04
こういう日に限って、なぜだか依頼が次から次へと舞い込んできた。
二件は近くのふたつの村、もう一件は少し離れた町──オフィキナリスという名の町──からだった。
「ノアはオフィキナリスへ向かってくれ。俺は村二件をイルメラと手分けして対応する」
どちらの村もコロナリア村を経由した方が近いため、村に常駐しているイルメラの手を借りることにしたのだ。ついでにナユのことも聞いてみようという下心を持ちつつ、ミツルは指示を出した。
「ユアンはミチと書類の再点検を今日中に終わらせておくように」
「……はい」
「それと、ベルジィとアグリスの面倒も頼んだぞ」
渋々といったユアンの返事に、うってつけのお目付役を思い出したミツルはそう付け加え、ちらりと視線だけ送った。ユアンは不服そうな表情を浮かべていたが、文句は言わせないといわんばかりに睨みつけておいた。
*
ミツルはノアとともに、本部の正面から外に出た。夜中から朝方にかけて雨が降ったようだが、今は止んでいた。その名残で地面などが濡れているが、雲の隙間から陽が射していて、思ったよりも爽やかな風が吹き抜けた。無意識のうちにほっと息を吐いた。これから『仕事』かと思うと憂鬱だが、本部内にいて気詰まりしていたというのを外に出て気がついた。
いつもならそのまま名ばかりの正門を抜けて通りに出るのだが、ミツルは門の手前で左に曲がった。
「本部長、道が違いますよ。方向音痴が移りました?」
その一言にミツルは立ち止まり、目を見開いた。
それから勢いよくノアに向き直り、大股で近寄った。
様子の違うミツルにノアは戸惑いつつ、尊敬する本部長を見つめていた。
「今、方向音痴が移ったかって言ったよなっ?」
思ったよりも強い口調で問われ、ノアは壊れた人形のように黙って首を縦に振った。
ノアの返事にミツルは興奮を隠せないまま、大きく踏み込んできた。
あまりの勢いにノアは腰が引けたが、どうにか踏みとどまった。
「方向音痴な人物の名は?」
「そんなの、────っ?」
一人しかいないじゃないですか、と言おうとしたノアは、口を閉ざした。
一瞬、ノアの脳裏にだれかがよぎったはずなのだが、それはまるで幻であったかのように消えてしまった。
「ミチさん……ではないし、ユアンさんも違うし。んー? そもそも、方向音痴な人って、だれかいました?」
抱いた違和感はすぐに消え去り、ノアはそんな返答をした。
ミツルはノアのその反応に確信した。
ナユはやはり、存在している。だけどなんらかの理由で、ナユは最初から存在していなかったことになっている。
どういう理由なのか分からないが、ミツルだけナユのことを覚えている。その影響なのか、こうやってたまにほころびが見えることがある。
どんな手口を使ったのか分からないが、ミツルだけナユを覚えているこの状況になにか意味があるのかもしれない。
──すべてが憶測でしかないが、ミツル以外はナユのことをなんらかの手段を使って忘れさせられているのだ。
どうして、どうやってといった疑問が浮かぶが、悩んだところでなにひとつ、分からない。
いや、ひとつだけ、はっきりと分かっていることがある。
それは、あの鈍色の男が絡んでいるということだ。
会ったら一発ぐらい殴らないと気が済まないなと考えたところで、ノアに声をかけられて状況を思い出した。
「本部長?」
「あ……あぁ。ちょっと俺は立ち寄るところがある」
「分かりました。僕はオフィキナリスへ行きますね」
「よろしく頼む。気をつけて行ってこいよ」
「はいっ! ありがとうございます!」
ノアは尊敬しているミツルにそうやって気にかけてもらったことがとても嬉しかったようで、満面の笑みを浮かべていた。背負っている円匙を弾ませながら、ノアは正門を潜っていった。
インターにしては素直で真っ直ぐな性格だが、逆にそれはミツルの不安を煽る。純粋さは強さでもあるが、それは脆さでもある。
信じていたものを壊されたとき。あるいは、幻滅したとき。変質したときの怖さをノアにはいつも感じている。強いからこそ、反対の立場に立たれたときが恐ろしい。来るか来ないか分からないそんな恐怖を感じながら、ノアを頼りにしている。
──駄目だ、こんなのでは上に立つものとして駄目だ。部下を信じてやらなければ。
