堪忍袋の緒の期限
幸い、私は文字が読める。
異世界の文字なれど、ハングドマンと多少の意識や記憶を共有できるため、全く意味のない羅列のようなそれが一つの意味となり私の頭に刻まれるのだ。
しかし専門用語など高度なものになれば分からなくなる。そしてスターの部屋にある本は大体それがあるために見ても面白くない。
となれば、本を読み歴史を知るという基本に則って、私はリウスに興味ある本を求めた。
「ねえ、スターについて書かれた本を持ってきてくれないかしら? どんなのでもいいから」
「……?」
「あれあれ、あれが書いてある本」
言葉が通じないのか、私はスターを指さしてから本を示すが、言葉はどうやら通じるらしい。
「なんで?」
彼女から初めて出てきた言葉がそれだった。しょっぱいなぁ。
「なんでって、気になるからかな」
これといった理由はない。退屈だから、が一番正直な理由だ。
「物好き」
彼女はそれだけ言ってトテチテと部屋を出て行った。
スターの本を求めて物好きと言われるとは思わなかった。
しかしもはや神格化までされている彼女の本、まだ子供のリウスはもしかしたら絵本のようなものを持ってくるのではないだろうか。
そうなれば、大人の私がそんなものを求めるのだから物好きと言われても仕方ないだろう。
ま、この際絵本でも構わない。それをネタにスターをからかってやれれば多少の暇は潰せよう。
だが数時間後、リウスが大事そうに抱えたそれはとんでもない代物だった。
二冊の本、その両方ともが確かに絵本のように全ページにカラーイラストがあるのだが、その片方は特に目を引く。
「肌色が多いわねぇ……これは?」
「物好き?」
「いやいや。でもちょっと貸して」
一冊目は『騎士の心得』と書いてあり、ぺらぺらめくってみたところ、殺陣や居合切りなど戦士の振舞いを見せるスターのカラー写真と、その周りに名言集っぽいのが載っている。
お洒落なモデルみたいなものだろう。
だからこその二冊目。
ぺらぺらめくってすぐに閉じてしまった。込み上げるのは奇妙な劣情と爆発せんとする笑いと、居たたまれない気持ち。
「……お尻も伝説級ね」
『このオヤジ! 馬鹿かお前は! リウスが引いているぞ!?』
つい呟いてしまい、ハングドマンの言葉でハッと我に返る。
「物好き」
「いや、うーん。そうね。」
肯定してしまった。騎士然としたスターの姿は誰が見ようとため息の出る美しさだ。今の姿がよく分からない研究用の服らしいから猶更この鎧に身を包んだ姿が神々しくすら見える。
しかし今の服よりなお過激な水着に身を包んだはみ出る肉感弾ける清涼感、これは幻滅するほど瑞々しい。
「っていうかなんでこんなのがあるの?」
リウスが持っていることと、スターがこの記録を許可したことも含めていろんな意味で聞くと、彼女は目を背けた。
「盗んできた」
「えっ、そこまでして?」
どうやら彼女も頭のねじが足りていないらしい。
というか早く謝りに行かないと。
「スター、ちょっと失礼するわね」
と言ってリウスの手を引くと、逆の方の手をスターに掴まれた。
いや正式にはその手に持っていた二冊の本を、だ。
「それはなんだ?」
その眼光、私は知っている。ただ強さを極めただけではその目はできない。
厳格で誰にも染まらない強い精神と、悪意にも紛う強烈な殺意。
腕のないホームレスもかつてそれに似た目をしていた。鈴輝もだ。玲子のある種柔らかい精神じゃとてもできない強烈な視線を、今まで見た中で最も強く恐ろしい目をスターはしていた。
スターは簡単に私の手からそれを奪い取ると、一枚の紙を破るようにして二冊の本を引き裂いた。
「あっ!」
リウスが短い悲鳴をあげるが、スターはそれをも黙らせる目で言った。
「これをどこで?」
「え、っと……」
私はちらっとリウスを見る。まさかここまでスターに恐怖を感じるとは思わなかった。やはり死は単純に恐怖と直結するものなのだ。
「ナタラシオン様の部屋に……」
「ふむ、灸を据える必要があるな」
スターが呟くと同時に階段から足音が聞こえ、そこから一人の騎士が現れた。
「御機嫌よう異世界の方、リウスはどちらに……」
女と見紛う容貌というのはこういうことを言うのだろう。白馬に乗るのがお似合いな巻き毛の金髪の騎士だ。美しすぎて反吐が出るような、整形したのかと疑うような顔だった。素直に褒められないのは何故なのか。
「ナタラシオン、如何様だ?」
「いえ、貴女様のお手を煩わせることでは……」
ナタラシオンという男の視線が足元のもはや紙吹雪となった写真集に向いた後、顔を青くして態度を一変させた。
「失敬! 野暮用を思い出したので私はここで……」
「待てナタラシオン! 場合によっては命はないぞ!」
スターは雄叫びをあげて素手で走り出した。
残された私はリウスに聞く。
「あの優男はなに? スターにしては言葉遣いが荒いというか、遠慮がないというか……」
「ナタラシオン様はスター様の弟弟子、そしてここの王様の一人」
「……へえっ!?」
予想していなかった答えに素っ頓狂な声が出る。
「色情王ナタラシオン、私の不肖の弟分だ」
返り血を浴び――特に両手は真っ赤に――呆れた様子のスターが階段から降りてくる。伝説級の速さ。
「この国も落ちたものだ。あれが王として名を連ねるなど……はぁ」
重い溜息、頭が痛そうだ。しかしエンプレスが王妃をしていたというのだから、別に国は大して変わっていないのではないだろうか?
