生と死、そして別れとは
痛い。
「痛い……」
「リナ!」
ここは、憶えがある。楽園だ。
楽園と言っても死んでしまって来たわけではない。アウロラの中で私が長く住んでいた場所だ。
声をあげたのは教皇で、それ以外にもシーナもレイフェスもいる。レイフェス、ここに戻ってたんだ。
「全員揃って……うぅ……」
立ち上がろうとしたけれど、体がそれ以上動くことを拒否した。
激痛のせいもあるけれど、物理的にこれ以上動けないような感覚。
「無理しないで、死ぬところだったのよ」
「私が?」
レイフェスの言葉を受けて少し思い出した。
北へ、青い大地へ向かっていた私達は一番の集団に囲まれたのだ。
そしてその一番の一撃を受けた。
「大袈裟じゃない?」
「大袈裟なものか! 一番はスターと交戦した後、逃げ出したのだぞ!?」
教皇が声を荒げるが、結局逃げたのか、と私は微妙な反応をした。
『……あのな、スターと交戦したって時点で異常なんだよ。しかも逃げ出すことができるなんざ、それはもう化け物の一人だ』
(私も逃げおおせたじゃない)
『相手が殺す気じゃないだろ』
それもそうだ。でもまあ、時を止める力を使えば逃げおおせるくらいはできるだろうが。
「で、リウスとスターは?」
「スター殿は警戒し、楽園の外にいる。リウスとやらは食事を運んでくれるそうだ」
「楽園の外? 傍で守ってくれるのが一番じゃない?」
それに教皇はニッと笑った。
「ここなら、余はスターにも一番にも負けぬ」
なかなか良い表情だ。如何なる実力かは分からないがスターがこうして私の傍にいないことが、その実力を裏打ちしている。
「ま、なんでもいいわ。それでリウスはどこ?」
もう一回立ち上がろうとするが、やっぱりできない。
「……おかしいわね」
上手く動けず困惑している私に、教皇は目を背け、レイフェスがゆっくりと私を座らせた。
「遠慮せずに言わせてもらうから、落ち着いて聞いて?」
「なになに? そういう不穏なの嫌なんだけど」
男らしく物を言うレイフェスでさえ、それを言うのに一呼吸置いた。
「体、痛む?」
「痛いに決まっているじゃない。でも、だからこそ生きているなんて言ってね……」
冗談も聞かずレイフェスは更に告げる。
「一番の攻撃で、肋骨とか、体の骨が滅茶苦茶に折れて内臓を傷つけている。肉体の損傷は私の肉体魔法で、痛みはシーナの言語魔法で抑えているけど……」
「けど、なに?」
「このままじゃ死ぬわ」
噛みあわないなぁ、現実と理想。
もう死ぬのはやめようって思ったところなのに。
「……思ったほど動揺しないのね」
「命の危険は慣れているわ。ここまで体にガタが来たのは初めてだけど」
いつ立てるようになるのかも分からないが、今なら気長に待てる気分だし、死のうとも思わない。
「でも、なんだか体が変な感じはするわね。でも死ぬっていってもすぐじゃないでしょ? ゲホッ!」
喉から何かが込み上げてせき込むと、口から出てきたのは血だった。
「リナ、寝てなさい」
「……そ、そーしよーかしら」
どうやら本当にガタが来ているらしい。折れた骨が内臓を傷つけ~というよく漫画なんかで見るヤバい状況らしい。あーヤバいヤバい。
『意外と平気そうだが、本当に大丈夫か?』
(大丈夫なわけないでしょ。世の中って面白いくらい上手くいかない!)
