異世界より
幻想的な青い大地にて、ドローム数体と戦争党の兵を数人、スターは簡単にいなした。
そういう危険は多少あったものの、初めてここに放り出された時より安全に進んでいる。
そしてついに――
「神殿……」
ギリシャのパルテノンを思わせるような、日本で言うと平等院鳳凰堂かしらん? 立派な造りの建物はけれど門もなく、荘厳な柱に囲まれた洞穴のような入口は暗黒の中へといざなっているようだ。
「ここだな」
ホオフが呟き、馬車をその傍に止めた。
「では、私はスターと共にしばらく調べる。離れないように、リウスと共について来い」
言われずともそうするさ。突然背中から刺されるとか絶対に嫌だし。
中は青い大地の岩を切り出した部分などもあるのか、群青の石や大理石のような石で造られている。
薄暗い青い大地なのに、この空間だけ照明が照っているように明るい。不思議だ。
最も開けた部分に台座があり、その奥に広いスペースがある。
その空間の地面にも幾何学模様のような複雑な図形と、私にもハングドマンにも理解できない文字が細かく刻まれている。
「これは……石板だな」
興味深そうにスターが呟いている。学のないハングドマンには読めない字らしく、普通の文字なら理解できるのに、これは全く理解できなかった。
「明らかに魔法陣、って感じね」
「魔術の呪文もある。リナ、これなら私でも……」
スターが笑顔と共に言う。ちょっと悲しげなのは、別れを悟ってだろうか。
いやぁ、長かった、これで一番がいなければ本当に気分がいいのに。
「ともかく善は急げだ。私が呪文の解析をする。スターは魔法陣を頼む、リウスは入口を見張ってくれ」
ホオフが指示を飛ばすと二人はてきぱきと移動を始めた。
この魔法陣のあるスペースに至るまで、入り口から長い廊下がある。一番が来ても無事にスターが迎え撃てるだろう。
「危険だったらすぐ言いなさいよ、リウス」
リウスは無言で頷く。
にしても、この建物は丈夫なんだろうか? 先に一番が見つけて、私達が入った後に崩す、なんてことも無くはないだろう。
ああ、不安不安、素直に別れの悲しみを感じる余裕もない。
けれど死の恐怖は取り払われている。
こんなところで死にたくない、死ねない、そんな気持ちが、死の恐怖に真っ向から向かう意志が、恐怖を取り除いているのだろう。
(真正面から恐怖を超える、そんなこともできるのね……)
『しみじみ思っている場合か。お前は……そのど真ん中とか行けばいいんじゃね?』
魔法陣の真ん中、いかにも、な場所だが今はスターの邪魔になる。
適当に、邪魔にならない場所で待つことにした。
私って凄く足手まといしているなぁ。この旅で役に立った試しがないんだけど。
……思い返せば、アウロラ、中立魔導、レベルレットでは破竹の勢いだったわね。国変えてるもん。
でも、どれも仲間がいなければ成功しなかった。
シーナは若いけど頼りになるし、教皇なんてもっと子供だけど、だからこそ変われた。
ウラルドとジャッジメントには結局会えなかったな。あとアルカ、今スターと一緒にいるって言ったら悲しむかしら?
馬鹿みたいだと思ったけど、三人の王も意外と役に立ったわね。
そういえば私って結構モテたわね。そう考えたら異世界も悪いもんじゃないかも。
スイート。
やっぱり彼女のことが忘れられない。永遠の別れになるのは皆同じかもしれない。それでも、死なせてしまった彼女のことは、強い思い出になる。
「スイート・スー、彼女のことは絶対に忘れない。私が覚えなくちゃいけない」
人は肉体が死んだ時に一度死に、皆に忘れられた時に再び死ぬ、と誰かが言っていた。
彼女の柔らかい髪を、赤い目を、甘いものを食べた時の笑顔、唾液が垂れて恥ずかしがる顔、ちょっと意地っ張りなところ、すぐ辛そうに笑うところ。
