リナの記憶・セルゲイという男
記憶を覗かれた人間などこの世にいるだろうか。
しょうもないカウンセリングや取り調べなどは、あるいはその感覚に近いかもしれない。性質の悪い拷問だ。
自分の知ることを可能な限り思い出させられて、意識が混濁した状態で洗い浚い吐いてしまい、自分が何を言ったかも分からないような状態。
私も過去に何度かそんな経験はある。
だが、本当に記憶を覗かれたのは、今回が初めてだ。
そして、それは何よりも恐ろしいと悟った。
「何なの!? 星!? 国!? 人!? 知らない! 玲子って誰!? 鈴輝って誰!? 星奈って誰!? ナナって!? セルゲイって!? ドニって!? って、それよりもなんでマジシャンのことを知っているの!?」
アルカは興奮した様子で私の首に掴みかかっていた。その力からは、時間を止めたとしても逃れられそうになかった。
「アー、ウー、襲撃は中止! この二人を取り押さえて!」
言葉と同時に、鎧の二人は馬車から出てきた。唸り声かと思いきや、アーとウーが名前らしい。
「全部話してもらうから! あなたは一体……」
「……さあね」
自分の見知った人の名前を片っ端から出されるとは、拷問なんかより余程恐ろしい。
しばらく馬車の旅は続いたが、馬をアーとウーが操り、そして二人の後ろと荷物を置く倉庫の間の狭いスペースに私とスイートの間にアルカが座っていた。
既にアルカはスイートにも記憶を読む魔法をかけたようだが、スイートの記憶はあまりお気に召さなかったようだ。
「じゃ、こっちの茶髪は人質、リナ・リーベルト、話して、全部話して! もう最初から全部!」
「はいはい、テンションの高い小娘を見ると思い出すから、ナナの話からしましょうか」
「最初からだって!」
わたわた動き、ローブがめくれ、黒い髪をてっぺんで結わえた可愛らしい頭が出てきた。
しかし記憶を見られたってことは、隠し事も必要ないわけね。
スイートにもこれといった隠し事はもうしてないはずだし、仕方ない、正直に話すか。
(いいかしら、ハングドさん?)
『任せるぜ。しかし、信じるかな、こいつ』
(記憶を読める奴に疑われても、どうしようもないんじゃない?)
だから私は全てを語ることにした。
母は里子、父はジョセフ、と言うため、私のリナという名前は里奈という日本名も当てられている。
宗教だとか学校の話はすっ飛ばして、ひとまず私が人付き合いが苦手で、そのために恐怖について探求したいと思うようになったことを伝えた。
その時点でアルカもスイートも私のことを変人扱い、だが酷いのはこれからだ。
中学時代のことだ。
まず高いところから飛び降りた。といっても死なないだろう高さの二階。
次に体育館から勝手にマットを飛び出し、三階相当の体育館の屋上から飛び降りたりもした。死なないようにするが、私はその恐怖を乗り越えたいと思った。
高所恐怖症というのがあるが、生物は誰しも死の危険、高所に恐怖を感じるという。赤ちゃんが夜泣きするのは高い高いのせい、なんてテレビでもやってたほどだ。もっともテレビなど信じちゃいないが。
手首も切ったことがある。無論横向きだ。縦向きは本当に危険らしいから。
クラスで自傷行為が流行ったことがある。意味ありげに手首の包帯をちらつかせたり、夏場にも長袖を着たり、隠したいのか見せたいのかよくわからない人もいたが、真剣に悩んでいる人もいた。
手首を切って人は何を得るのか? 何を感じるのか? 怖くはないのか?
