奇異
けたたましい音が室内に響く。
その音から逃げるように、ベッドの中で頭から布団をかぶって丸くなってみた。
音は容赦なく鳴り続ける。
諦めて布団から這い出て、必死に主人の眠りを妨げようと鳴り続けるスマホのアラームを止めた。
「・・・・・・眠い」
カーテンの隙間から差し込む光と小鳥のさえずりが新しい朝の訪れを感じさせてはくれる。
だからといってすっきりと瞼が開くわけではない。
なぜ朝は毎日やってくるんだろう、なんてくだらないことを考えながら洗面台へと向かう。
抵抗し続ける瞼を擦りながら覗いた鏡には、疲れきった顔の少年が映っている。
「ひどい顔だぞ、お前…」
鏡の中の少年に半笑いで見つめ返される。
所々に寝癖のある黒髪のなかにいかにも不健康そうな顔があって、目の周りの隈がより一層疲労感を醸し出していた。
そのままぼーっとしていると、再び鳴り始めたスマホのアラームではっと我に帰る。
「やっば、遅れる……!!」
もう一度アラームを止めると、バタバタと手慣れた朝の準備に取りかかった。
「まーた遅刻か成瀬の坊主!」
「うるさいな!まだ遅刻してないから!」
「頑張んなーあと10分だよー」
「怪我だけはすんじゃないよー!」
「いい加減余裕持って起きなさいよね!」
「もーわかってるってば!」
息を切らしながら走っていると、店を開け始めた商店街のみんなから応援のような野次が飛ばされる。
恒例となりつつある学校までのダッシュにはこの商店街を抜けて行くのが早い。
そうわかったのは遅刻回数が二桁に足をかけた頃だった。
この時間は人通りもまばらで、アーケードになっているお陰で信号にも邪魔されない。
最高のショートカットコースだと思ったのは良かったけれど、常習化している寝坊のせいで毎日のようにこの商店街コースを走っている。
今では商店街の人にも知られていて、『遅刻間際で走り抜ける高校生』は平日の朝の名物となっているらしい。
「頑張れ兄ちゃん!転ぶなよー!」
「遅刻したらまた先生にしばかれるよー」
「はいはいどーも!頑張って行ってくるよ」
ありがたくない声援を受けながら走り抜けていくとその先には雑居ビルと飲み屋がひしめき合っている。
一歩路地に入れば複雑に入り組んだ迷路だが、道を熟知している人間にとっては何の事はない。
「よし、今日は間に合いそうだな」
夜の匂いがまだ少し残る路地裏を走りながらスマホを見た。
8:18
まだ7分の余裕がある。
LINEが何件かきてたけど、確認するほどの余裕はさすがにない。
額から流れてきた汗を腕で拭うと、路地の先に開けた道が見えた。
この先の路地を抜け、マンションの駐車場を横切っていけば学校はすぐそこだ。
息が上がりそうになりながらアスファルトを蹴った。
路地を抜けると陽が差し込んで明るい道になる。
やっとここまで来た・・・・・・!
ほっとしたのもつかの間。
目の前に見えるべき駐車場の景色は青いものにすっぽり覆い隠されていた。
危うく全力でその青に突撃しそうになるのを、半ば転びながらなんとか踏みとどまった。
「なんだ、これ・・・・・・」
息を整えながら酸欠になっている脳に酸素を回した。
冷静になってみると、その青はブルーシートで周りに人集りができていたことに気づいた。
周りの人たちはブルーシートを中心に集まっていて、それぞれがひそひそと話している。
とても異様な雰囲気だ。
「はい、ちょっと失礼するよー」
「あっ、すいません」
突然視界の中に現れた警官に声を掛けられ、急いで道を空けた。
警官の手には規制線のテープがあり、それをブルーシートと集まる群衆を隔てるように張っていった。
「事件、なのかな・・・・・・」
最近のこの街では珍しいことではない。
先週は公園の遊具が忽然となくなっていたし、その前は街のあちこちに不気味な落書きがされていたり、小学校のグランドが水浸しになっていたり・・・・・。
どれも犯人、というか手口さえ不明で今でも警察が調査中だ。
被害にあった人がいないことから、世間の注目を浴びたい愉快犯によるイタズラだ、とニュースでは言っていたっけ。
今度は駐車場でなにがあったんだろう。
ブルーシートがしてあるということは人の目に触れないほうがいいようなイタズラだったんだろうか。
「ホントに最近は物騒で怖いわねぇ・・・・・・」
すぐ後ろでひそひそと話す声がした。
盗み聞きだとは思いつつも、つい耳を傾けてしまった。
「今回もイタズラなんでしょう?どうしてわざわざこんなブルーシートなんかで隠して・・・・・・」
「あら、奥さん今朝のニュース見てないの?」
「ニュース?」
「そうよ。昨日の夜、ここで殺人事件あったらしいわよー」
―――殺人、事件・・・・・・!?
予想外の単語だ。
殺人を犯す人間の気持ちはわからないけれど、
それが本当なら今までのイタズラどころの騒ぎじゃない。
まさかこんな街中で、と思ったけれど言われてみればブルーシートの周りに立つ警官たちの物々しさは単なるイタズラのレベルではない。
周りに集まる人達の顔には恐怖がちらついていて、それを紛らわそうとひそひそと話し合っているようにも見える。
「ここだけの話。私見ちゃったのよ、駐車場。」
「ブルーシートで隠される前?」
「そう、もうあれはひどいってもんじゃなかったわよー」
「ひどいってどんな・・・・・・」
その時ビルの谷間を抜けて風が吹き抜けた。
風は木の葉と土埃を纏ってブルーシートを大きく巻き上げる。
広げられたブルーシートを必死に抑えようとする警官の間から隠されていた駐車場が垣間見えた。
一面に広がる赤、赤、赤。
ところどころに何かの塊が落ちている。
そして鼻につく鉄さびの匂い。
飛び込んで来た景色は脳裏に焼きつくには十分なものだった。