07(二部・完)
ナユはミツルを目の前にして、不機嫌だった。
いきなり担がれたと思ったら、近くにある食堂に連れて行かれた。よく分からないうちに注文をされ、今は料理が届くのを待っているところだ。
「なんであんたと食事をしないといけないの」
「今回のお礼だ」
「……お礼?」
お礼と言われて、ナユはシエルに言われたことを思い出した。
「そういえば、シエルって知ってる?」
ナユの質問に、ミツルは感心がなさそうにああ、とだけ答えた。
あれは夢の中での出来事だと思っていたけれど、夢ではなかったとはっきりした途端、いろんなことを思い出した。
「やっぱり、知ってるんだ……」
「ずいぶんと趣味の悪いヤツだけどな」
「……うん、趣味が悪いと思う。だってミツルのこと、好きだって言ってた」
「をい」
「だって、顔のいい男は駄目よ。わたしのこと、ちやほやしてくれないから」
ナユのいつもの言葉に、ミツルは思わずため息を吐いた。
「ナユはそんなに男にちやほやしてもらいたいのか」
「されたいわよ。だってせっかくかわいく産まれたんですもの。褒められたいじゃない」
「おまえがかわいいのは分かったが、褒められるのは見た目だけでいいのか」
ミツルから初めてかわいいと言われたナユは、途端に顔を真っ赤にした。
しかも褒められるのは見た目だけでいいのかなんて聞いてくれた。
ナユは頬を赤く染めながら、口を開いた。
「あのね、あのね! やっぱり、見た目がよくないと中身に興味を持ってもらえないと思うの」
「……そうか?」
「だって、同じ中身でも綺麗に包まれているのと、適当なのとではやっぱり印象が違うと思うのよね」
「外が綺麗でも、中身がコレだったら残念がると思うがな」
「中身がコレってなによ!」
「黙っていれば儚げな美少女なのに……中身が残念なんだよなあ」
でも、俺はそこが好きだぜ? という言葉は恥ずかしすぎてミツルは心の中で呟くにとどめたのだが。
「中身が残念って! 失礼ね! 見た目で中身を判断しないでよ!」
「……おまえ、さっきと言ってることが真逆じゃないか」
「うるさいわね! 見た目で興味を持ってもらって、中身のすばらしさも分かってもらうのよ!」
「いや、だからその中身が非常に残念だと……」
「残念ってなによ! どこが残念なのよ!」
「本性丸出しなところ」
「…………」
ナユが言葉を失ったところで料理が運ばれてきたので、二人は食べることにした。ナユは最初、とても不機嫌な表情をしていたけれど、そのうち料理に夢中になったようで、黙々と食べていく。
それをミツルは見ながら食べていたのだが、美味しそうに食べているナユに思わず頬が緩む。
こうして一緒に食事をしていると、なんとなく逢い引きをしているような気分になってきて嬉しくなってきた。
特になにかを話す訳ではなく、食事は終わった。
「甘い物でも食べるか?」
「えっ、食べていいのっ?」
「いいぞ」
ナユは弾んだ表情でどうしようかなーと壁に書かれたお品書きを見ていたのだが、急に力なく俯き、小さく首を振った。
「どうした?」
「……うん、いい。やめる」
「なんでだ?」
「ミツルがやさしいのが怖いから」
「なんだ、それ」
シエルが言っていた『やさしいのはこわい』という言葉を思い出し、ミツルは苦笑した。
「シエルが言っていた言葉か?」
「え?」
「やさしいのはこわい、んだとよ」
「……うん、怖い。普段、やさしくない人からやさしくされると、怖い」
「悪かったな、普段はやさしくなくて」
「自覚があるんだ?」
「自覚はない。それじゃあ、食べないのなら出るぞ」
「あ、はい」
ミツルは先に立ち上がり、お会計へと向かった。ナユも遅れて立ち上がり、ミツルの後をついて行く。
ミツルはすでに支払いを終えていて、ナユを待って外へと出た。
外はすっかり暗くなっていたが、町はまだ喧噪に包まれていた。
「帰るか」
「うん」
歩き始めたミツルの後ろを駆け足で近寄り、マントの裾をぎゅっと握ると、ミツルは足を止めた。
「どうした?」
振り返って見下ろしてくる顔はいつものミツルで、ナユはなぜかほっとした。
城下町に帰ってきて、クラウディアと一緒に住んでいる家に戻り、自室で少し休んでいたとき。
ナユはとても嫌な夢を見た。
こうしてミツルと歩いていて、いきなりミツルがいなくなったと思ったら、今度は血塗れのミツルが目の前にいたのだ。
こわい。
このままでは、ミツルを失ってしまう。
母が亡くなったときも、父と兄たちが亡くなったときにも感じたことのない、強い消失感。
「ミツルは」
「ん?」
「いなくならないよね?」
ひどく心許ない表情をして見上げてくるナユにミツルは面食らったが、ナユの身体をぎゅっと抱き寄せた。柔らかな温もりにほっとする。
「ならないよ」
「死なないよね?」
「おい、俺は不死身かよっ」
「不死身でいいよ」
「ほんっと、みんなして規格外だとか、不死身だとか……。俺だって人だから、いつか死ぬ」
「…………」
「なんでそんな泣きそうな顔してんだよ」
「だって」
そう言ってナユはミツルの身体をぎゅっと抱きしめてきた。思っているよりも熱い身体にナユはほっとする。
「部屋の外で話、聞いてたの」
「話……?」
話に集中していてナユが来ていたことに気がつかなかったのだが、どこから聞いていたのだろう。
「ミツルが死んだら、ミツルは冥府の入口になるって話」
「……あぁ」
って、ちょっと待て。
あの話を聞いていたということは、ミチがミツルに言った言葉も聞いていたということになるのでは……?
