02
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時間は少し戻って、ベルジィとアグリス、ノアの三人が戻ってくる少し前の出来事。
目が覚めると見覚えのある場所にいて、ミツルは混乱した。
確か外にいて……と記憶をたどってミツルは思い出した。
ナユと二人で夕食を食べ、店を出た。そこでいきなり気を失い、そして……。
すっかり思い出したミツルは怒りのあまり震えた。そしてすぐにナユを取り返しに行かなくてはと思い、部屋から飛び出した。
階下に行くとちょうどユアンがいたので捕まえた。念のためにナユの行方を聞いてみることにした。
「ユアン、ナユはどこにいる?」
「知らない」
ユアンから予想外に冷たい答えが返ってきて、ミツルは慌てた。
「それよりもミツル。道に倒れていたようですが、拾い食いでもしましたか? 木を食べても平気そうなあなたらしくない」
「をいっ」
「見つけたのがベルジィとアグリスでよかったですね」
それで二人がここに運び込んでくれたというのは分かったのだが。
「倒れていたのは俺だけだったのか?」
「そう聞いてますけど」
やはり、ナユはあの鈍色の男に連れ去られてしまったのか? せっかく取り戻したのに。
ミツルは悔しくて、腹立たしくて、足を踏みならした。
それはいつものことなのか、ユアンは特になんの反応も返さなかった。
しかし、もしかしたらというとても低い可能性をミツルはこの時点で捨ててなかった。だからその低い可能性にかけたのだが。
「今からクラウディアのところにいってくる」
「……だれのところにですか?」
聞こえなかったのかと思い、ミツルはもう一度クラウディアの名を口にしたのだが、ユアンは首を傾げてミツルを見た。
「……その方はどなたですか?」
「本気で言ってるのか?」
ユアンがその手の冗談を言わないのはここまでのつき合いの中で知っていた。しかしそれでもミツルはユアンが冗談を言っているのだと思っていたのだ。
「本気もなにも、ミツルこそ倒れたときに頭でもぶつけましたか」
ユアンは真面目な表情で、それでいてミツルのことを馬鹿にしつつも心配した口調で問いかけてきた。
膝から崩れ落ちた記憶があるし、頭は打っていないと思う。
いや、それよりも、ミツルではなく、ユアンこそ頭を打ったのではないだろうか。
そんなことを思っていると、ミチもやってきた。
「あら、ミツル。拾い食いは駄目よ」
「……ミチまでユアンと同じことを言うのか」
「だってそれ以外に考えられないじゃない」
どれだけ食い意地が張っていると思われているのだろうか。ミツルは思わず遠い目になったのだが。
「とにかく、出かけてくる」
「こんな時間からどこに行くの?」
「クラウディアのところに」
ミツルの言葉にミチからはユアンとは違う反応があった。
「あら、お店はもう閉まってるはずよ」
「知っている」
「明日、空いてる時間に一緒に行きましょうよ」
「は?」
「新作を見に行きたいって思っていたのよ。でも意外だわ。ミツルがクラウディアの服に興味があるなんて」
話のかみ合わなさにミツルはしかめっ面をして二人を見た。
ユアンだけならばともかく、ミチまで思っていなかった反応を返してきた。なにかがおかしい。
「いや、クラウディアに用があるのは服の件ではない」
「それならなにっていうの?」
ずいっとミチが迫ってきて、ミツルは思わず後ろに引いた。
「逃げないでおねーさんに素直に話してごらんなさい?」
ミツルより二つほど年上であるミチは、たまにそうやって姉のように振る舞うことがある。ミツルはこれが少し苦手であったが、今は逃げている場合ではない。
「クラウディアのところにナユが戻っているのか確認を……」
「え? 全然分からないんだけど、ナユって? どうしてクラウディアの名前が出てくるの?」
ミチの言葉にミツルはますます混乱した。
ミチはミツルのことをからかったりすることはあるけれど、基本的には冗談は言わない。ましてや、ミツルは道に倒れていたのだ。そんなときに二人でつるんでミツルをひっかけようなんてしないだろう。
「ナユだよ、ナユ!」
それでもミツルはこの不可解な状況の意味が分からなくて、二人にナユの名を出して必死に訴えたのだが、顔を見合わせて首を傾げるばかり。
「ヒユカ・ナユだよ!」
「ヒユカさん」
「コロナリア村の」
ようやく話が通じたと思ったけれど、ユアンの次の言葉で落胆した。
「むさ苦しい男所帯でしたねえ」
「そうねえ、男四人? 仕事の腕は確かだったと聞いてるけど」
「男四人だけじゃなくて、そこにナユが……」
「ナユってもしかして、人の名前?」
「そうだ、人の名前だ。金髪で、碧い目をして、身長はこれくらいで、胸は残念なくらいなくて、なによりも筋肉が大好きで……」
ミツルの説明に二人はかわいそうな人を見る視線を向けてきた。その視線はミツルをとてもいたたまれない気持ちにさせた。
「なっ、なんだよ」
「ミツル、とうとうおかしくなっちゃった?」
「おかしくない! おかしいのはおまえたちだろう! 俺はクラウディアのところに行って確かめてくる!」
「ミツル、こんな時間にいきなり行くのは非常識ですよ!」
と押し問答をしていたところにノアたち三人が戻ってきたのだ。
*
部屋に戻ったミツルがまずやったことは、ナユの痕跡を探すこと、だった。
しかし、部屋を探してもなにも見つかるわけがない。ナユの私物をミツルがもらっているわけもなく、こっそり取るなんてことももちろんしていない。この部屋にナユを入れたことはないから、髪の毛が残っていたりなんてこともない。
もし髪の毛があったとしても、ミチもユアンも金色の髪の毛だ。ナユの物とは限らない。
ナユがいなくなるだけではなく、存在そのものがなかったことになっている。それは不可解なことだし、あり得ないことだが、実際、起こっているのだ。なにがどうなれば人の記憶から消えてしまうのか。
まさかこんなことになるとは思わず、ミツルは唸った。
周りの反応を思い出すと、ミツルはナユはいるんだと叫びたくなってくる。だけどミツル以外はナユの存在など最初からなかったものとして扱っているのを見ると、ミツルの方がおかしいのではないか、狂ってしまったのではないかという思いに駆られるが、ナユを抱きしめて眠った時の温もりと安らぎを思い出すと、それが幻ではない、確かに存在していたとミツルに訴えてくるのだ。
どこかにナユに繋がるものが必ずある。
これにはあの鈍色の男が絡んでいるのだろうか。もしもそうならば、たくさんの人たちから一人の存在を消してしまえる、そんな相手に立ち向かって勝てるのだろうか。
いや、どれだけ困難なことでも、ミツルはどうあってもナユを取り戻さなくてはならないのだ。それがたとえ、ミツルの一方的な想いであっても、やらないで諦めるなんて無理だった。
ミツルはそう信じて、明日からその手がかりを探すためにもう一度、ナユとの思い出の地をたどろうと決めた。
となると、それを実行するには体力勝負だ。しっかり食べて、眠らなくてはならない。
片っ端から探せば、なにかひとつくらいはあるはずだ。
ナユの行方が分からないのはとても不安だったが、あの鈍色の男が連れているのならなんとなく命の危険はないのではないかと思えた。
ナユに会えればそれでいい。
今のミツルの願いは、ナユが存在しているということを証明できればよいと思っていた。




