リナのトラウマ、更なる深みへ
仁藤玲子という人間については、以前も語った通りだ。
人間として大切な何かが欠けているが、それゆえに逞しく、強靭な精神力を持ったカリスマある女。
彼女の当時の持論は、チェンジャーは人の身でありながら既に人を超えた存在、故に人と区別され、チェンジャーが支配する行政特区を用意する必要がある、というもので、総理大臣に星奈と共に談判したという。
私が玲子と戦い、拷問を受けたのはその前である。
人間と仲良くという星奈と、人間と区別するという玲子の派閥が出来上がりかけた頃に、星奈の背中を押す形で玲子に反発したのが私である。テレビ放送されていたので、私も後から見ると恥ずかしくなるくらいぶりっ子していたものだ。
その後に玲子を挑発して戦いやすい空地に導き、わざと時間をかけて負けた、というところまで計画通り。
しかし捕まった私が考えるも悍ましい行為を受けたことは、もう言うまい。
彼女の凄いところはそれだけではない。
私を捕え拷問した後、チェンジャーのような異形の存在『七つの大罪』――玲子はエクシードなんて言っていただろうか――が各地に出現したというのだが、それが一箇所に集まるのと感じ取ると、『世界』の能力を使いそこへ移動、そのまま星奈と共闘し打ち倒すということをしたらしい。
そこで異なる派閥の星奈と親交を深め、総理大臣の元へその後に直行することで素早く話を済ませたのだ。業務処理能力とでも言うのだろうか、とにかく手が早い。
その上、結果は理想論とも言うべきだった星奈の人とチェンジャーが融和する形に落ち着いて、挙句玲子以外は大体今まで通りの日々を過ごすことができるようになったのだ。
今、結果だけ見れば、玲子は自らを犠牲に他のチェンジャーを自由にしてくれたと言えなくもない。
彼女がどこからどこまでを計算してやったのか、何度も話し合ったものである。
と、ひとしきり玲子について改めて語ってみると、アルカは訝しそうに尋ねた。
「それで、玲子さんの何が怖いの?」
「そうね、人間って普通差別するじゃない?」
「するの?」
「いや自分で言ってやっぱり矛盾するんだけど、玲子は極端にそれがないの。差別……って言うと、また語弊があるから訂正するわ」
うってつけの言葉が出ずに少し悩む。玲子について真剣に考えることは多いが、それでも途中でやめてしまうのは本心から彼女を恐れているからに違いない。
だが改めて彼女のことを思い、一つとある仮定に辿り着いた。
「意思がない、っていうのに近いかな。いえ、したいこととか目指すべきものとかはちゃんとあるんだろうけど、躊躇がない、遠慮もない、自分勝手とか自己中心的とか、そういう感じ。サイコパスとかシリアルキラーなんて言われるのと同じ精神構造している気がする。他人の迷惑を顧みず、自分の気持ちすら無視して、ひたすら目標に突き進むような、そんな人間味のないロボットみたいな人間、そう思う」
玲子と親交の深い蓮に拠れば、最初玲子はチェンジャーを人から進化した新生物だと判断し、独立の道を探ったという。
普通人間がすぐに自分が変わったと認めるだろうか? しかも人ならざる化け物になったということを。
それを堂々と信じ、そのように振舞い、またそのように振る舞うことを他者にも強要した辺りは、玲子は生物としての使命のみを全うしようとしているようだ。
「リナの記憶を見た時は、そんな感じしなかったけど。むしろ人当たり良さそうな、良い人みたいな」
「普通に会ったら私もそう思うだろうけど、状況が状況だったからね。世界を激震させるチェンジャーの出現! その代表として仁藤玲子はいかなる行動に出るのか! みたいな緊急事態だったから、彼女の目立たない異常性が表れたって感じかしら」
人間いざという時には何でもできる、と言うが、それが顕著だっただけかもしれない。
……いや、違う。
「待って、きっと玲子はそんな緊急事態じゃなくたって、私みたいなチェンジャーが手に入ったら非人道的な拷問をしたに違いないわ。偶々機会が重なっただけで、いつでも目的のための行動がとれるからヤバいのよ」
「思い込みじゃない?」
「……確かに今は確認する術がないけど、変わらなさすぎるのよ、玲子は」
チェンジャー事件の後も玲子と話したが、彼女の変わらない様子を私は知っている。
「それって、事件があって色々と疲れているからじゃないの?」