不思議だった。だから試した。死ぬ気は当然なかったが、親には泣かれた。今はハングドマンのおかげで治っているが。
自殺に似た行為は繰り返したが、死ぬ気は微塵もない。死を怖いとそれほど思わなくなったのは高校の時の教師が理由だ。
元々私はそんなだから、よく旅に出ると言って学校をサボったりしていて、周りから見れば素行が悪くて自殺癖があると来たもんだ。先生は、それはそれは私の扱いに困ったものだ。
そんなときに先生が私にしてくれた話がある。カウンセリングのアホみたいな先生ではなく、担任の古文の教師だ。
無骨で、理科系っぽい根暗な男だったが、その時の話は今でも覚えている。
とある田舎娘の回想だったろうか? 古文ではなく漢文の一つで、諸子百家というジャンルの中の話だった気がする。
ある娘は田舎に暮らしていて、親を本当に大切だと思っていた。
だが娘が家を救うには、都会の金持ちの嫁にならなければならない。
娘は当然それを嫌がった。いかに家族のためと言えど、家族と離れることが辛かったから。
けれど結局、娘は金持ちと結婚し、都会で暮らした。
そして娘は思うのだ。
なんて都会は素晴らしいのか、あれほど嫌がった自分が馬鹿みたいだ、と。
とある子によれば、死はそれと同じなのだそうだ。
どんな場所か、境遇かも分からずに、死を恐れるのは、都会をどんなものか知らずに恐れることに等しいという。
それで古文の教師が言いたかったことは何かというと。
「自傷行為しても、なんも変わらんだろ?」
それだけだった。でも実際にそんなことをしても何も変わらなかったのだ。
聞いて思わず笑ったし、先生は滅茶苦茶他の先生に怒られていたが、私はそれに深く納得し、もっと先人の言葉に耳を傾け、直接恐怖と戦う前に知識をつけることにしたのだ。
そして私は世界を巡ることにした。
無論、親は賛成しなかった。父もアメリカンと言えど日本で生まれた日本人のようなもの、保守的な考えに凝り固まっているし、まあ誰だって可愛い一人娘を一人で旅させたくないだろう。かわいい子には旅させよ、など嘘っぱちなのだ。
途方に暮れて困っていた私を助けてくれたのがセルゲイである。
ロシア人の男で日本語にも通じており、密入国をしているとのことだ。
人生であれほど都合の良いことはなかった。私の人生で一番のラッキーはセルゲイとの出会いだ、と言っても過言ではない。
「ねえ、そのセルゲイって人の話を聞かせてよ! 面白そう!」
好奇心で瞳を真ん丸に輝かせるアルカを見て、私は若干笑顔が引きつった。
「ふぉふぉ、リナ、本当にここまでくるとは困ったやつだ」
場所は船の中の倉庫のような個室だ。激しい揺れと木箱から放たれる奇妙な匂いは、状況も含めて私の心臓を高鳴らせていた。
「私もまだドキドキしてる。指名手配とかされないかしら」
セルゲイは小太りの小男で澄んだ茶色の目と常に被った毛皮の帽子が印象的な男だった。
「されるだろう。まあ捕まるかどうかは君次第だ」
この男のほかに印象的なことは、飄々としていて、けれどしっかり者で今までミスはほとんどないこと。
「さて、我々は同士だ。そこにかけたまえ、あとキスも」
「き、キス!?」
「知らないのか? ロシアでは挨拶代りにキスをするんだ。いや、まあ日本人にとってはあまりなじみがないかもしれないが、我々からするとキスすら断られると、なんというか、人間として否定するようなもので」
「そ、そこは日本式を尊重してくれないかしら?」
「だが慣れておかねば。この国でしばらくやっていくならキスは必須だ」
「えー……でも」
「せめて、命の危機を共に乗り切った俺を練習台にしろ。フレンチキスだ、そんなに激しくない、ただ唇を重ねるだけさ」
「……初めてなんだけど」
「そういえば日本人は初めてのキスなんかを大切にするんだったな。我々は親とさえ数えきれないキスをするから、気にしたこともない」
ああ、あとは言うまでもない。
そしてセルゲイの家で妹と会い、私がそのアーニャちゃんにキスしたら、言われたのだ。
