さらば魔導、レベルレットへの旅立ち
「リナっ! リナ、リナ!!」
朦朧とした意識はスイートの声で呼び覚まされた。
「……スイート、大丈夫、大丈夫よ、ビックリしただけ」
大丈夫なわけない。しかし現実味がないというのが一番の本音で、けれど私は心配するスイートの頬を撫でてやることもできなかった。
「それね、そこに落ちているのが、私の?」
白くて綺麗な腕がそこには落ちている。右腕だ。
スイートは必死に泣くのをこらえているようだった。けれど耐えきれずに涙が零れている。
「私……間に合わなくて」
「スイートは悪くないわ。確かに最低の気分、凄く悲しいし辛い。でも腕の一本でウラルドが助かったのならそれで充分だと思うわ」
信じてもらえずとも本音だ。もう彼女に嘘は吐くまい、私はそう誓う。きっと彼女は優しいから。
「腕がなくなることは紛れもない恐怖の一つ。けれど最も恐ろしいことはこんなことじゃない。分かるわね、スイート」
左手を地面につけて体を起こす。一つ一つの動作すら緩慢になってしまうのは、困ったものだ。
「……リナって、もしかしてただのお人好しなの?」
「んー、分からないわ。私は仲間に、親友を斬らせてしまったのだから」
共に死ぬ方が幸せだという考えもあるだろう、そうなれば私の行為は紛れもない悪であり、道徳的にはウラルドに残虐なことをしてしまったことも間違いない。特に騎士である彼には、仲間殺しの罪はさぞ大きいものだろう。
だがアンドレアスの息はまだある。鎧が裂け、あの傷ならば致命傷であろうが、それでもまだ息があるのだ。
「ウラルド、ここはもうすぐ危険になるらしいから。末期の言葉は手短にね」
私はまた残酷にそんなことを言ってしまった。友に寄り添う彼は、鎧と兜なのだけれど、寂しそうに見えた。
「……君にも申し訳ないことをした。その腕は……」
「私がしたくてしたことよ。それよりあなたはこれからどうするの? レベルレットに行くのか、アウロラに行くのか」
「……アルカ様を守るのみ」
「そう。ここでお別れね。レベルレットに着いたらあなたのこと、報告するべき?」
「聞かれたら正直に答えればいい」
「そう」
ここであまり時間をかけても仕方がないというのが事実だ。
「ジャッジメントは?」
「さっきホオフと一緒に行ったけど」
そういえば一人で行くと死ぬんだった。一人と言っても、アルカも一緒だけれど。
ここに残ってすることはもうないだろう。ウラルド、ジャッジメント、ホオフ、そしてアルカ。
何よりも私の腕。
「アウロラより短かったけれど、とても印象的な国ね」
「……そうだね」
私は、そして対立魔導を去った。
レベルレット共和国まではあと少しだ。
予め対立魔導の南部に停めてあったスイートの馬車に乗り込み、彼女の応急処置を受けて馬は緩やかに進んでいく。
こんなにも冷静でいられるのは驚くほど意外だ。まるで昔からこういう運命だと定まっていたかのような気さえする。
不便は不便だ。一人じゃ無力で赤ん坊に戻ったかのような錯覚を覚えるほど、だが傷心の心は落ち着き払っている。
既に周りの大地は鮮やかな緑色ではなく、ぺんぺん草も生えない閑散とした殺風景な荒野となっていた。下からアンデッドが出てくると言われても信じるぞ、この荒れ具合。
「ここはね、戦場になってたんだ」
何も聞いていないのにスイートは言った。
「レベルレットの前の時から、戦争が多い国だったからさ、ここでたくさんの人が死んで、誰もが恐れて遠ざけるようになった」
「そういう観光っぽいの素敵ね。情報があるにこしたことはないし」
血は止まったらしいが、まだ刺すような痛みが継続している。あの瞬間の痛みは麻痺していたし、今の痛みは心の痛みに比べれば大したことないからいいのだけど。
アルカは救えたのだろうが、とても辛い。
「ねえリナ、リナにとっての恐怖って結局何なの?」
「まーた突然変なこと聞くわね。前にもその話はしたでしょ?」
「私の意見を言っただけでしょ? 怖いは形容詞だから怖いものは怖い、みたいな適当なの」