「そうは思えない、っていうのも確認できないけど……」
うまく伝えられないことに苛立ちを覚える。ああ、あの独特の雰囲気を、どうして言い表せられないのだろうか。
アルカは一緒に考えている様子だったけど、突然笑顔を輝かせた。
「それそれ、そういう記憶を見るだけじゃ分からない感覚を教えてほしいの!」
「……どういうこと?」
「概観するだけじゃ全然分からないの。でもさ、やっぱり直接会って話して感じる印象って、全然違うと思うんだ。だからリナがそう感じたんなら、きっとリナの方が正しいんだよ」
アルカは一人納得したように頷く。けれど私は腑に落ちない。
「でも、概観した方が現実を見れるんじゃない? 印象や感情っていうのは正しさを見る時に邪魔になるから」
「正しさだけを見たら、嘘や嘘の中の真実を見抜けない。人間ね、物を言うのは経験と勘だよ」
「子供がよく言うわね、そんなこと」
けれど、彼女がやたらに話を聞きたがる理由は分かった。百聞は一見に如かず、ということなのだろう。
「じゃあ今度は鈴輝の話を……」
「明日ね」
一日二人は無理だ。
駄々をこねるアルカを無視して、私は嫌な考えを払拭するように思考を暗闇で塗り潰した。
それでも、あの悪魔は暗闇から現れるのだ。
初めて鈴輝と出会ったのは、私がセルゲイの組織に馴染んだ頃である。無論加入はしていないが、協力者みたいな立場で結構自由にしていた頃。
南アメリカのギアナ高地と言えばそこそこ有名だろう、垂直に切り立ったテーブルマウンテン! 自然の形なれど直方体のようにまっすぐな崖は見るだけで惚れ惚れとするくらいに美しい。
私が子供の頃にはとある特撮番組だとか、アニメだとかで出てくる妙にお洒落な場所だったのだ。何故ギアナ高地なのか、と不思議に思うけれど、見ればいかに映像としてそこが映えるかよくわかるだろう。
そんな幼い頃の憧憬を思い出しギアナ高地にやってきたのだが、当地にある安い観光ツアーに名を連ねたのが私のミスだった。
気まぐれでやってきた現地の人とちょっとの旅行者しか参加しない地味なツアーは値段くらいしかいい点がなく、申し訳程度のホテルとガイドがついていて、その粗雑さもまた旅の楽しみと割り切って参加していたら、その黒人ガイド含め全てが罠だったというオチである。
ツアー参加人数が十七人に対して、銃で武装した男どもがかれこれ十人ほどで囲み、それを遠巻きに、笑顔で見ていたのが王鈴輝であった。
月並みな言葉になるけれど、彼女は若く美しい女性だった。黒い髪は絹のように滑らかで腰ほどまでに伸びていて、これ見よがしに浴衣なんぞを着ていたけれど、独特な言葉遣いから中国人だと、少なくとも日本人ではないと分かった。
まず銃を取り出そうとした欧米人が一人撃ち殺されて、その時点で私は手を挙げた。当然泣き叫ぶ人もいたけれど、彼らはそれを全く無視した。逃げ出そうとする者や抵抗する者に容赦はないが、泣いているだけなら時間をかけて待っていた。だから泣き叫ぶ奴らは犯罪者より、同じ人質の方が苛立っていたかもしれない。
やがて全員が服従の形を取ると、東洋人と西洋人で二つのグループに分けられた。私は生まれは東洋なのだけれど、彼らはパスポートなどを見ず外見で判断したために、私は西洋人グループに分けられていた。
その時は知らなかったが、その中に日本人が一人もいなかったから鈴輝は西洋人グループに付き添ったらしい。何故そうしたのか、については後で分かる。
連れてこられたのはギアナ高地とは似ても似つかない、というのはアレだが、そのうちの一つのテーブルマウンテン、というか単なる崖だ。
銃を持った黒人達が私達を見張る中で鈴輝が、その時に日本語で言った言葉が、次のものである。
「欧米の豚、落ちて死になさい」
彼女はずっと英語を話していたのに、その言葉だけ日本語で、私は驚き、そして反論したのだ。
「ちょっと、待ってください、私は、日本人です、日本で生まれて日本で育ちました」
それが王鈴輝との出会いだった。
テーブルと椅子を用意され、鈴輝が片側に座ると、私はもう片方に座るように指図された。
人質同然の私は命令を聞く他なく、座って彼女を前にして、改めて彼女を見た。
「王鈴輝、ですヨ。あなたハ?」
「リナ・リーベルト……、その在日米人で、父はクォーターで母が日本のハーフだから、半分くらいは日本人の……」
