02
ミツルは山の入口と思われるところを抜けて、山に入った。
もう何年も人が入ってないせいか、草が生い茂ってはいたが、道らしきものがあったのでそこを通り、登っていく。
もう、動く死体の気配は感じられない。
とはいえ、ミツルは警戒しながら登り、途中、休憩を挟みながら頂上を目指すことにした。
この山がどれくらいの高さがあるのか分からないが、そんなに高くないだろうと思っていた。
そういえば、とミツルは思う。
ウィータ国をあちこち巡ったが、山登りなんて初めてだった。
山はさすがに全面を木の板は覆っておらず、だが、だれかの手が入っているようで、道は階段状になっていて、木の板がそこには敷かれていた。
街での暮らしが長かったミツルはその光景が珍しかったが、ゆっくり観察する余裕はなかった。
山の中に生えている木はやはりウィータ国特有の木が多いようで、色鮮やかだった。
黙々と登っていくと、開けた場所にたどり着いた。ここが山頂かと思ったが、どうも違うようだ。
上を見ると、ベルジィに聞いてはいたが、雲がかかっていた。
ここはそれほど高い場所とは思えないのに、不思議な光景だった。
まだ陽は高かったが、今日はここで休んだ方がいいかもしれない。
周りを見渡してみると、草は生えているが木は生えておらず、屋根もなく、ただの広場のようだった。
心許ないが、ここで休むのが一番なのは確かなので、ミツルは荷物を置き、地面に腰を降ろした。
ここは木の板はなく、土がむき出しだ。それが落ち着かなかったが、これより先に進むには時間的にも難しい。だからといって、下山するのはもってのほかだ。それならば、多少のことには目をつむるしかなかった。
直に土の上に座るから落ち着かないのかもと思い、少し早いが寝袋を出し、その上に座ることにした。そうすれば少しだけ気持ちが落ち着いた。
こうやって座っていると、心地よい風が吹き抜けていく。
ミツルはぼんやりと風を受け、穹を見上げた。
* * * * *
シエルはぼんやりと意識が浮上したのを認識した。
痛む頭を押さえながら目を開けて、身体を起こす。
今までに痛みなんて体験したことのないシエルは、それでもナユの中にいたからそれが痛みだと認識できたが、なぜ痛いのか分からず、困惑した。
頭が痛むためなのか、そうではない理由なのか。シエルの周りには白い霧らしきものがまとわりついていて、周りが見えない。白い、どこまでも白い世界。
そして、どうして自分がこんなところにいるのかしばし悩み、思い出した。
そうだ、あの得体の知れない男の行方を追って、浮島に行こうとして──そして?
ミツルから連絡がきて……そして。
「あぁ」
思い出した。
なぜだか分からないが、シエルは浮島に引き寄せられ、そして浮島を護っている結界を突き破り、そして今、浮島と思われるところにいる、と。
ここが浮島ならば、とても久しぶり──というには信じられないくらい長い年月が経ってはいるけれど、もうここには来ることが出来ないと思っていたから感慨深いものはある。
あるけれど。
浮島はシエルを拒否するどころか積極的に受け入れた。
浮島は地がシエルを迎え入れるために作られた場所で、そして、シエルが罪を犯した場所でもある。だから拒絶されると思っていたのに、それがなかった。
浮島に意識があるなんて思わないけれど、だけどここにはシエルが最初に産み出した女神に連なる人たちが住んでいて……。
シエルはその人たちに恨まれていると思っていた。
だってシエルの罪を被って浮島から出られなくなったのだから。
そしてその悲惨な様子はナユの母であるラウラの記憶から読み取っていて。
ここにはもう、生きた人が誰一人としていないことをシエルは知っていた。
どうしてそうなってしまったのか、までは読み取れなかったけれど、ラウラの瞳には傷ひとつない死体しか目に映っていなかった。