スイートの言うことはある種の正論で、それに私の理論は恐怖は人それぞれ、なのだ。スイートに聞かせる意味をあまり感じない。
「やっぱ私はさー、一番の恐怖って死ぬことだと思うわけでさー、でもリナって自分の腕がなくなってもオッケーって言うじゃん。変だなーって思ってさ」
「なるほどね、今回の件でますます変な人だって思ったわけね」
「うん」
それにしても自分のことを改めて考えねばならない気がする。
「端的にまとめるとね、人の死って割と身近なものなのよ。日本じゃあんまりないけど、それでも毎日何万って人が死ぬわけでしょ? 私も慣れてはなかったけど、ギリシャでナナの死を、アメリカで私と同じ状況だった旅行者の死を、そしてアフリカで数多くの人々の死を目の当たりにして、割とサバサバした考えをするようになったわけ」
「ちょっと待って、ナナが死んだって聞いてないけど」
「話してないっけ?」
というのは冗談だ、話していないことは分かっていた。それが一番つらい記憶だから。
「自分が死ぬかもしれないって状況は何度もあったけど、一番辛くて、悲しかったのはそれ、一番恐ろしいのは大切な人が死ぬことなわけ。そのためなら腕の一本だってくれてやっていいわ」
「ウラルドは大切な人なの?」
「それほど大切ではないわね。でもそれは自分の生き方の問題かしら」
見るとスイートは何故か不満そうな顔をしている。さっさと本題に移れ、という顔だろう。
もはや恐怖の話とは異なるが、まあ構わないだろう。旅のお供に長話だ。
人は正しさを求める、と私は思う。
正しくないとは悪だ。悪は悪、許されない、認めてはいけない、殺すべし、簡単な理論だ。だから人は正しくあろうと思う。
正しさを求める方法はいくつもある。百人仲間がいて百人が正しいと言ってくれれば、たとえ他の三人くらいが間違いだと言っても正しくなるのだよ、そういうものだよ。
他にも法律みたいなルールを勝手に作ればいい。自分のルールに合えば正しいのだ、ルールから外れれば間違いになり、悪になるのだから。
翻って考えればルールに外れ仲間がいなければ悪になってしまう。間違ってしまう。
だから私は限りなく道徳というものを守りたくなるし仲間だって守りたくなってしまう。
そしてそれが危険なことだと分かる。仲間が増えれば庇うし、道徳は必ず守る。そのために命以外のものをかけて守ってしまう。
ならば仲間も作らないし道徳も知らないようにするべきだ。孤独であれば自分を守り、自分のルールだけ守ればよいのだから。
問題は私が色々なことを旅して知ってしまったために、すぐ人を守りたがるだけだが。
「なるほど……要するにリナはお人好しだと」
「まとめるとお節介ね。卑屈で嫌々人助けする人みたいな感じ」
「馬鹿みたい! あははははっ!」
嬉しくない笑顔だ。全く、こんな恥ずかしい話をしなければならないとは思わなかった。
「ホオフ達は無事かしらねー……」
ふと彼らのことを思う。ウラルドは無事に合流できただろうか。そして四人集の二番は、まあどうでもいいか。
「リナのこともっと知りたいなぁ」
「あんたまでアルカみたいなこと言わないの、どうしたの急に」
「私、実は女性の方に興味があって……」
「冗談キツイわね」
「…………」
スイートは存外真剣な表情をしていた。
「いや怖い怖い、そういうのが一番怖いわー」
場の雰囲気を軽くしようと私が軽口を叩こうとするのに、彼女は変わらない。
「私さ」
真剣なまま話を進めるのはできれば勘弁してほしかった。こういう態度をこちらが見せている以上はそちらが引くべきなのではと私は思うのですが。
「リナのこと、本当に好きだよ」
「……私ほんと純潔だから、そういう行為はちょっと」
傷つけないようにやんわりと断るのはどうしたものかと考えていると、彼女は呆れた風に溜息を吐いた。
「それはジョークだって」
イライラとスイートが言う。自分が真剣にそんなことを言ったくせに何たる態度か。
「ちょっと今日変よ? なんか嫌なことあった?」
