07
目の前のアヒムはゆらゆらと揺れながらナユの前から去っていった。その背には円匙はなかった。
引き留めようとする言葉は喉元まで出かかったがなぜか声にならず、呆然とアヒムが去るのを見ていることしかできなかった。
ナユの呪縛が解けたのは、アヒムの姿が完全に見えなくなってからだった。
アヒムが消えた反対側に、ほんのりと明かりが見える。あちらが村になるはずだ。アヒムが消えたのは、森の中。
どうしてアヒムが円匙を背負わないまま森へ入っていったのか分からないが、ナユは森の暗さが怖くなり、明かりに向かって歩き出した。
*
木々をくぐり抜け、ナユはようやく明かりのある場所へと出ることができた。
ナユは人の気配に安堵したのだが、辺りを見回して違和感を覚えた。
「あ……れ?」
疑問の声を出した後、ナユが出た場所は村の広場だと気がついた。
村の広場は村の中心部だったはずなのに、どうして森から抜け出たら広場なのだろう。しかも祭りでもないのに薪が焚かれている。疑問に思いつつ、薪に近寄った。
「おお、ナユ!」
ふらふらと森から出てきたナユに声を掛けてきたのは、茶色に近い金色の髪をした長兄のバルドだった。その横には薄黄色の髪で双子のカールとクルトも立っていて、三人とも自分専用の円匙を広い背中に背負っていた。いつもの光景にナユはホッとした。
「ナユっ! おまえ今、どこから来たっ?」
「森からだけど?」
森、の一言に、バルド、カールとクルトは後退した。
「街道を歩いてたら、森に迷い込んだの。あ、そうだ!」
ナユは三人が引いたことに気がついたが、ここにアヒムがいないことを聞くのが先決だと思い、続けた。
「森でお父さんに会ったんだけど、様子がおかしかったのよね。ここにはいないみたいだけど、調子が悪いの?」
「ナッ、ナユっ! 親父に会ったのかっ?」
さらに引き気味になった三人を不思議に思いながら、ナユはうなずいた。
「うん。なんかゆらゆらしながら森に向かっていたけど?」
「なにも……されなかったか?」
「うん。声を掛けたのに、気がついてなかった」
ナユのその一言に、三人はあからさまな安堵のため息をついた。
「それなら、よかった」
「さっぱり訳が分からないんだけど、なにが起こってるの?」
広場を見回すと、あちこちに見知った顔があるのだが、なぜかみんな険しい表情をしていたのだ。
緊急事態が起こっているらしいというのは分かったが、アヒムが森にいたのと関係あるのだろうか。
「実は……」
バルドがナユに説明をしようとしたところに、一人の男が割って入ってきた。
「ナユちゃん! 今回も大変だね」
薪の前に踊るようにして現れたのは、アヒムの仕事仲間のカダバーだった。
すらりとした高身長に洗練された雰囲気を持つ彼は、筋骨隆々としたアヒムとともに森に入って仕事をしているようには見えないが、他の人たちと同じように円匙を背負っていた。
兄たち三人はカダバーの登場に顔をひきつらせた。
ナユは首を傾げ、兄たちを見た。
バルドが口を開こうとしたら、カダバーは口早に話し始めてしまった。
「アヒムが動く死体になって、森をさまよってるんだよ。森の中で僕と離れ離れになってしまったばかりにこんな悲劇に見舞われて……」
動く死体という単語はインターの本部でも聞いた。
それが発生したのはコロナリア村だとユアンが言っていた。
動く死体なんて、そうそう出るものではない。
この国の地面は、土が見えないようになにかで覆われているのだから。
それにもかかわらず、よりによって父のアヒムが動く死体に?
まさか同時に複数の動く死体が発生した?
「だって……。さっき、お父さんに会った……」
ナユは森で見たアヒムが動く死体だったとは信じられず、小声で呟いた。
様子はおかしかったが、あれはまぎれもなくアヒムだった。
動く死体というのは伝え聞くところによると、とても凶暴で、生きている物に見境なく襲いかかると言うではないか。
森で会ったアヒムが動く死体であったのなら、ナユが無事なのはどうしてだというのだろう。
「カダバーの嘘つき! お父さんが動く死体なわけないじゃない!」
ナユの否定の言葉に、カダバーは秀麗な顔を悲しみに染め、首を振った。
「僕もそう思いたいよ、ナユちゃん」
カダバーの言葉に、兄三人は悔しそうに唇をかみしめた。
「だけど、大丈夫だから! 僕が村の人たちに口添えしてあげるから」
なにがどう大丈夫なのか分からないがカダバーは自信満々にそれだけ言うと、ナユに向かって甘い笑みを浮かべて軽やかにまたねと口にして去っていった。
「…………」
呆然としていたが、バルドの悔しそうな足踏みにナユは顔を上げた。
「ねえ、今の話……」
嘘だよね? と聞こうとしたが、兄三人は唇をかみしめ、首を振った。
兄三人は愉快な人だけど、嘘などつかない。
それはナユが一番よく知っていることだ。
「お父さん……っ」
だから先ほど、森の中でアヒムと会ったと言ったとき、兄三人の反応がおかしかったのか。
ようやく合点はいったけど、同時にとても悲しい事実を知ってしまった。
村に動く死体が出てしまった。
それがまさか、よりによって自分の父親とは。
動く死体が出現したときの各村での反応はまちまちだが、事態が収拾した後、一家丸ごと村から追い出されたり、幸いにも村に残れても村八分という憂き目にあったりすることがあるという。
ナユが知る限りでは、この村から動く死体は出たことがないからどのようなことになるのか分からない。
しかし最近、やはりどこかの村で動く死体が出現してすべてが終わった後、一家どころか親戚もろとも村から追い出されそうになっていたのをインターがとりもって事なきを得たという話を噂で聞いた。
その話を思い出したナユは、そうだと叫んで拳を握りしめて兄三人にたずねた。
「ミツルとかいう名前のインターが来てないっ?」
ナユの質問にバルドはうなずいた。
「ナユから依頼を受けて来たと言っていた」
ミツルは迷うことなくナユより先にたどり着いていたようだ。
「ナユが村に戻ってきたら知らせて欲しいと言っていたな、そういえば」
「……わたしが?」
「あ、あそこにいるみたいだから、声を掛けてくるよ」
カールはカダバーとともにいるミツルを見つけ、薄黄色の髪をなびかせてかけだした。
ナユとしては、ミツルは自分を置いていった極悪人であるが、仕事をしてくれるのなら帳消しにしても良いとこのときは寛大な気持ちでいた。
カールに呼びかけられ、ミツルはカダバーに二・三言なにかを告げるとナユたちの元へとやってきた。
三人の兄たちもアヒムに似て筋骨隆々としているが、そこにミツルが混じってもそれほど見劣りはしなかった。
ナユの好みの男性は家族の影響もありカダバーのような流麗な男よりもやや泥臭いと感じるような男らしい男が好きだ。
四人が立っているのを見て、ナユはミツルの評価をもう少しあげても良いかなあなんて思っていた。
だが、その思いはすぐに覆されたあげく、さらに評価を下げるに至った。
ミツルは伏し目がちに口を開いた。
「インターのサトチ・ミツルと申します。この度の件、誠に悲しいことですが……」
一応の社交辞令はできるのね、と感心していたのだが。
「家族を亡くした上にルドプスまで発生させてしまったご家族に追い打ちを掛けるようなことは言いたくないのですが、今回の事態収集代として、百万フィーネを請求いたします」