エンペラー帝国とアウロラ教国、異世界の国は頭おかしい
ついに新世界統治戦線を出ることになった。
スイートが二人分の関税を支払い、私達は馬を進めた。
「今から出れば六時にはエンペラー帝国に……つまりはアウロラ教国に着くわ」
私が持っていた腕時計は時間が狂っているために使えないが、スイートの懐中時計には現在午前八時と出ている。
南には一面の茶色い土の荒野が広がっている。それを進めばエンペラー帝国に着くそうだ。
「それじゃリナ、大切な話をするわよ」
「それって、昨日みたいにチョコレートをどう分配するかと比べてどれくらい大切?」
ホテルで三泊、スイートと話した中で最も弾んだ話題はお菓子のこと、特に実物のあるチョコレートだった。
残り四ピースのチョコレートを、スイートは全部一人で食べることに決め、それぞれ、エンペラー帝国、アウロラ教国、中立魔導、レベルレット三王国に入国する時に一ピースずつ食べることに決めたそうだ。
彼女の鬼気迫る説得に、馬鹿らしいと思って私は思わず全部譲ったが、それこそ彼女の交渉術なのかもしれない。チョコレートをタダで全てあげるなど、彼女にとっては大成功の仕事だったろう。
「それくらい重要な話よ。チョコに匹敵する話なんて、そうそうないけど」
スイートは真面目腐った顔をするけれど、本当に重要かどうか少し疑わしい。
「アウロラ教国での、立ち回りの話よ」
柔らかな笑顔を讃えていた彼女の顔は、すっと鋭く冷たい目に変わった。
「話してみて」
この国の、いやこの世界の文化を私は知らない。それはスイートとハングドマンに聞く他ないだろう。
「そのハングドマンさんに聞いているかもしれないけれど、アウロラ教は、今は特にそのルールを守ってて、それによると商人は悪なの」
「商人が悪? ああ、そーゆー宗教なの?」
確か昔の日本でも、ただ商品を運ぶだけで金をとる商人を、作り出す農民などより蔑視するという考えがあった。アウロラ教ではそれが顕著なのかもしれない。
「そ、だからアウロラ教国では必要以上に商人であることをアピールしない。向こうで使うお金は全て向こうで働いて稼いだものを使う。いい?」
「ちょっと待って、それって今持っているお金は使っちゃ駄目ってこと?」
「ええ。卑しいお金って思われて使えないから、入国の時に持っているお金を全て預けるの。また南側から出る時には返してもらえるから、向こうでは働きながら進むことになるわ」
そんな制度は全く聞いたことがない。だが、いかにそのアウロラ教というものに国が執心しているかはよくわかった。
「それは分かったわ。他に厄介なことはないの?」
「私が前行った時はそれくらいね。その分向こうは働き口が多いから、問題ないわよ」
それを聞いて、私は恐怖と興味を覚えた。
まさか私がまともな労働をすることになろうとは。それも異世界の、異文化の国で、だ。
他愛もない雑談の後、一つだけぽつんと門があった。
馬車が一台通るかどうか疑わしいほどの小さな門の両端には、槍を交差させた金メッキらしき鎧を着た番兵がいる。
「行商人スイートです、入国、いいですか?」
「ふむ、では……」
番兵の片方が私とスイートの顔をじっと見た。
そして荒々しく言った。
「大人一人分、青目一人分だ」
「青目一人分?」
スイートが聞き返すと、兵達は意地悪そうに笑う。雲行きが怪しくなってきた。
「ああ、青目は我らがエンペラー様を貶めたワールドと同じ目を持つ者、つまりかかる税は大人の十倍になる」
「十倍!? そんな無茶な……」
「でなきゃ払わなくていいぞ。その代り、ここは通さん」
わざとらしく槍をぶつけ、交差させた。スイートは音に驚くも、懐からもう一つの金貨袋を取り出した。
「仕方ない、もってけ兵隊」
「へっ、悪いね」