スターは既にいつも通りに戻っていた。
「弟分かぁ……スターはあれと名を連ねて、しかも実力も拮抗していると?」
「実力には差がある。だが名を連ねているのは間違いない。彼が王となったのも、私のせいと言えるからな」
もはや自責に押し潰されそうなまでのスターの重い溜息、どれほどこの国のことを思い、そしてあの男を低く見ているかがよく分かる。
私はまだ彼がどういう人間かが分からない。部屋にスターのエロ本を隠し持っていたと考えると、色々と考えさせてくれるが、少し気の毒に思える気がする。
昔からスターに、いろんな意味での憧れがあったのだろうか。それともただの女たらしなのか。
酩酊王、博打王、色情王。
連なった名前は人間性と王の適性の否定、コント集団としてならば充分に面白そうなのだが。
ある日、暇にしているとホオフがやってきた。
「あら、久しぶり」
「うむ、おとなしくしているようだな、リナリーベルト」
並み居る若い騎士の相談を受けるスターを避けて、彼は一人で私の元にやってきた。
武器を持たず、かつての中立魔導の研究員のように白衣を着た彼は、数日振りということもあり学者然とした雰囲気を感じる。
「研究が捗ったから来たの?」
「逆だ。我が魔法をもってしても探し出せん」
「はぁ!? 未来予知できるあんたがなんで探し出せないのよ!?」
「単純だ。貴様と同じ境遇ということだ」
少し考えれば分かることなのに、私はそれだけで言葉を失ってしまった。
未来予知の対象にならない異世界人、それが敵にいる。
「……それで、これからどうなるの?」
「分からん。私は変わらず私にできる限り魔法を駆使し四苦を探そう。だが、どのくらいの時間がかかるかは見当もつかん」
未来を予知する男が何も分からないという。それは私にとって一つの死刑宣告だった。
「ありえない、でしょ。なんでそんな……」
ホオフは何も答えない。
ただハングドマンだけが呟く。
『……もういいだろ。お前がすべきは復讐じゃなくて元の世界に戻ることだ。スターに言ってとっとと元の世界に戻るべきだ』
「私があの時から片時もスイートのことを忘れたと思った?」
「何を言っている、リナリーベルト?」
『おいだから……』
「あなた達が探せないってんなら私一人でも探して見せる! 絶対に……」
ホオフは私を蔑むような目で見ていた。ハングドマンから流れ出る感情もそれに近い、哀れみと失望。
「……あんたまで、随分私のことを見縊っているじゃない……」
『俺か? 俺は、そんなつもりは……』
「いいわ。口ほどに感情がものを言うのよ」
私はハングドマンのカードをその場に捨てて、立ち上がった。
『お前! まさか俺無しで戦おうって……』
「リナ」
スターが短く、怒気を込めて私を呼ぶ。
「止めたって無駄よ。私は」
「行こうと言っても無駄だ。止めるからな」
私の言葉にかぶせるように言って彼女は唯一外へ向かう階段に立った。
「君らしくないぞ。賢い立ち回りを見せる君が……」
一体、スターに私の何が分かっているというのか。何も知らない彼女が私を説得しようとするのはあまりに馬鹿馬鹿しく見える。
「私はいつだって自分の感情のままに動いていたわ! 今までもこれからもそう! だから、行かせてもらう。そこをどきなさい、力づくでもどいてもらうけど」
「大した自信だ。私に勝てると?」
冷やかすような若い騎士達の顔、屈託のない真剣なスターの目、何もかもが私をイラつかせる。
だが……確かに怒りで我を忘れていた私といえど、本気のスターの目を見れば少しは冴える。
勝つことはできない、五体満足であったとしても、時を止められたとしても、勝てはしない。
なんて無力、一人では一人前にもならないのか、私は。
「私は、誰も救えないの……?」
そんな言葉が漏れた。
弱音だ、なんて情けない、こんな姿を見せるなんて。
「君はまず自分自身を救うべきだよ、リナ」
「だったら早く四苦を!」
「信じろ。私と、……あと不肖の王達もな」
一切の発言をも許さぬスターの雰囲気は、しかし言葉だけではまるで信用ならない。
「あれはあれで、皆不道徳で阿呆だが、それでもなかなかどうして優秀な奴らだ」
「……信じているの? 私の目の前で自分の腹を貫いた阿保を」
「ギャチルは、くくっ、本当に救いようのない阿保だが、やる時はやる男だ」
私の目の前で曝された醜態を思いだし、つい私も笑んでしまう。
ずるい女だ、スター。あの三人の話をされては、笑ってしまうのは仕方がない。
それでも私は、スイートのことは忘れないし、忘れてはいけないのだ。
「……どれだけ待てばいい?」
「それは確約できん。君が決めればいい。そうすれば理不尽な設定はしないだろう?」
本当にずるい。なんてずるい女だ。けれど間違ったことは言っていない。
「……今から三ヵ月ってところかしら。殺人の時効にしては短すぎるけど、私の堪忍袋にしては長すぎるくらいよ」
「良心的だな。では、私からは檄を飛ばしておくよ」
結局はスターに宥め賺された形になる。
それでもいいと思えるのは、きっとスターが誠心誠意で私に向かい、彼女自身が一切の嘘を吐かないからなのだろう。
あの三人の王をどこまで信用できるか、それは私もまだ決め兼ねる。
アルドラはまだしも、残り二人はあまりにも頼りない印象しかないからだ。
三ヵ月、私はどう過ごすとするか。