まだ死にたくない、なんて、この言葉を真っ当なタイミングで使う時が来るなど誰が予想できるか。
けれど執着している、私はこんなところで死ぬわけにはいかない。
「リナっ!」
何かお皿を持ったリウスが走ってきた。やはり武器を持たずに配膳している姿の方が似合っている、可愛らしいしね。
「あら、それが私の食事?」
リウスがバーンと皿を置くが、そこには黄色い液体しかない。
「なにこれ? 小便?」
「馬鹿!」
リウスにマジギレされてしまった。しかし戯言を言いたい気分にもなる、なんせ命の危機。
「端的に説明させてもらおう」
急に聞こえた声に体を捻ろうとするが、それもできない。
けれど、声の主であるスターがすぐに前に来てくれた。
「まず……五臓六腑のいくらかを損傷した君は、固形物の食事はできない。私も君の世界にいた時のうろ覚えでしかないが、腎も悪くしているから定期的な手術でもしないと命を落とす。……だが、もって半年、恐らくは三ヵ月ほどのうちに、君は何もせずとも……」
「……そこまでひどいの?」
「……すまない」
スターがしみったれた表情で言うと、妙にテンション高めで教皇が割り込む。
「だがリナ! ここにいれば死ぬことはない。余の聖域魔法ならば汝を女神とし、永遠に生き延びさせることができる!」
「……はぁ?」
衝撃の事実の直後にまた衝撃の事実、けれど教皇の言っていることはいまいち了解できない。
「女神?」
「ああ。この空間であれば余は神に等しい。それができる。死に恐怖することもない」
教皇の笑みが近づく。褒められたい子供に変わりはないみたい。
頭を撫でられて気持ちよさそうに笑う姿は本当に小動物のようだ。けれど、これは褒めているけれど認めてはいない。
「元々死ぬことに恐怖はないわ。残念なことに違いはないけど」
そっと教皇の肩を押す。彼は理解できなかったみたいだけど、その説明は後回し。
「スター、話したいことがあるって言ったの覚えてる?」
「……ああ。一番と戦う前だな」
全てを話す、というのは大袈裟だ。私がするのは単なる相談。それでも大きな決断。
『俺がついてるからな』
(ふふ、ありがと、ハングドマン)
今なら素直な感謝もできる気がする。だから話したいことは全て話させてもらおう。
まず、人はどのように生きるべきか、死についてどう思うか。
「私は、人に誇れるよう、自分に誇れるように生きるべきだと思う。長く生きるだけならば騎士にはならない。人を助け、国を守り、悪を倒す、そうすることが人の生き方。
そして死も同じく、誇らしく、誇れるように為したい。この身、この力が全て自らの誇りのために使われたと思えるような最期だ」
「それは悲劇的じゃない? あなたの誇りはまるであなたを慮ってないみたいだけど」
「騎士故に、な。自分の本意だ、悲劇的かもしれないが、仕方ない」
そのスターは、誇らしげな笑みを浮かべていた。悲劇的というのも口だけのようね。
「長く生きれば、それだけ神格化もされる。余は汝には生きて欲しいものだ」
口をはさんだ教皇にも参加してもらおう、この議論。
「長ければそれだけでいいの?」
「それは……」
「あなたはどう生きているの、猊下?」
「余は汝のために……!」
必死な表情の教皇はまだ私を女神だとかよくわからないことに説得しようとしているそうだが、苛めるように私は次の言葉を告げる。
「じゃあ私が死んだら死ぬの?」
「違う! 余は、汝が救ってくれたから、この生を決して無駄にはしないと……」
「じゃ、私が見下げ果てた屑野郎だって分かったら、適当に生きるわけね」
「……」
人のために生きるとはそういうことだ。何かを信じ生きる人は、その対象次第でどうとでも変わる。宗教がそれだ。
だからこそ自分が正しいと新たな派閥を作る者なんかもいるが、それはその人がいかに高潔に生きたかによる。あっさりと死ぬ者もいる。
「……見縊るな。汝は余が認めたリナだ」
こういう風に、自分を信じられる人間なら、よく生きることができるだろう。