……いかに見知らぬこの世界のことといえど、気分は良くないものだ。
そのまますぐにアウロラ教国に入ることになる。
「さっきは、悪かったわね。私のせいでお金を多くとられたみたいで」
私が謝ることではない、そのために謝罪ではなくただ自分の存在を過ちと認めたとして私はそう言った。
けれど彼女は、行商人のくせして笑顔で答える。
「いやいいよ。謝ってもらわなくても大丈夫だよ」
「謝ってはないわ。ただ自分の目が悪いって言っているだけ」
「でも、それはリナの所有物でしょ?」
スイートは妙にニコニコしている。私は一つ思い当たってチョコを取り出した。
「これ、アウロラに入るから、もう二ピースもなくなるわね」
「そうね! ありがとうリナ! 本当に!」
私は半分に折ったチョコを手渡すと、彼女はそれをまた半分に折り、片方をバリバリと噛み砕き、もう片方は名残惜しげにゆっくりと舐め溶かした。
ここまでおいしそうに食べられると、私も食べたくなってくる。彼女をコマーシャルに起用すればきっとチョコレートの売り上げはもっと上がるだろう。
「でも、お金は別問題だからね」
彼女はホクホク笑顔で、何やら不穏なことを言った。
「……許してくれたんじゃないの?」
「まさか! ブラン金貨三百枚分の借金! 親友ルールで利子はなくていいから、ゆっくりと返して」
いつの間に親友にされていたのか、そんなことはどうでもいいと思えた。
(ハングドマン、ブラン金貨って一枚どれくらいの価値?)
『俺がこの世界にいた頃なら、三千円くらいかな』
(というと……計算できないなー)
『九十万円、というより百万円に近いかもな。しかし国通るのに九万とか十万するのか。エンペラーの息子さんもあこぎな商売してるなぁ』
(それどころじゃない! 百万円なんてどう返せばいいのよ!? 私は人望と信頼だけで色々と賄ってきたのよ!? 百万円ってどれくらい働いたら返せるの!?)
『俺が知るか。ま、精々世間の荒波って奴にもまれろって』
貸し借りはしたくない。だがこれはあまりに、私には難しすぎる。
「ねえスイート、ちょっと待って、私にも言い分が……」
「あ、ほらリナ。あれがアウロラ教国だよ。もう見えてきた」
十字の紋章を象った豪奢な門と城壁、その中にはきっと整然とした街並みがあるのだろう。
「いやそれよりもスイート、お願い話を聞いて。私は……」
スイートは私を押し黙らせるように、私の唇に指を当てた。
「いい、リナ。世の中は金と甘いものに勝るものはない。あんたの目のせいでもう中立魔導とレベルレット三王国に入るためのお金も払えないの。分かる?」
「分からない! 聞いてないわよそれは!」
「つまり! アウロラ教国でそれだけのお金を稼がないと一生この宗教国で商人だと馬鹿にされながら生きていくしかないの! 分かったらキリキリ働く! いい!?」
有無を言わさぬスイートの迫力に、私は押し黙った。
今度はバケツを被ったような兜の兵士に、スイートは金を渡している。
けれど私は呆然とそれを見るだけだった。
アウロラ教国。
一心不乱に馬車で進み続けるなら一週間もかからないそうだ。南北に広がる国で城壁は厚く、常に外敵の脅威に曝されながら、国民全員が魔法を教育されており、兵は精強。
建国以来からずっと教皇による一党独裁が行われているらしく、非常に保守的ながら、教典に忠実な堅実な政治で長く安定しているらしい。
人口は一千万を切るかどうか、というほど。この大陸の規模を何となく鑑みることができそうだが、深く考えるのは無粋だ。
今はこの世界を楽しむのだ。
この宗教国の入国に際し、私とスイートは奇妙な服を与えられた。見れば思わず笑ってしまうような、そんな服だ。
「国内の女性には全員これの着用が義務付けられている、らしいですね」