『まあ、リナさん、キスは親しい人だけでいいのよ!』
これは無論、セルゲイが訳してくれている。
「でっ、で、でも、ほら、これから、親しくなるだろうしね!」
私は年下の女の子に何をしているのだろうか、なども含めた煩雑な感情に苛まれつつ取り繕う。
けどアーニャちゃんはくすくす笑いながら、唇の端を合わせるようにキスを返してくれて、ハグまでして、耳元でそっと呟くのだ。
「セルゲイ、うそついてる」
またアーニャちゃんは、セルゲイを指さして、くすくすと笑った。
これはカタコトながらアーニャちゃんが日本語で言った。
それだけで、セルゲイが常習犯だと即座に理解できた。
「……セルゲイ、ちょっといいかしら?」
「なんだ、リナ」
「今アーニャちゃんが……」
「うわ、もう言ったのか。リナは気に入られたな。うん」
キスは基本的に同性でしかしないそうだし、唇をもろに重ねるなんてしないし、そもそも男同士ではキスもあんまりしないそうな。
後でセルゲイは山ほど殴った。
これがロシアのセクハラオヤジこと、セルゲイとの苦い経験であった。
「難儀だねぇ」
スイートが何の感慨もなさそうに呟くのを私は不愉快になって聞いた。
「難儀どころじゃないわよ。こちとら初めてのキス奪われてんのよ? いや、まあそんなのは気にしてないけど」
「ロシア、聞いたことない……でも、リナはそれを絶対に真実だと思っているし、その映像も私は見た。異世界から来た人の記憶は覗いたことがあるけど、あなたの世界は初めて」
「そりゃよかったわね。こんな話でいいならいくらでもするけど……その代わりに、一つお願いを聞いてくれる?」
「なに?」
「私達を無事、レベルレット三王国まで連れて行ってほしいの」
「それはまだ決められない。あと、リナのお話次第」
やれやれ、過去の話はあまりしていて気分が良くないのだが。
「じゃあ、何の話がいいでしょうか、お嬢様?」
「リナの話したい話」
「そんな適当な……」
「一番面白かった話は?」
「今じゃないかしら?」
特に考えずに私は決めつけた。しかし人生でこれ以上に面白いというか、奇妙な出来事はないだろう。それこそあとは三年前のチェンジャー騒動の時くらいだ。
「でもこの世界と比べたらね……」
「いいから! リナが感じた全部を教えて! リナの全て! リナの本音も思いも記憶も感情も全部私に見せて!」
三人目の怖い人が誕生しそうな勢いで、アルカは私に掴みかかってくる。
「分かったからちょっと待って」
「待たない!」
瞬間、アルカの瞳が一瞬光った。
それは私が変身する時のようで、彼女が記憶を覗いた時のようなものだった。
けれど、アルカは苦々しげな顔をするだけで、特に何も起きなかった。
「……やっぱり」
「何がやっぱりなの?」
珍しいアルカの様子に不思議なものを感じて私は尋ねると、やっぱり彼女は激情家なのか、猪突の勢いで頭をぶつけてきた。
「私の人間魔法のいくらかがリナに通じない!」
「に、人間魔法って、随分仰々しい名前ね」
これまでにそんな感じの魔法の名は聞いてきた。
確か回転魔法を使う噛ませ犬の奴と、レイフェスの肉体魔法とか言うもの。
それに対して人間魔法とは、こちらの世界ではコミカルでユーモアに富んだ名前のようだが、どこか空恐ろしいものをも感じさせるネーミングだ。
「それって、どんなことができるの?」
「記憶を読むこと、感情を操ること、人に関することなら何でもできるつもりだよ? でもリナは人間じゃないから」
「私のどこがアフロディテだって?」
「なにそれ!? アフロ……なに!?」
奇妙な言葉だと感じるたびにアルカは私に掴みかかってきて、吐息を首元に当ててくる。
さて、人じゃないなら私は美の女神かと冗談を言ったのだが、そんな神はこの世界には当然いないのだろう。
私がこんな奇妙なたとえをしたのにも、当然理由がある。
ナナ・デュカキス。
高校の時の先生くらい私に影響を与えた、奇妙な少女が初対面の時に私にそう言ったのだ。