次に、人の恐怖とはどのようなものか、どうすべきか、どう乗り越えるか。
「恐怖か。君に前にも語ったと思うが……今の私にとっては、志半ば、つまり君を元の世界に戻せず命果てることだ。死は恐れていない、恐怖に対してただ努力するのみだ」
「努力? そんなので恐怖を拭えるの?」
「それは、ふむ、勇気とでも言うのか。私の任は基本人を守ることだ。人々の笑顔、星奈や君が笑ってくれるなら、それだけで恐怖は消える」
「そんなに私、笑ってたかしら?」
「君がこうして、私に信頼させてくれるだけで充分さ」
こっぱずかしいことをよく言えるものだ。私がそのうち死ぬからって言ってるんじゃないだろうか。
「リナ、余は汝が死ぬのが一番の恐怖だ!」
「あら奇遇ね。私も大切な人が死ぬことが一番恐ろしいわ。だからこそ、こうやって思い出を作るのかもね」
「思い出などで……!」
「私にとって恐怖することは多いわ。恐ろしい人が多いし、だから私は上っ面の皮を被って生きていた。でもね、分かり合うことの方が重要なんだろうって、共に話し合う方が良いんだろうって今なら思えるわ。……ちょっと遅かったけど」
「遅くなど!」
「いいえスイートは死んだ! 伝えたい事も話したい事もたくさんあった!」
言ってから、教皇が怯えているのに気づいた。ちょっと熱くなっちゃったけど、それを反省はしない。言いたいことは言う、今はそんな気分なのだ。
「一期一会、なんて言ってね。一度の出会いを大切にするっていうのが私の国の文化。きっと私はそうすべきだった」
もう誰も何も言わない。私の言葉を聞いているみたいだった。
生と死、恐怖と対処、その後に私はスターに数多くの冒険譚を語った。
いやスターだけじゃない、レイフェスとシーナ、リウスと教皇にも。
死と生、危険な仕事ばかりの人生だったけれども、それでも実り多い豊かな人生だろうと、そう思える。
滾々と話し続けた。
死の淵の老人が孫達に最期の言葉を遺すようだった。
私が老成しているのか、それとも死を前にした人間というのは誰もがこうなるのか。
徐々に死に絶える体ならば、無様に喚き散らすこともない。そんな元気もない。
それでも語る。
自分の生きた証を、決して無駄ではなかったと噛みしめながら。
あまりにも語るには短い、容易く諦めるには短い。
「…………それで……もう、終わりかな」
ああ、語った語った。リウスとシーナなんか泣きそうな顔をしている。情趣豊かな人達ね。
「……壮絶だな。波乱万丈と言ったか」
「私もそう思う。今も含めて私は波乱万丈な人生を送った女ね」
『ひょんなことから助かったりしないか?』
(玲子の空間操作能力ならあるいは、とか考えちゃってるけど、ふふふ)
時間と空間を操れるのだ、なんとでもできるだろう、きっと、おそらく、たぶん。
すっかり通夜みたいなムードだけど、私はにこやかな笑顔を振りまいた。
「さてお付き合いありがとうございました。じゃ、改めて出発しましょうか」
「何をッ!?」
教皇が猛犬のように叫ぶ。どうどうどう、落ち着いて欲しいものだ。
「善は急げね。そのうち死ぬなら、私は元の世界に戻ってすべきことをしたいの」
「すべきこと、だと?」
「星奈に伝えなくちゃ、色々ね」
危険な状況であるというのに、私は今までで一番自然に笑えていると思う。
「教皇猊下にも寂しい想いをさせちゃうかもだけど、ごめんしてね」
「……」
彼は立って私に背を向けた。大切な人の死をも受け止めて更に大きくなってほしいものだ。
「リナ、嘘を吐かないで言いなさい」
シーナが私を睨むように言う、有無を言わせぬ雰囲気は流石国を率いる人間の一人と言ったものか。
「本当にそれでいいの? 命を賭してまですること?」
さて、どうだろうか。ただ答える前に先んじて私は言う。
「言語魔法だっけ? 嘘を許さない魔法とかそういうのたぶん私に効かないから」
驚いた彼女に、更に私は告げる。
「命を懸けてする必要があるかどうかなんてわからないわ」