「リナの方が変でしょ! 腕……なのにいつも通りで!」
「いや、むしろあのタイミングだと胴体とオサラバしちゃうもんだったから、マシマシ。平気平気」
「……はぁ、やっぱりリナって凄いもん。素敵だし、憧れるよ」
やっぱり冗談じゃなかったのか、と顔が歪むと彼女はまた怒った。
「そういうのじゃなくて! ……そういえばなんでレベルレットに行きたがっているんだっけ?」
「前も話したでしょ。スイートにも私の世界のこと話したよね。で、スターがいるならそこだろうから、そこで元の世界に戻る方法を教えてもらう、と」
「うんうん、寂しくない?」
「何が?」
「元の世界に戻るって、たぶんこの世界に二度と戻ってこれないんでしょ? 別に私じゃなくても、まあレイフェスとかガラリットさんとか、二度と会えないのって嫌じゃん」
「その辺はとっくに別れているから何ともね。でもスイート、あなたと別れるのは寂しいわ」
「本当?」
「そりゃもう、ほらこうして顔が赤くなるくらいには事実よ」
半ばヤケみたいに言っている。クールな素振りはしているが、こんな大胆なことは基本的に言わないのだ。
「はぁ……リナって可愛いよね、やっぱりリナならいいかも」
「あんたね、私は二十五歳だからね? 年の差でああだこうだ言いたくはないけど」
「いや、話すか話さないか悩んでたことがあってね」
「レズじゃなくて?」
「もうそれは忘れてってば!」
ついには怒られてしまった。しかし彼女も何か秘密を抱えているとは。
「はいはい。人は誰しも秘密を抱えるものだからそれはそうよね。そして胸のうちを少しずつ曝け出すことで他人への仲間意識の境界を作り区分けすることで満足感を得るって言うもの」
「そんな難しいことは知らないよ!」
からかっているつもりはないが、彼女はまたも怒っているようだった。
「じゃあ、話すね?」
「あんまり聞きたい話じゃなさそうだけど」
「私もあんまり話したくないんだよね。言ったらリナ、レベルレットには行かない、って言いそうだし」
「それはないでしょ」
「私が死ぬって言っても?」
「……ん?」
「そういう未来なんだって」
あまりに淡々と彼女は言った。
「……それ、ホオフが?」
「うん。アルカを助ける前にね、そういう未来だけど本当にリナについていくのかって聞かれたの」
「なるほど、話の続きの前にUターンしましょう」
「それは別にいいよ。どの道もう私死ぬらしいから。病気なんだって」
何故かスイートは得意げに決め顔を作っている。
「あなた、自分が何を言っているか分かっているの?」
「うん。だから私のお願い、私のことを覚えておいて欲しいなって」
「そんな切ないお願いしないで! そういうのが一番怖いって言ってるじゃない!」
「それはそうなんだけどね。私もこの旅で話された鈴輝だとか玲子だとかみたいに、話のネタの一人にしてくれたら嬉しいなって」
まだ私は二、三言いたいことがあったが、口を噤んだ。
私はホオフの予知を変えることができる可能性があるのだ。死ぬというのなら、そうさせなければいい。
「ちなみにだけど甘いもの食べまくったのが問題なんだって。リナの旅を最後まで見届けられなかったのが残念だけど」
糖尿病のようなものだろうか。この世界の食事に味の偏りがあるのかと思ったが、単に彼女の嗜好が偏っているだけだったのか。
「スイートはそれでいいの? 自分が死ぬって言うのに」
それなら治す手立ては充分ある、のだが彼女は頑なだった。
「残念だけどね、甘いものを我慢するっていう生き方を知らないの。だから、最後にリナに格好良いとこ見せようと思って」
「……そう」
彼女の意志も、運命も、それは私には変えられないものらしい。
それを安易に受け入れるわけにはいかないと思うが、逆に私に何ができるのか。
(どうすべきかしら?)
『俺に聞かれたって……もうお前も分かっているだろ』
(……そうね)
「じゃ、今度はスイートの話を聞かせて。スイートのこと、全部」
「うん!」