裏切られたとしても、……いや、ノアは裏切らない。
インターが集団にならなかった──いや、なれなかったのは、仲間を信じることの出来ない気質のせいなのかもしれない。インターは、大なり小なり心に傷を負うほどの裏切りにあっている。自分は騙さないと心に誓っていても、相手が同じインターだからといって、同じように思っているとは限らない。そんな疑心暗鬼な気持ちを抱えたままだと、ぎくしゃくしてくる。
他人を信じられないとは悲しいことだと思う。
それほど手ひどい裏切りにあってないミツルでさえこうなのだから、他のインターから敵意をむき出しにされても仕方がない。
ミツルはとても恵まれていると思うし、感謝している。
それでもたまに、仲間に裏切られたらなんて考えてしまう。
そう考えてしまうのはミツルの弱さなのだろう。
信じたいのに信じきれない。
それはきっと、ミツルひとりでなんでもこなせてしまうと過信しているからなのかもしれない。
そんな取り留めのないことを考えて立ち止まっていたが、今はそんな場合ではないことに気が付いた。
そうだ、コロナリア村へ向かわなければならなかったのだ。
その前にクラウディアの店に寄って、確認しなければならないことがあった。
ミツルは頭を振り、正門を抜けずに裏口から店へと向かうことにした。
*
クラウディアの店に行くと、クラウディアが眠そうな顔をして座っていた。
ナユの話によれば、クラウディアは大変気まぐれで、商売っ気もあるんだかないんだか分からないという。商品が売れれば喜ぶが、その程度だ。売り上げがどうだとか、もっと売ってとは言わないが、クラウディアが作った物を身につけていると喜ぶという。
ただ、店番をさぼっていると怒られるとは言っていたので、クラウディアなりの矜持はあるのだろう。
店内を覗くと客もいないようだったので、ミツルは思い切って足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。……って、あら、ミツルさん」
それまで退屈といわんばかりの表情を浮かべていたクラウディアだったが、ミツルが店内に入ってきた途端、満面の笑みを浮かべていた。
「もー、ミツルさんったら、なんで教えてくれなかったのぉ?」
「……は?」
「クロス商会といえば、今、もっともお近づきになりたい商会じゃない! しかも四男とはいえ、血縁者だったなんて!」
「はぁ……」
クラウディアの予想通りの反応にミツルはげんなりしつつ、曖昧な返事を返した。
先日、ミツルがナユを連れて実家に行ったとき、ミツルの母であるユリカがナユの着ていた服に興味を持ち、ナユに執拗に聞いていたのだ。ナユもナユで恩人であるクラウディアのためにとかなり熱心に紹介をしていた。ユリカの食いつき具合はすごかったので、すぐにクラウディアに連絡を取ったのかもしれない。
ミツルの反応に、クラウディアは豊かな胸を主張するように押しだした。色仕掛けが通じる相手だと思われているのか、それともこれは彼女の癖なのか判断がつかないうちに、クラウディアは口を開いた。
「知っていたら、もっとぼった……いえいえ、なんでもございませんわ」
クラウディアは取り繕うようにおほほほと笑うと、後ろにある棚を漁り始めた。
「今日はご注文のお品を受け取りに? 今回のはかなりの自信作で……って、あら?」
クラウディアはなにか違和感を抱いたのか、棚を漁る手を止め、首を傾げた。
「ん……? んんーっ?」
なにやら様子がおかしいクラウディアが気になったが、今、頼んでいた品を渡されても困るので制止しようとしたのだが、その言葉が出る前にクラウディアは品物を出す前に棚の扉を閉めた。そして振り返った彼女の表情はひきつっていた。
「昨日、こちらにナユは帰ってこなかったか確認をしようと思ってきたのだが」
「……ナユ? えーっ……と、その」
クラウディアの反応を見て、ミツルは悟った。
ミツル以外の人間から、どういう理由でどういう手段を用いたのか分からないが、ナユに関する記憶だけ消えて……いや、思い出せないようになっているのではないか。
「分かった。悪かった。品物はまた日を改めて受け取りに来る」
ミツルはクラウディアにそれだけ告げると店を後にした。




