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リナ、新世界統治戦線の漫遊

 目を覚まし、馬車から顔を外にのぞかせた。

 ちょうど時計が立てられているのが見える。午前七時前、あまり寝られなかったようだ。

 中ではスイートがスースーと規則正しい寝息を立てている。こうして静かにしていれば、ただの可愛らしい小娘だが、起きて喋れば怪しい商人だ。

 起こす必要も理由もないし、ここに留まるのも気分が悪い。

 寝惚けた体を欠伸で強引に起こしながら、私はゆっくりと馬車から降りた。

 空の色は昨晩からあまり変わっていないように見える。かろうじて青っぽい光がより白っぽく、朝らしくなった気がする、というくらいだ。

地球のように天体がくるくる回っているのではなく、空にあの星が浮かび続けているのかもしれない。

 不思議な空間を研究する、なんて私は玲子のようなことは言わない。

 ただ、探索はしたい。


 ぶらりと町中を歩くと、既に人々が店を開き始めているようだった。

『こういうのどかな雰囲気、俺は知らなかったなぁ』

(へー、のどかねー)

 このボンボンのアホ王は何を考えてこの発言をしているのか、私にはさっぱり分からない。

 それぞれの町民が生計を立てるために商売を繰り広げる様を見てのどかとのたまえるのは、それだけ人々の生活に興味がない、もしくは人が生活していることを見ることがない人間だけだ。

 私が今までどれだけの人と関わってきても、彼にとってそれはのどかでしかなかった。世の中がどれだけ汚いかも知らない温室育ちのボンボンを私は嘲りながら、彼がいうのどかな風景を少し楽しんだ。

 人々が働く時間などは私の世界よりもこっちの方が朝も夜も少し早いようだ。もっとも会社へ移動する必要がなく、店に住み、そこで働いているからかもしれない。

 人々が共に暮らす暖かみ、確かにそう感じる人もいるだろうが、私には商売のために友情や愛すら利用する浅ましい人々に恐怖することしかできない。

 それが間違いではないことも事実だ。

 実際に人々は信頼関係と人助けの精神を持ちながら働き、自分が生きていくために他者を利用し利用されるという、善悪二つの想いからそういう行動を取る。

 善意だけではない、私益を求める想いが必ず根付いている。どんなにいい人に見えてもだ。

 それが私はたまらなく恐ろしい。

 そして、それを知っていながら、私もそうするのだ。


 馬車に戻ると、私を見つけたスイートが怒ったように地団太を踏んだ。

「どこ行ってたの!? 勝手に出歩かないでよ、心配したんだから」

「あはは、ごめんごめん。散歩だよー」

 散歩というのは嘘ではない。結局歩いてしかいなかったのだから、散歩と言う他ない。

 心配したのは私のことか、それとも彼女の商売のことか。そんなことを考える私はやはり歪んでいるのだろうか。

 そんなことどうでもいいけど。

「それじゃ……出発しようか。まずはエンペラー帝国の横断」

「……うん」

 異世界の国渡りが始まる。

 不安が、心配が、恐怖が付きまとう。

 希望や期待は一切ない、今の私は恐怖に憑りつかれてしまっている。

 それでも、この気持ちの昂揚は抑えられなかった。

『お前、ビビるのが嬉しいのか? やっぱよく分かんねえな、リナのことは』

(分からない、そう、分からないのよ。分からないから怖いのよ……)