この世には命が一番という人もいるし、それなら命を懸けてまですることなどこの世にはない。
けれど私は命より大切なことはきっとあると思う。
「だからそれを確かめに行く。それでいい?」
私的には満足な答えだが、シーナは不満そうだった。
「……出会えてよかったと思うよ、リナ」
それきりシーナは無言で、目を閉じたまま、正座して私の傍にいた。
離れると言語魔法が途絶え痛みが増すからだそうだが、もう私とは一言も口を利かないという意志表示だったらしい。
「みんな、あなたと会えなくなるのが寂しいだけよ」
レイフェスが笑みを讃えて言ってくれたのが少ない救いだ。
ついに出発の時が来た。
普段は楽園から出ない教皇もわざわざ見送りに来てくれるというのだから、やはり私は救世主なのだなぁ、と自賛に陥る。
しかし他にはシーナとレイフェスしかいない。
……こう、もっと国民全員でばーっと華やかにしてくれてもいいのに。雰囲気がアットホームすぎていつもと変わらないじゃない。
「……危険に赴くような生き方に憧れはしない。それでも汝に敬意を表する」
「どーも。私も今のあなたを立派だと思うわ。最初は見事な傀儡で馬鹿な子供だなぁ、なんて思ったけど」
「む」
教皇は顔を少し赤くして私を睨んだけど、その顔のまま私は彼の頭を撫でた。
「あはは、可愛い可愛い」
怒りが激しくなってきたのかますます顔は赤らみ、ついにはぷるぷると震えだした。
けどここは楽園じゃない、体の痛みはそのために増しているが、教皇に私をどうこうはできない。
「っ~~!」
声にならない叫びとでもいうのか、教皇は後ろを向いた。
耳まで真っ赤になっていて、私はようやく悟る。
泣いているのね。
「もう一度確認で言わせてもらうけど、私とレイフェスから離れること、そして楽園から離れることで遅行していたあなたの体の悪化はますます酷くなって、流動食の食事を済ませても、長くて半年、最悪三ヵ月くらいしか持たないと思う。異世界人だからどうかは分からないけど……過度な運動は勿論のこと、あまり上体を動かすことも許可しません」
「はいはい」
「アルコールは厳禁、飲んだらどうなることか。尿だって今のままじゃ気付かず垂れ流しになるなんてこともあるかも。呼吸だってままならないんじゃない? アレルギーとか……」
「母親か! 話は聞いたから大丈夫よ、絶対安静、基本的に果物を磨り潰したような流動食しか口にしない、これだけで充分よ」
「……もう気にしないよ。でも走ったりするのも駄目だから」
気にしてるじゃん。全く優しくていい子なんだから。
「はーい、じゃ、スター、行こっか」
ゆっくりと振り返ったところで肩を掴まれた。
「私に対して冷たくなぁい? リナ」
「レイフェスはもう私に言うこととかないでしょ?」
私も湿っぽい別れは苦手だ。しかも湿っぽい側に立つと猶更。
「ええ、ええ、そんなにない。でも一つ、この世界にきっと神なんていないでしょうけれど、私達とスター達の加護がある。信じているわ、また会えるって……また、会えるって」
「……もっと飄々としなさいよ、いつもみたいに」
「あなたもね」
全くこの女狐には散々嫌がらせをされたものだが、別れの抱擁は優しく、気遣いに溢れていた。
「……では、行こうか」
「おーい! 私を忘れるな!」
間抜けなホオフの声が聞こえた。未来予知でなんとかなったのだろうか?
そして私達はまた四人、今度は新世界統治戦線へと進む。
「リナーっ!」
教皇が叫んでいる。
「行かないでっ……君が好きだっ!」
ああ、彼にそこまでさせるほどか、私がしていることは。
「……猊下、強く生きて、考えることを忘れないで!」
大きな声を出すと胸が痛む。けれど私は脇目も降らずに叫んだ。
「あと五年もしたら、考えてあげる!」
くくく、こんな上から目線の台詞は初めてかもしれない。
けれど彼とまた会えるのだろうか。
既にこの世界を去る流れになっている。
もうアウロラにもレベルレットにも戻らないのだ。