「大丈夫大丈夫、外見で判断しないヨ。人間、中身が大事」
鈴輝は気さくな笑顔を見せて言うけれど、それは死ぬほど似合わなかった。
「それで、リナ、どうしてここに来たノ?」
「えっと、ギアナ高地、憧れてたから。昔、特撮のヒーローとか、アニメのキャラが、よくここで戦ってたから」
「アニメに特撮、良い日本文化だネ! 私も好きだヨ? いろんな国に輸出されてるネ」
終始笑顔なのだ。この辺りは玲子に似ているかもしれない。何故笑顔なのか。余裕があるという現れなのだろう、笑っていられるくらい余裕でお前のことなんぞ何でもないと平気な姿を示しているのだろうか。
私達を人質に取ってから、私が日本人だと分かっても、彼女はずっと笑顔だった。
「あの、鈴輝さんは……」
「鈴輝でいいヨ! その代り、私もリナって呼ぶネ?」
友好を深めるにしても、こんなにもときめかないことがあるのだと、少し驚きもしたものだ。っていうか、もうリナって呼ばれているし。
「リナ、日本人でも欧米人でも可能な良い名前だネ、リナの親はどこで育ったノ?」
「両親も日本よ。祖父が大人になってから日本に移住したの」
「ふーん、道理で良いお父さんだネ。英語も上手だったシ」
一体何の話がしたいのか分からないけど、今は私の身辺調査をしているらしかった。
「他に何か聞きたいこと、ある?」
「うんうんいーヨ! それより、リナは聞きたい事、ないノ?」
そう尋ねられると、いくらでもある。
「えっと、じゃあ、どうしてこういうことをしているの? どの国でも殺人は犯罪でしょ?」
「人間ってなんだろうネ? リナ」
「て、哲学?」
「違うヨ?」
笑う彼女は、その時妙に幼く見えた。彼女の問いはそれだけ純粋に考えたい事なのかもしれなかった。
「人間は人間よ。二足歩行して、喋って、意志があって、道具が使えて……」
「あー、そういうのじゃなくて、じゃあやっぱり哲学なのかナ? 難しい日本語、あまり分からないけど」
「漢字だから鈴輝の専門じゃない?」
「私、中国語より英語の方が得意なんダ、悲しいけどネ」
彼女は大仰にガッカリする仕草を見せた。つかみどころがないけれど、彼女がどういう思想で行動をしているかは理解できそうな気がした。
「日本が好きなのね」
「日本は本当に良い国だヨ! みんな優しくて正直で、全人類が模範にすべき存在だヨ! だから、私は日本人以外は人間じゃないと思ってル」
急に熱弁をした彼女の最後の言葉は、その時の顔は、確信に満ちていた。
それを人は狂気と言うのだろうと、私は初めて理解した。
「人はそれぞれよ。それに日本人だって、そんな立派なもんじゃないし」
「その謙遜と他人を認める姿勢、リナは日本人の鑑だネ!」
「聞いてないし……、いじめ自殺とか多いし、最近またいろんな問題があるでしょ? 食品偽装だとかイジメだとか」
「そんな問題が取り上げられるくらい平和だってことダヨ! うーん、リナのこと、もう好きになったヨ」
「どこで?」
超のつく親日家である鈴輝は、机越しに手を伸ばして握手を求めているようだった。
私は恐る恐るだが、彼女の笑顔を信じてそれに答える。
「これで私達は友達だよ、親友」
「あなたの国の言葉じゃ朋友っていうんだっけ?」
「日本語でいい……、じゃなくて、日本語が! いいヨ! が!」
言って彼女は握手し、笑顔で手を上下に強く振った。恐ろしいことをしておきながら、まあこれくらいなら私は運が良くて、もしかしたら人質の人達も少しは助けられるかも、と希望を持った。
けれど、甘かった。
「あ、リナ、食事だよ」
黒人が持ってきた皿の上に乗っていたのはまがうことなく人であった。
その人がどういう状況で生きているか死んでいるか性別年齢人種、私にとってそれは大した意味はなくって、それが人間であるという事実だけがとにかく大きくて、文化が異なる国々に行った私でもそれだけは、人殺しと人食いだけは大きな罪であると知っていたから、それが人であるということが問題だった。
とにかく人の肉が乗っていると分かり、パニクった。
「……何の冗談?」
「リナ、同じ犬でも、警察で働く優秀な犬と、人間を噛み殺す野犬、全く別物だよネ?」
「同じ犬じゃない」
「こいつらは違うヨ」
それからの惨劇は……ああ、私は今日悪夢を見てしまうだろう。




