01
そんな次の日の朝の惨状は想像に難くない。
ナユの絶叫に始まり、ぼこぼこと殴られて寝台から蹴り落とされるのはすでにお約束か。
ナユの叫びにユリカが慌てて飛び込んで、状況がさらに悪化するまでは様式美。
ナユの部屋に飛び込んできたユリカはすぐさま状況を把握したようだった。ユリカは眉をつり上げ、床を指さした。
「ミツル、そこに座りなさいっ!」
いきなり怒鳴られたミツルは条件反射のように床に座ると、上目遣いでユリカを見た。
「いくらナユちゃんのことが好きでも、夜這いは感心しないわ?」
「いや……酔っていて……」
「酔っていたのならなおさらでしょう! 酒の過ちが一番マズいのよっ!」
「ユリカさん、その言い方って覚えがあるのか……?」
思わず口をついて出た一言に、ユリカはさらに怒り狂った。
「なっ、ないわよっ!」
あえて追求しなかったが、なにかあったのだろうなと察した。
「ミツルっ、ナユちゃんに謝りなさいっ!」
「……はい」
ミツルは座ったままナユに向き直り、頭を下げた。
「ごめんなさい」
あまりにも素直に謝られてしまったナユは唖然としてしまったが、すぐに気を取り直して渋面を作りつつもミツルの謝罪を受け入れることにした。
「わっ、分かればいいのよ」
それからふいっと顔を逸らされたが、許されたのが分かってミツルはほっとした。
しかし、それだけではユリカの気が治まらなかったようだ。
「ミツル、ちょっと来なさいっ」
そう言ってユリカはミツルの耳を引っ張ってナユの部屋からミツルを引っ張り出した。
「ちょっ、ユリカさんっ、痛いって!」
「痛いに決まってるでしょう、引っ張ってるだからっ! それより、ミツルっ! どーしてお母さまって呼ばないの! ナユちゃんは素直に呼んでるのにっ」
今は怒り狂っているこの人になにを言っても無駄のようだとそれで悟ったミツルは黙ることにした。
「昨日はお父さまを脅すし!」
あれは脅したわけではなくて事実だし、今まで迷惑を掛けてきたのにこれ以上の迷惑を掛けられないと思ったから言っただけ。
「ナユちゃんのことを褒めないし!」
あれは照れていたからで……。
「挙げ句の果てには酔っぱらってナユちゃんに手を掛けるなんて」
「あの、ユリカさん。それだけは反論しておく。ナユの寝台に潜り込んだが、すぐに寝た」
「寝た、ですってぇ?」
「疲れていたし、ナユの寝顔を見ていたら眠くなって……」
しどろもどろと言い訳するのは格好悪いとは思ったけど、誤解されたままはナユに悪いと思ったミツルは事実を述べたのだが。
「なんにもしなかったのっ?」
「しなかった」
「ナユちゃん、かわいいのに! なんにもしないなんてっ!」
ユリカさん、俺はどうすれば良かったんですか……と思わずミツルは心の中で突っ込みを入れていた。
「嘆かわしいわ……」
いやだから、どうすればいいのですか、ユリカさん。
そんなミツルの葛藤を知らないユリカはさらにミツルを叱った。
とそこで、ミツルはひとつの事実に気がついて顔が緩むのを感じた。
今まで実家に来て、ミツルは『家族』に当たり障りのない対応しかされなかった。ユリカに至っては、ミツルの顔を見る度に泣きそうな表情をしていたのだ。
それが今、ミツルは上の兄三人と同じように叱られている。
ミツルとクロス家の間にあった壁に、亀裂が入ったような気がした。
そのことに気がついてしまったミツルは知らず、笑みを浮かべていた。
「ミツル! あたしは怒ってるのよ! なんで笑ってるのよ」
「いや……怒られるのって初めてだなと」
「……もうっ! あなたって子は!」
ミツルの態度に呆れたユリカは怒る気持ちがそがれてしまったようだった。
「いつもそうやってのらりくらりと……」