その時の絶望でラウラは言葉を失った。
シエルはそう解釈していた。
シエルの解釈は間違いではなかったけれど、間違いでもあった。
ラウラの罪。
それは浮島に住んでいた女神に連なる人たちの死にあった。
ラウラが直接、手を下した訳ではない。
だけどラウラが原因であったのは確かで──。
ラウラの罪であるというにはあまりにも理不尽だけど、受け入れたことが罪だというのなら、それは誰もが罪人でもある、とも言えた。
特にこの浮島は薄氷の上に存在しているような状態でもあり、その均衡が崩れたせいでもある。
ラウラの存在が罪ならば、それは女神に連なる血脈全体の罪であり、それを産み出したシエルの大罪でもあった。
いや、すべてはあの鈍色の男の罪であったのだ。
そんな事実を知らないシエルは、だけどこの状況を見て、なんとなく悟った。
ラウラは穹の民だった。それは揺るがない事実。
そしてナユは穹の民の最後の生き残り。
そしてあの鈍色の男も穹の民。
穹の民があの男とナユを残して死に絶えたのなら。
鈍色の男は穹の民の最後の生き残りであるナユを探すのは当然のこと。
そして──。
その先のことを考えて、シエルは気持ちが悪くなった。
あの鈍色の男は、ナユに自分の子を産ませようとしている。
だから攫ったのだ、と。
そんなこと、駄目だ。
止めなければいけない。
それは絶対に駄目だ──。
世界の理が壊れる、とまでは言わないけれど、駄目だとシエルの中で喚いている。
ナユを奪われてしまったら。
そう、ミツルが。
ミツルのせいで世界に終わりが訪れる。
ミツルが生きている間は問題ないけれど、殺しても死にそうにないミツルだけど、あれでも人間なのだ。
ミツルが死んだら彼はダウディと呼ばれる存在になり、そこが冥府の入口になってしまう。
そうならなかったとしても、動く死体になって絶望的だ。
ミツルならば、ウィータ国に住む人たちすべてを殺して回れるだろう。
そんな絶望的な未来、シエルは見たくない。現実にしたくない。
なによりもまだ綺麗なままのミツルでいて欲しい。
女神が贔屓してもいいのかという問題はあるかもだけど、シエルにとってミツルは特別で、そして好意さえ抱いているのだ。
──女神の祝福。
いや、ミツルからしてみれば呪いかもしれないけれど、彼はインターの中でも稀有な力を持って産まれてきた。
シエルは与えたつもりはないけれど、彼がそう呼ばれる力を持って産まれてきたことに意味があり、そしてシエルを認識して、ナユと出逢ったことになにか意味がある。
もしかしたら。
この呪いとも取れる大地の力を解放するためにミツルは産まれてきたのかもしれない。
そしてそれは、シエルの罪も許されるという意味があり──。
だから穹の民は二人を残して死に絶えたの?
そんなこと、許されない。
シエルはまだ痛む頭を押さえて、呻いた。
シエルが産み出した民が滅びることでシエルの罪が許される──いや、なかったことになるなんて、そんなの理不尽すぎる。
シエルの淋しいと思った気持ちが罪だというのなら。
どうしてシエルを作った──人間たちが神と呼んでいる存在は、シエルに感情を与えたのだろうか。
感情を持つことが罪ならば、シエルの存在自体が罪で、シエルを作り出したこと自体が罪で。
神の存在が罪なのではないか。
そこまで考えて、シエルは無意味な迷宮に迷い込んだことに気がつき、考えるのを止めた。
とにかく今はここのどこかにいるあの男とナユを探さなくては。
そして、あの男の目的がシエルが思ったとおりだとすれば、シエルという存在を掛けてでも阻止しなければならない。
それがシエルが存在するための理由だし、この愛する世界を護ることでもある。
だから、とシエルはこの白い世界を踏み出そうとして──ぐにゃり、と世界が歪んだ。




