世界中の本が一か所に集められた空間。あぁ、なんて素晴らしい世界なのだろう。
よく「死ぬときは、金の臭いに包まれて逝きたいものだ」と言う人がいるけど、私なら「死ぬときは、沢山の本に包まれて死にたいものだ」になる。
なんて考えた矢先のことだった。
「えっ?」
ぐらりっと世界が揺れる。
それは、地震だった。
ちょっと大きいな、避難が必要かな、と思った時には既に遅い。がらがらという不穏な音に顔を上げると、100を超す分厚い辞書級の本の山が崩れ落ちてくるところだった。
あっ、死んじゃうんだ。
降り注ぐ本の山が、やけに遅く感じた。
たしかに「本に包まれて死にたい」と願っていた。
でも、別に今すぐ死にたいわけではないのだ。学校を卒業したら本に関わる仕事をして、親孝行をして、優しい男性と結婚して、子どもや孫に恵まれて――その傍らには 常に本があるような――ささやかで幸せな人生を満喫したかったのに……。
数秒後、柳 咲良の世界が暗転した。