「そうですねスイートさん、これは何の冗談なんでしょうね」
上下黒のビキニ。
私はこの服の呼び方をこれ以外にも知っている。セクシーな水着だの、馬鹿が切る布きれだの、けれどこんなものを切るのを義務付ける馬鹿がどこにいるんだ。
馬鹿、もう馬鹿だ。この世界は馬鹿しかいないんだ……。
『しっかりしろリナ! 現実逃避はやめるんだ!』
「現実逃避だってしたくなるでしょうよ! 馬鹿じゃないの!? はぁ!? なんでこれ着るの!?」
確かに熱帯林に入るための、長袖長ズボンの厚着しかなかったが、この寒い中どうしてビキニで町中を闊歩しなければならないのか。
しかし、結局は私もスイートも着た。
「……寒い」
「……っかしーなー、私が前に来た時はこんなルールなかったんだけど……。あ、ほら町! 町よ、リナ!」
スイートが馬車から降りながら前を指さす。
けれど私はまず背後の通ってきた城壁のトンネルを見た。シャッターのように上から岩盤のような分厚い扉が閉まる。国の防備はきちんとしているのに、何故人をこのようにするのか……。
そして前を見た、白い壁と緑の屋根の建物ばかりだが、ところどころ黒いヴェールに包まれたような奇妙な小屋がある。
『普通の家と、いわゆる教会ってやつの区別だな。人民は白き土と緑の屋根にて住むべし、みたいなのがあったんだよ。ま緑の屋根ってのは植物の葉っぱを屋根にしてた大昔の話が教典に乗ってただけで真面目に取り扱う奴はいなかったんだが……』
新しい教皇は、どうやら極端な教典主義者らしい。だが意味を間違えて理解するのは神に反することだろう。
「寒いわ、この国も」
私は呆れて溜息を吐いた。すぐに息は白くなって消えていく。
町を歩く人々は、男は元の世界の神父のように丈のある暖かそうな服を着ているのに、女性は黒いビキニをつけていた。
(ハングドさん、この黒ビキニは?)
『知らん。俺だってそこまで詳しくはねえからな。黒い理由なら分かるが、こんな薄着のわけはなぁ……』
両腕をひっしと縮めて、私はゆっくりと歩いた。
午後八時、入国に成功してから二時間が経った。
私は震える体を馬にすり合わせる。その様子を見ていたスイートが後ろから呟く。
「……どうしよっか?」
「……話が違うじゃない……」
私が震えているのは寒いからだけじゃない。この怒り! 不安! 恐怖! もう狂いそうだ!
「十二件、交渉の末に断られて、何が働き口が多い、よ。就職氷河期真っ青よ。氷河期みたいに寒いし真っ青になるくらい寒いし……ギャグも寒い……」
自分でも思い出せないほどに取り乱していると分かっている。それでも言葉を止めることができない。
素直に、こんな屈辱が初めてだと知った。今までこの身一つで色々な事案に対処して自信をつけていたのに、今回はどうもうまく行かない。
「……仕方ないね、最終手段に出ようか」
「最終手段? 何でもいいわ、この際、藁にでも縋りたいの」
「じゃ、馬を走らせるよ」
一体彼女はどこに向かおうとしているのか、私はそれは聞かないことにした。
知らない方が、恐怖する方が興奮する時もあるのだ。
「ところでリナ」
「なに?」
「肌綺麗だね」
「ありがとう」
「お尻も大きいね」
「なに? そういう趣味?」
「いやいや」
奇妙なことを言っているが、恐らくスイートは自分が言ったことがうまく行かないため、私を褒めることで取り繕おうとしているのだろう。意識的か無意識かは知らないが。
「スイートも肌は綺麗よ。胸もお尻も控えめだけど」
「なっ!? 言ったなぁ!?」
ぽんぽんと肩を叩いてくるスイートの手は温かかった。
スイートは何も悪くないのだ。悪いのはこの国のトップにいる馬鹿どもだ。一言くらいは文句を言いたいところだ。