 私は幼子をあやすようにハングドマンに、そう伝えた。



 まずこのガラリットが治める町から西南西へとひた進む。

 そうしたところで新世界統治戦線の南から出ることによって、危険な野戦地域のど真ん中を最短ルートで南下し、エンペラー帝国を通り過ぎてアウロラ教国に入る。

 エンペラー帝国は本当に一日も使わず横切ることができるらしい。それほどまでに薄っぺらな領土を、大金を払って通らなければならないらしい。

 御者のように馬を引くスイートの隣に座って、私はぼんやりと風景を見た。

 穏やかな町の風景がまだまだ続く。一体どこまで、いつまでこの道を通るのだろうか。

「えっと、新世界統治戦線はたぶん三日もあれば抜けられるよ。そしたら一日も経たずにアウロラに行けるから」

 エンペラー帝国は彼女の計算に入っていない。それほど容易く通れるのだろうか。

 スイートはガラリットからもらった金貨袋を嬉しそうに見つめながら、私に鉄製の水筒とスティック状の何かを渡してきた。

 赤と緑と黄の地層を切り出したようなそれは手で丁度握れるほどよい大きさで、匂いを嗅ぐと甘ったるい香りがした。

「な、なにこれ?」

「なにこれって、知らないの!? フルーツバーだよ!?」

 スイートは同じものを懐から取り出すと、コマーシャルみたいに笑顔でそれを齧った。

 食べ物であることは香りで分かるのだが。

 こういうものを前にすると、自然と頬が緩む。

 人生で初めての食べ物というのはいつだって楽しい気持ちになれる。

 初めてアフリカでワームを食べる時に、私はおぞましさではなく、日本でもイナゴを食べたという落胆だったが、食べてみれば全く違うことに喜んだものだ。

 世の中、その気になれば食えないものはない! 三日完徹した後に睡眠をとるように! 薬物でハイになるように! 最高の女とセックスするように! と例えるような快楽は新たな食べ物と出会うたびにするものだ!

 ということで早速それを丸かじりしてみたが、正直落胆した。見た目がアメリカの派手なお菓子のようなだけで、固めたジャムのような触感と風味は……というかジャムを固めたものだろう、これは。

「これってどうやって作っているの?」

「果物と果糖を魔法で加工したものだよ、そんなことも知らないなんて……」

 原料がまるごと一緒なわけだ。魔法で温めたのか冷やしたのかは知らないが、不服だ。

 まあ、甘いものは嫌いじゃないから食べるけどね。

 フルーツバーを噛まずに舐めて過ごしていると、スイートが突然肩を掴んできた。

「どーしたの?」

「いやぁ、リナともっと話してみたいと思ってさ」

「そーは言っても、記憶がないからね」

「本当に?」

「疑う理由は何よ?」

 スイートの赤い目には確かな疑念が込められている。能天気な女が気まぐれで言っているわけではなさそうだ。

「理由って言っても……まあ、女の勘、かな?」

 馬鹿を装っているようだが、嘘を吐いている風に見えた。本当の理由を隠すために、今適当に理由を繕ったのだ。

「何よそれー! ひどいなー、嘘なんか吐いてないのに」

 私は冗談として受け取って軽く笑った。ああ、なんて薄っぺらい女同士の言い合いなのか。

 こういう時に、私は全てをぶちまけたくなる。何もかも言ってしまえばどれほど楽か。

 だが甘んじてはいけない。己を見せることは同時に弱点を作ることにもなりえるのだ。

 スイートも『ほんとにい?』なんて言って笑う。薄っぺらだ。だがその方がいいでしょう? スイート・スー、あなたも行商人である以上、私と少なからず似た考えを持っているはずだから。

 私は再び、能天気に前方を見てフルーツバーを貪った。口の中に広がる複数の果汁の甘味は、よく味わえばこちらの世界では味わえない奇妙なほど均整の取れた調和を成していた。

