夏の終わりのエピローグ③
バスを乗り継ぎ行き着いた海岸線。
夕闇が迫る午後6時、僕らはようやくここまで来た。
「海風で寒くない?」
渇いたのどを震わせ僕は彼女に尋ねる。
「ええ…」
短く答えた小林さんは地平線の向こうをジッと見つめる。潮風が彼女の髪を揺らす。
「今回の事件で僕は本当に大切なことを学んだよ」
誰に話しかけるでもなく、ぼつぼつと語る。
「みんな自分のストーリーを持っている。それは他人には言えないものだったりするけれど、みんな悩んで、答えを求めて戦っている。僕はそんな素敵な人たちに囲まれている」
彼女は何も言わずオレンジの空を見つめる。瞳が揺れた気がしたのはきっと僕の勘違い。
「海へ行きましょう」
姉が再び部屋に戻った後、小林さんのたっての希望で海へ出かけることにした。
小林さん曰く、蛇神様はヒトクチさんとの衝突で限界ぎりぎりまでエネルギーを消耗したらしく、依代である姉と分離し、あるべき土地神としての姿に戻り眠りについたらしい。
すぅすぅと寝息を立てて寝る姉の姿は、かすかに覚えている笑顔の姉ちゃんそのもので、僕は心から安堵した。
-人影もまばらな海岸。ここは彼女の大切な場所。僕と彼女が初めて出会った場所。
ふらふらと夜の海岸通りを歩く少女。バスの時間はとっくに過ぎ、点滅を繰り返す街灯だけが彼女のシルエットを照らしていた。
(あれ、幽霊じゃないよね…?)
運命のいたずらか第一発見者となってしまった僕は、おっかなびっくり迷子の少女に声をかけた。どうやら我が家の近くにある親戚宅が目的地らしい。
乗り掛かった舟、結局僕は彼女と一緒に5時間歩き続けることにした。
4月になり転校生としてわが中学校に転校してきたこの少女こそ、小林さんであった-
『私はすぐにあなたに声をかけたのに、あなたはそのことをすっかり忘れていたわ。あれは本当にショックだった。私の人生史で指折りの事件だわ…』
これは彼女の口癖である。ええ、忘れていた僕が悪いですよ、はい。
(ただ、あのときの彼女のしおれきった瞳は今でも覚えている。今はもうないあの瞳が止まっていた僕の心を突き動かしたのだ)
「そうね、みんな自分の人生を戦っている。だけどあのときの私はそれを放棄していた。
…私はこの人生を終わらせる場所を探していたのよ」
薄い闇のヴェールに覆われはじめた空をそれでも彼女は見つめていた。陽は沈み、波の音だけが沁み入る。
彼女の静かな独白は、ゆっくり彼女の心を傷つけながら僕に届く。
「私の母もモエさんと同じく、ある土地神をその身に宿していた。だけど私を産むときにその神が私に鞍替えをしようとしたらしいの。幼子には物心も分別ない。よって神に乗り移られたら最後、その子には自我は生まれず、ただ人の形をした土地神となってしまうの。
だから母は戦った。私を護るために、私をちゃんと私として育てるために……。」
ようやく僕は彼女に抱いていた違和感の正体に気づいた。(そうか、彼女も…か)
「難産だったけど私は元気に産まれたわ…母と土地神の犠牲の上で。けどそれは父や父方の親族にとっては不都合だったみたい。都内で代々神社を継いできた彼らに必要だったのは、わずかな霊能力しかない私よりも土地神様の方だったみたい…」
「じゃあ彼らにとって小林さんは必要ないってことなの!?お母さんが必死になって繋いだあなたを、その命を! ……そんなのって……酷過ぎる!」
僕が柄にもなく吠えると、彼女はビクッと驚いたようだった。
「…いいのよ、アキラくん。向こうではずっと蔑ろにされてきた。それに関して憤りや、怒り。虚しさをずっと感じたわ。だけどこっちの母方の親戚のみんなは優しくしてくれているし、ここでの生活はなかなか愉しいわ。こんな感情を持つなんて少し前までは思いもしなかった。でもね、アキラくん。私が今日一生きていける、一番の理由は…」
― あなたがいてくれるから ―
(小林さん、どうして僕を。こんな僕を君は……)
今の彼女はどんな顔をしているのだろう。照れているのか、それともいつも通りクールなのか。そのどちらかのようで、どちらでもないのだろう。一つ言えることはいずれにしても、もう僕は小林さんを離せない。もう、覚えてないなんて……言えない!
「僕は今までずっとダラダラと生きてきた。自分の人生には波など起こらずに平凡に生きてゆきたいとそう思っていた。…でもそれじゃあ護れない。大切な人を、君や姉さん…
みんなを護れないのが今回の件で分かった…!」
僕は知りたい。僕の人生って何なのだろう。僕が彼女たちと出逢ったのはなぜだろう。
答えはないのかもしれないし、気がついたら手にしているのかもしれない。
けれどそれは僕一人ではきっとたどり着けない。僕も戦わなければならないのだ。
「小林さん、僕らの事件はまだ終わっていない。現に浜口先生や金岡君はまだ見つかっていない-! 佐藤君がすべての罪を背負わされたままじゃ終われない!」
強い決意を持って事件の解決を彼女に宣言する。
「だから僕に力を貸してくれないかな…?」
「…ええ!」
そう彼女に僕が必要なように、僕にも彼女が必要なのだ。
「ねえ見て!アキラくん!あちらの川辺に蛍がいるわ!」
(…ふふ。小林さんってば)
話が終われば、彼女はいつものマイペース。でも不思議と嫌ではない。
「…アキラくん やっぱりあなたに話してよかった…」
蛍と戯れる彼女がボソっと呟く。
-こうして僕らは小さな夏灯りたちが眠りにつくまでずっと寄り添っていたのだった-