「そうしないといろいろとやっていけないからな」
特に投げかけられたひどい言葉を本気で受け取っていては身が持たないから、いつの間にか流す癖がついていたのかもしれない。
「ほんとにもう……」
はぁっとため息を吐かれ、これで終わりだと悟ったミツルは立ち上がった。
ユリカは無意識のうちにミツルの動きを追って、視線が高くなったことで立ち上がったことに気がついた。
「まだ終わってないのに!」
「ナユが腹を空かせているぞ、母さん」
「────……っ!」
ミツルはにやりと笑って片手をあげ、ナユの隣の部屋へと入っていった。
ミツルの見た目はアランにそっくりだ。そのミツルがユリカにだけ笑いかけ、しかも初めて母と呼んでくれた。
ユリカは驚きのあまり腰を抜かし、廊下に座り込んだ。
*
腰を抜かして廊下に座り込んでいたユリカを発見したのは長男のヤイクでまた一騒動あったのだが、朝食も食べ、すべての用事が済んだミツルは本部に帰ることにした。
ユリカは駄目だとか嫌だとか子どものようにだだをこねたが、いくら優秀なユアンが本部にいるとはいえ、やはり気になる。それにすっかり忘れていたが、ベルジィとアグリスの件があったのを思い出したのだ。
「ナユちゃん、また来てね」
「はい、お世話になりました」
「ミツルは気が利かないから、嫌なことはなんでも遠慮なく言うのよ? あと、そーいえばミツル、ナユちゃんを全行程、歩かせようとしていたんですって? 女の子は労りなさいよ!」
「はい、すみません……」
「今度来るときは、連絡をちょうだい。車を迎えにやるから」
車って昨日乗ったあれよね? と思ったが、ユリカはさらに続けた。
「帰りもまさかミツル、ナユちゃんを歩かせる気?」
「いや、乗り合いに乗る予定……」
「乗り合いっ? ちょっと、あなたーっ!」
なんだか大げさなことになりそうだと悟ったミツルはユリカから持たされた大量の荷物を抱えると、ナユに帰るぞと促したのだが、遅かった。
「なに? 乗り合いで帰る? いやいや、かわいいナユちゃんになにかあったらどうするんだ!」
すでになにかあってさらわれた後ですなんて言えず。
ユリカとアランに押されて、クロス家所有の専用車に押し込められ、城下町まで送られることになってしまった。
行きは数日掛かったが、車だとあっという間だった。
さすがに城下町の中にまで入られるのは目立つので少し離れたところに止めてもらい、まずはナユの荷物をクラウディアの家へ運び込んだ。
クラウディアはこの時間、店にいるようで、家には誰もいない。
「疲れただろうから、今日はこれで終わりでいいぞ」
「でも……」
「明日からまた城に出向くから、ゆっくりしていろ」
ミツルにそう言われ、まだ陽も高かったが、ナユは素直に従った。
荷を解こうとしたが、不器用なナユが下手にいじると大変なことになりそうだったので、止めておいた。
持たされたのは、ユリカがナユのためにと買ってくれた服だ。こんなにもよくしてもらって恐縮してしまったが、ミツルに甘えておけと言われたので、素直に従っておいた。
住み慣れた場所に帰ってくるとほっとして、ナユは自室に入ると昨日もよく寝たはずなのに、またもや眠ってしまった。
*
ミツルはというと、ユリカに持たされた服を抱えて、インターの本部へと戻った。
だれもいないことをほっとして上階にある自室に戻って荷物を置くと、事務室へと赴いた。
部屋に入ると、ミチとユアン、ノアもいた。
「戻った」
「おかえりなさい」
「思ったよりも早かったですね」
とはいうものの、三人はミツルの帰りを待っていたようだった。
「ミツル、拾いものはいいですけど、あの手紙はなんですか」
ユアンの手には、ベルジィに持たせた手紙が握られていて、思わず苦笑していた。




