ヒトクチさん
((一体何が間違っていたんだよ!?))
彼の懸命の声が届く頃には、僕はその異変をはっきりと認知していた。
それは目を凝らさずともわかった。
墓石がひとつ、またひとつ光っている。ボゥっと鈍く赤黒い光がうごめいている!
(なんて禍々しい。憎悪、執念、怨恨、殺欲…)
僕はまだその異変に気づいていない佐藤君に向き直り、声をかけた。
しかしすでに彼の後ろには『ヒトクチさん』が立っていた-
出逢ってしまう危険性は覚悟してきた。しかし不思議と驚きではなく戸惑いの感情が出た。
だって『それ』は夏になると毎年毎年見てきた馴染みの深いもの。
【提灯】
そうさ、神社やお寺、お祭り会場で普通にぶら下がっているただのちょうちんさ。
何だよ。それが佐藤君の倍、いや3倍ほどの大きさなだけじゃないか。
その真ん中あたりにヒトのクチみたいなのがついているだけじゃないか。
それがグァっと大きく開いて彼を飲み込もうとしているだけじゃないか。
(動けよ!僕の体ァ!!)
眼を見開き、大きく息を吸い込む。金縛りにあったかのように硬直した体に高圧の血を流す。
「走れェええええええええええ!!」
ありったけの声を彼にぶつけ、僕は駆け出した。
佐藤君も気味の悪い気配を感じ取ったのだろうか、僕の後ろを走ってきてくれた。
チラッと後ろを振り返る。あの提灯はまだ口を開けたままジッとしている。
『ヒトクチさんには眼がない』
『ヒトクチさんには耳がない』
(ばあちゃんの声がする。なるほど、眼と耳がないから追って来られないのか!?)
「とにかく墓から出よう!!」
白く光る街灯に向かい懸命に走る僕と佐藤君。
ヒトクチさんの活動範囲は墓地だけ、というのが僕と姉の出した結論だった。
だから走る、懸命に走る。墓の外まで逃げ切る!
「もうすぐだ!急いで!」
「しばっ-」
もうあと10メートルといったところだった。
そう佐藤君に声をかけたが、僕の左に佐藤君の姿はもうなかった。
あるのは見覚えのある靴が一足だけ。
(えっ……!?なんで……)
その靴はどうみても佐藤君のもの。だって今日の朝に学校の下駄箱で見たし、ついさっきも見た。そして何よりも、なによりも、かれのあしがくつにささっているじゃないか……!!
「うあああああぁぁぁぁぁああ!!!!」
腰が砕け、尻餅をつく。立てない。立たなきゃ。震えて。立てない。
恐怖に引きつりながら、それを把握するために前を向く。
(そんな…さっきまであそこに突っ立っていたじゃないか……)
僕の目の前に高さ5mはする提灯が外への道を塞ぐようにそびえ立っていた。
その光景はどんなに譲歩しても僕の理解できる範疇を超えていた。
(佐藤君が…そんな!一瞬で。一口で…殺された!)
そしてこいつはいま!たべている!かれを。
バリ! バリッ! ゴリッ! ゴリュ!
『あっちゃん、ヒトクチさんからは逃げられない』 ばあちゃん…。
『アキラくん、今日はあの墓に行かないで、お願いだから』 小林さん…。
『アキラぁあああ』姉さん…。
僕の頭に流れるのは、過去と現在が入り混じった言葉たち。
「バカだ。僕は」今更になって自分の愚かさに気づく。そして死にたくないと生まれて初めて思う。だが…
「眼ガタリナイ。耳ガタリナイ。今ヒトツテニイレタ。アトヒトツタリナイ。タリナイ」
「眼ヲヨコセ。耳ヲヨコセ。ヨコセ、ヨコセ、ヨコセ、ヨコセ、ヨコセ」
倒れ込むようにして提灯の大口は僕を飲み込んでしまったのであった-