忘れない。
「一番が来た!」
リウスが跳ねるように駆けだすと同時に、スターも入口へと駆けだす。
「誰一人とて逃がさん!」
一番の叫び声。既に細い廊下の中、私が見えないところでスターと一番は戦っているのだろう。
「私も同じ気持ちだ。もう貴様を逃さない」
静かなスターの声は、強い決意が感じられた。
奇策を使えぬ空間ならば、きっと。
「秘剣・光星」
一番の断末魔が聞こえた後、スター一人が戻って来た。
「さあ、作業を続けよう」
これで終わったのだろう。
「リナ、その円の真ん中に座ってくれ」
言われるがまま、私は魔法陣の中心に腰掛けた。
動くのしんど。
「ホオフとリウスは念のためにリナを守るように、魔法陣の周りに立ってくれ。恐らく巻き込まれれば、君達まで異世界に行ってしまう」
「それはそれで面白そうだがな、ははは」
ホオフが笑うと同時に、リウスもちらちらと私を見る。
そういえばリウスは異世界に来たがっていた。絶対に大変なことになると思うけど。
「私はこの台座から魔力を送る。呪文の解析も成功しているし、カード化することもなければ、魔法陣の中以外の誰かが移動することもない」
「ハーミットはそれを一人でしたのよね? どうやったんだろ」
「それを知る必要があるか?」
「スターったら冷たい。折角最後の時なのに」
ぶー垂れて文句を言うと、彼女はムッとした様子で解説してくれる。
「DNAというものがあるだろう? 髪の毛などをその魔法陣の中に入れて、ハーミット自身がこの台座で呪文を唱えれば、それで遠くの人間も移動させられるんだ。それで、ハーミットは自分の髪や爪やらを魔法陣の中に入れたんだろう!」
こっちの世界でも丑の刻参りみたいな魔術には髪を使うものだ。個人の特定、にはそういうものなのだろう。
「じゃあスターの髪の毛とかも入ってたんだ。へー」
大事な時に茶化されたからか、スターはまだ怒っているみたいだ。
「まだ何かあるか?」
「別にスターじゃなくてホオフにやらせればよくない? ……できればスターに傍にいて欲しいんだけど」
ちょっと恥ずかしいけど言ってみた。すると彼女も顔を赤くして言う。なんだこれ、恋?
「呪文を途中でやめると、取り返しのつかないことになりかねない。彼を信頼していないわけではないが、私なら刺されながらでも呪文を詠唱する所存だし、何より、私が君を元の世界に帰したいんだ」
彼女なりの我儘なのだろう。それは別に構わない。
「じゃあさスター、星奈に言っておきたいこと、ある?」
虚を突かれ、口籠るスターは、少しの間の後、語った。
「私が元気で、常に公明正大に自分の信じる騎士道を進めていることを伝えてくれ。そして星奈がきちんと毎日三回歯を磨いて、夜更かしをしないで早起きをして、嫌いな野菜も食べて……」
「はいはい、もっとなんか直接の言葉はないの? そんなのスターに言われるまでもなく教育番組を観ればいいから」
何なら八時に全員集合する奴を観てても言われるから。スターとバカ殿が同じレベルになっちゃうから。
「……君が君の信じる道を進んでいるなら、それが人から悪と言われようが、私はそれを信じる、と」
「君が君の信じる道を進んでいるなら、それが人から悪と言われようが、それを信じる。覚えた。絶対に伝える」
私の命にも少しの価値が出たかな。
「それでは、準備に入る。呪文の詠唱に入ると私は動けないし、言葉も自由に紡げない。今のうちに何かあれば言ってくれ」
「じゃあさ、ホオフとリウスは私に言いたい事ないの? 最後よ?」
少なくともホオフは何かあるだろう。なんせ積年の恨みがあるだろうから。
いや、もう恨みはないか?