「おまえ……ミチが言ってたのは」
「ん? なんの話?」
そこは聞かれていなかったのかとほっとしたが、聞いていてとぼけている可能性もある。
だからミツルは確認のために口を開いた。
「なあ、ナユ」
「なに?」
「ナユ、俺の子を産む気はないか?」
唐突な話にナユは口を馬鹿みたいにぽかんと開き、ミツルを見上げた。
ミツルもやっちまったと思ったけれど、言ってしまったことは仕方がない。ナユからどういう反応が返ってくるのか分かってしまっただけに、穴を掘るのは苦手だけど、穴を掘って埋まりたいくらい恥ずかしい。
「ミツル……熱でもある?」
「いや、正常だ。むちゃくちゃ恥ずかしいけど、正常すぎて困る」
「なんでミチさんじゃないの」
「は?」
「さっき、ミチさんの胸に埋もれたら、すっごく気持ちが良かったの。ミツルの気持ち、分かっちゃった」
「……そ、そうか」
「ユリカさんは子どもを産んだら胸が大きくなるって言ってたけど、本当にそうなるのか分からないし……」
なんだか話が逸れているような気がしたが、これはナユなりのボケなのだろうと思うことにした。
「試してみればいいんじゃないか」
「は?」
「俺で試してみれば」
ミツルもこれが口説き文句だとしたら最低ではないだろうか。
しかし、ここにはだれもつっこみを入れる者はいない。対するナユも斜めの回答を口にする。
「ミツルはミチさんの胸に埋もれていればいいじゃないの!」
「いや、だから俺はミチではなくてナユに言ってるんであってだな」
「まな板の魚になる気なのっ?」
ナユの問いはまったく意味が分からなかったが、ミツルは大きくうなずいた。
「まな板の魚だろうが、なんだろうが、俺はなるぞ」
「意味が分からないよ」
「意味が分からない質問をしてきたのはそちらだろう」
夜の城下町の往来で馬鹿なことをやっている二人。道行く人たちは生暖かい目で見ては通り過ぎていく。
しかし、急に人が途切れた途端。
ひゅぅっと冷たい風が二人の間を吹き抜けた。
温暖なウィータ国であるが、たまにこうした冷たい風が吹いてくることがある。そういう時はたいてい、次の日は雨となる。
そのことに気がついた二人はふと我に返った。
「……馬鹿なことをここでやりとりしないで、帰るか」
「え……えぇ、そうね」
「ナユ、考えておいてくれよ」
「な、なにを考えておくのよ」
ミツルはナユの耳元に顔を寄せ、囁いた。
「俺の子を産むこと」
「な……っ! そ、それって本気なのっ?」
「本気に決まっているだろう?」
「ミツル、酔っ払ってる?」
「素面だ」
「美少女と食事ができて舞い上がってるのね。冷静になって、ミツル!」
「冷静すぎるぞ」
「よく分からないけど、胸が大きくなるかもしれないから考えておいてあげる」
ナユの返事にミツルは嬉しくて、ナユの耳元で喉の奥で笑ういつもの笑いをして顔を上げた途端。
「ぐぅ……!」
全身が急に硬直した。突然のことにミツルは呻き声を上げて、うずくまった。
ナユは驚き、ミツルの名を呼ぼうとしたが、後ろから口を塞がれてしまった。その手をはがそうと暴れたが、なぜかどんどんと力が抜けていき、気が遠くなっていく。
「大丈夫です。危害は加えていません。お二人にはすこぉし眠ってもらうだけですから」
その声はどこかで聞いたことのあるもの。
ミツルは意識がもうろうとしている中、必死になって目をこじ開けて、ぶれる視界の中で声の主を探した。
「抵抗できるとは、さすが“規格外”ですね」
「お……ま、え……は」
本部で話題に出ていた、鈍色の男。
ナユの身体を抱えて、満面の笑みを浮かべていた。それでも、男の顔がひどく整っていることが分かった。
「ナユを返してもらいに来ました」
「き……さま」
「ナユのことを本気で好きなのならば、浮島まで来るといい」
「う……き、島……?」
聞いたことのない場所にミツルはさらに質問をしようとしたが、抗うことができず、ミツルの意識は薄くなり、力尽きてしまった。
「さて、ナユ。故郷に帰りましょうかね」
鈍色の男は気を失っているナユを抱え直すと、愛おしそうな視線を向け、次の瞬間にはその場から音もなく消えていた。
そして、往来で気を失って倒れているミツルをたまたま通りかかったベルジィとアグリスが見つけて保護されるのはこの後すぐ。
朝になり、ミツル以外のだれもナユのことを覚えていないことを知らされるのだ。
【三部につづく】




