信仰
あの後僕は姉に促されて、すぐに学校に向かった。
だが朝の出来事が忘れられず、試合に集中できていないとのことで途中交代を命じられ、まるで世界中の悲しみ・不幸の鎖が自分を縛りあげているような感覚を覚えたのだった。
「…失意の僕を救ったのは、姉の『待っているから、早く帰ってきなさい』というメール。
その短い言葉に姉の暖かい愛情を感じて-」
「お~い、姉ちゃ~ん、待っているから、妄想の世界から戻っておいで~」
「何よ、ここからさらにお隣さんを巻き込んでのドロドロの愛憎劇に!」
「ならないから!」
すっかり気分がシラけてしまったが、僕らの共通疑問点はもう話題に出ていた。
「…やっぱり、あの時のばあちゃんは、ばあちゃん自身じゃなかったと僕は思うのだけど」
「そうね。あれはまさにトランス状態、何かに憑りつかれた感じだったわ」
「何か……というのはやっぱり、」
『ヒトクチさん』
……だが僕たちには決定的に足りないものがあった。それはヒトクチさんという存在に対する情報量。いかんせん僕たちは『ヒトクチさん』という名称以外は何も知らなかった。
「結局お母さんも、ヒトクチさんのことはひぃおばあちゃんから聞かされているだけなのよね……」
(代々語り継がれる伝承…ヒトクチさん… ん?)
「姉ちゃん!もしかして小さかった頃、僕らはヒトクチさんに会っているかもしれない!」
弾けるように勢いよく声をだした僕と対照的に、姉は冷静に次の言葉を待っていた。
…あれはまだ僕が幼稚園に通っていたころ。
姉ちゃんの自由研究を手伝うため一緒にむしとりをしていたときだと思う。
僕と姉ちゃんは大人たちに内緒で仕掛けた樹液のトラップにかかった獲物を捕まえるために、夜明け前にこっそり家を抜け出した。
暗い山で離れないように姉の手をしっかり握って歩く途中、僕は幻想的な緑の光を見つけた。蛍よりもっと煌びやかに揺蕩うその光にすっかり僕は魅入ってしまい、それを捕まえようとふらふらと脇道を進んでいったのだった。
「アキラちゃん、どこ行くのよ~」
トコトコと僕に手を引かれて歩く小さかったころの姉ちゃん。
「こっち!こっちだよ!」
疲れも知らずに、何処とも知らぬ道を行く。小さな藪を掻き分けた先で-
僕は神様に逢った。
今にも消えかかりそうな淡い輝きを纏う、この世のものとは思えない美しいその姿は白い蛇神様だった…
「あの時に逢った白蛇がヒトクチさんってことは考えられないかな?」
「それ以上は言ってはダメ」
絞り出した僕の発案をあっさり否定し、姉は僕の鼻をギュッとつまんだ。
それは姉が僕に出来うる最大限の怒りの表現だということが、その眼を見たらわかった。
「白なる蛇神様はこの地の守り神よ。その神様が人に危害を与えるなんて疑わないで」
「そうだね、ゴメン……もう部屋に行くよ」
もしかしたら姉は僕の知らない蛇神様の一面を知っているのかもしれないが、気まずくなってしまった雰囲気の中でこれ以上の話をしようとは思えなかった-
部屋に戻り、姉との会話を経て今日を振り返っていると、先ほど自分がお墓に行こうと執着していたのも、ヒトクチさんに誘われていたのかもしれないな、いやそうとしか考えられないと僕は思うようになっていたのであった-