「そうだな……、後で言おう」
「ギリギリで言うのね」
彼は呪文がどれくらいかも知っているだろうから、タイミングには困らないのだろう。
「私は、ついて行きたい」
「それは勝手にしていいよ」
リウスにも適当に返事をして、スターにOKサインを出す。
「……では、始める」
そしてスターが意味不明な言葉をつらつらと紡ぎ出すと同時に、魔法陣の図形と文字が輝きだした。
「おおおお、それっぽい! 凄くそれっぽい! げほげほぉっ!」
「無理するな、リナリーベルト」
無理をしたくもなる。だってこの世界で初めて魔法っぽい魔法を受けているのだから。
「しかし、この世界の魔法を受けない私が、これ通じるのかしら?」
「物理干渉なら効くだろう。この魔法も空間転移という物理干渉するもの。現にグフトの苦痛魔法というものは効いたのだろう?」
ああ苦い思い出。でも確かに魅了するとか未来を読む、みたいなのは効いてないけど、効いている魔法もあるわね。スイートの糖分魔法とかでも殴られたら痛いに決まっているし。
「……最初は本気で殺そうとしたがな」
「え?」
「血を吐く想いで手に入れた未来魔法を、得てからはつまらぬ日々だった。何も分からぬというのは、楽しかったぞ、リナリーベルト」
これが彼の言葉か。
「私も最初は怖かった。でも、あなたには助けられた」
ホオフと目が合うと、彼は優しく笑っている。
私は、彼の穏やかな笑顔を初めて見たかもしれない。
「リナ、私も……」
リウスが何か言うと同時に、けたたましい足音が聞こえた。
「リナ・リーベルトォォォォオオオオオオオオオオオオオ!!」
スターを飛び越えて現れたのは、紛れもなく一番だった。
「なんで!? 死んだはずじゃ!」
「あれは我が力の九割九分! 今の俺はたった一人だ!」
言いながら彼は一本のナイフを持っていた。
だが、こっちには槍を持ったホオフと鉄爪をつけたリウスがいる。
「この力じゃ、身動きが取れないスターにすら勝てない。だが、貴様だけでも道連れだ!」
死ぬ気、復讐のために、私を殺すためだけに、自分の力の全てさえ犠牲にして、この時を狙った。
「させない!」
リウスが鉄の爪で切りかかった。だがそれを彼は、腕の一本を犠牲にして受け止めた。
血が噴き出て全身タイツは切り裂かれたが、彼はそれを腕の骨で受けたのだ。
「ガキが調子に乗るなっ!」
相討ち覚悟の一番がリウスを蹴飛ばし、その体は私がなんとか受け止めた。
「大丈夫!?」
「くっ……平気」
次にホオフが間に立った。
槍の一撃は簡単に一番の体を貫く。雑魚同然の全身タイツが、血に染まっていく。
けれど、彼はそれを気にせず、貫かれたままずんずんとホオフに近づいた。
「馬鹿な! 貴様……」
一番は無言でナイフを振り下ろす。
ホオフの顔面を思い切り傷つけた。
「ぐああああっ!」
ホオフまで、槍を手放し転げ回った。
そして、片腕をぶらんと垂らし、腹に槍が突き刺さったままの一番が、私の前に立った。
荒い呼吸と血の滴る音が、前後に揺れる一の仮面が、恐ろしい。
だが私とて何もせずに座っていたわけではない。
「変身!」
即座に伸びたベロは彼の首に巻き付いた。
だが、それすら切られる。
やはりこの体じゃ戦えない!
「くっ……人を呪わば穴二つ、ね」
復讐に身を狂わせた私が、復讐者に殺される、というのも道理だろう。
不思議と恐怖はない。こんなものか、という諦観はむしろ納得いくものだろう。
リウスをぎゅっと抱きしめた。
「泣き叫べ、リナ・リーベルト」
一番がナイフを高く掲げた。
「無様に死ねぇっ!!」
「こんな……ところでね」
『大丈夫だ!』
時間を止めても意味がない。素早く動けない。
一体何ができるのか。
私の変身は解けた。
そして、目の前に新たな男が立っていた。
蒼い髪と褐色の肌を持つ、好青年。
「ぐっ、ぎ……の野郎っ!」
一番に切られ、赤い血を流しながら、強引に一番を押し倒し、馬乗りになって彼を殴っている。
そして、その声は、初めて聴いたはずなのに、私はそれを聞いたことがある。
「ハングドマン!?」
「リナ! 俺はついていけねえみたいだが、いいよな!?」
なんで元に戻れた!? いや、エンプレスが元に戻れるのなら彼も可能か。でもなんで!? 元に戻るとすぐに霧消するって聞いているのに。
「戻って、カードに戻ってよハングドマン!」
「死ぬより大事なことがあるんだろ!? 俺だって……好きになった女のためなら命ぐらい惜しくねえっ!!」
ハングドマン、ああなんてことなの、一体いつから、どうしてそんな。
「貴様ぁぁぁぁああああ!!」
「うるせえっ! 男が復讐だなんだごちゃごちゃ言ってんな! そういうのはなっ!」
叫びながら、彼は血を吐いている。
それでも、血の滲む手でナイフの刃を掴みながら、叫んでいる。
「そういうのは……強気で、自分を賢いと思ってるけど、寂しがりで可愛い女がするもんだ」
「もうやめて……戻って来てよ! ハングドマン!」
彼を支えなければ、リウスもホオフもスターも助けられないのに、このままじゃ本当に死んでしまう!
けれど動けない。ただでさえ体が鈍いのに、今はホオフとリウスが私の動きを止めている。
「もうすぐ呪文の詠唱が終わる! 飛ぶぞ!」
「放してよホオフ! ハングドマンが……!」
けれど、私達の体を青い光が包み込んでいく。
この光を私は知っている。
なのに、共に世界を渡った彼は今、ここにいない。