 手はベタベタにならないが、持ち手なんかも包み紙もないため、ますます不思議だ。手で溶けないでお口で溶ける、これは売れる。やっぱり味わえば味わうほど癖になる。

 もう一本もらえないかとスイートの方を向くと、彼女は真剣な顔でフルーツバーを握ったまま、ぼーっとしていた。

「どーしたの? スイート、なんかぽけっーっとしちゃって」

「え、ああ、いや」

「えあーいや、じゃなくって。心ここにあらずって感じだったけど」

「うん、そうね」

「何考えてたのー?」

 自分が無意識でスイートの何かを暴こうとしていると、今気が付いた。

 普段はあまり他人に突っかからないようにしているつもりなのだが、この特異な状況に少し気圧されているからかもしれない。

 スイートは真剣な顔のまま、体をこちらに向けてきた。話されても困る。

「実はね、さっきのリナが疑わしい理由なんだけど」

「……」

「ガラリットさんが、リナのことを、何も考えてないようで、色々考えている子だよ、って説明してたの」

「へー、いい感じね」

「それってつまり、ガラリットさんは気付ていないけど、腹黒とかそんな感じなんだよね」

 そう言って彼女はフルーツバーを齧り折った。

「ねえ、何考えているの?」

 もうスイートに先ほどのような笑顔はない。そのまっすぐ向けられた目には好奇心の色が強く映っていた。

「なに考えているの、かー。言われたことないなー」

「教えてよ、リナ」

 私は、自分の右手の臭いを嗅いで伝える。

「フルーツバー、もう一本もらえないかなって」

「もうすぐ遅めのブランチの予定だからダメ。でも、教えてくれないとあげないよ?」

 どうやらスイートの疑心は余程深いらしい。てこでも信じてくれなさそうだ。

 まあ、事実私は嘘を吐いているから仕方なかろう。



 スイートが手綱を動かすと、馬はとある店の前で止まった。

「ハーイそこの少年、駄賃やるから商品を見張っといてくれないか?」

 スイートが街を歩く二人組の少年に、金の入った袋をちらつかせてそう言った。

「それ、大丈夫なの?」

「よくすることよ。大体の人は目の色で中立の人だって判断してくれるから、平気なものよ」

 黒い目の、それぞれ茶髪と金髪はまず二枚ずつ銅貨を受け取る。

 馬を走らせて逃げればそれ以上の金になろうものを、この青年たちは恐らく言われた通りに忠犬のように待つのだろう。

 それがこの世界のルールというか、倫理観というか。スイートが根拠もなくそんなことをしているわけがないからそうなのだろうと私は自分を納得させるしかない。

「じゃ、ついてきて」

 スイートが中に入ったのは三階建てほどの大きな建物だった。石造りでそこらの店よりもしっかりしており、看板には見たこともないはずの文字だが、食事処であることが何故かわかった。

「今からお昼、いいよね」

 スイートの確認に首を振るだけで私は答える。

 若い男のウェイターが私達を向かい合う席に導いた。ピンクチェックのテーブルクロス、窓から見える私達の馬車、メニューの冊子、安っぽいファミリーレストランのようだが、異世界となると妙な雰囲気が出る。

 スイートがメニューを取ると同時に、私も別のメニューを開いた。

 読めない上に、何の食べ物かもさっぱり分からなかった。

 確かに元々字は読めなかったが、しかしなんとなくの意味は分かる。

 分からない理由は恐らく固有名詞が多く使われているからだ。

 こっちの世界で言うところの、イベリコ豚だの神戸牛のようなものだ。イベリコや神戸がどこか分からなければ意味がないのと同じだ。

 そういうのが混ざっていると、ただでさえよくわからないのがますます混乱してしまう。

(ハングドさーん、助けて)

『おお。まあお前が何を食いたいかをまず教えてくれないとな』

(いーから片っ端から教えなさい!)

 そんな問答をちょっとしていたら、スイートが先んじてウェイターを読んだ。

「すいませーん、これとこれとこれください。あ、こっちの人には水だけでいいです」

「なにぃ!? ちょっとスイート……」

「ふふふ、あなたのこと、ちゃんと教えてくれなきゃ何も奢らないから」

 スイートは意地悪そうに笑った。

 私は金を一切持っていない。そもそもガラリットはスイートに金を預けたのだ、私は文無しということになる。

「待ってウェイターさん、私も同じものをお願いします」

「あ、リナ!」

「分かったから」

 ちょっと怒った風に言うスイートに、冷水を浴びせるように私は言った。

「あんまり気乗りしないけど、話せばいいんでしょ」

 スイートは少し驚いた後、にやりと笑った。

 人間の心を操るには、三つの袋があります、と私の世界では言うのだ。掴まれたら、話すほかない。

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