06
アランは器を手に取ると、ユリカとミツルにも持つように指示をしてきた。
ユリカが器を手にしたのを確認して、ミツルも手に取った。手にすいつくような木の器。とてもよい木を使っているのがミツルでも分かった。
「この器に使われている木は、ヒユカさんが持ってきてくれた木だ」
「これが……」
コロナリア村でアヒムの目利きのすごさを聞いてはいたけれど、こうして現物に触れてみると、それが嘘ではないということを実感できた。
「彼の持ち込む木はとてもよかった。だけどいつからだったかなあ。本人ではなくて代理という男が来るようになってから三倍以上に跳ね上がって、とてもではないけれど手が出なくなって、買わなくなった」
「……三倍」
「言っておくが、私はそのころ、ヒユカさんの持ち込んだ木は周りの相場の倍は出して買っていたぞ」
「周りの相場が安かったということは?」
「……痛いところをつくな。この国は地の女神の加護を受けている。一番、恩恵を受ける植物の生長が早い。だから安い」
働いても楽にならなかったのはやはりそういうことかとミツルは合点がいったが、それでも三倍はふっかけすぎなのではないだろうか。
「言い訳をするわけではないが、三倍くらいならば、まだ手は出せた。しかし、気がついたらヒユカさんの持ち込んだ木材は十倍以上に値が上がっていたんだよ」
「人気があったのか?」
「あぁ、あったさ。ちょうど、今日行った店が出来た後くらいからだな、値が上がりはじめたのは。あの店で彼らの持ち込む木の良さが知られて人気が出たようだ」
あの建物が奇しくもカダバーの“商売”の後押しになってしまったということか。
「それにしても、惜しい人間を亡くした」
「……あぁ」
ミツルはまさかここでナユの家族の話をすることになるとは思わず、複雑な気分だった。
「それで、ミツル」
「はい」
「おまえは今回、どうして彼女を連れて帰ってきた」
「それは……」
ミツルとしては下心があって連れてきたのだが、この国ではインターの地位は低い。インターは人に非ずとまで言われ、まともに生活をしていけない。ましてや、好きな人がいたとしても、結婚など夢のまた夢。
分かっていながら、そして祖父という前例があったため、もしかしてなんて甘いことを考えていた。
祖父は祖母という伴侶を得ることは出来たが、残念ながら結婚はしていなかった。だから祖父と祖母の名字は違ったままだった。
「ミツル、おまえがどこまで考えているのかは知らないが、前途あるお嬢さんを苦労させたくないのなら、諦めろ」
予想通りの言葉にミツルは内心、苦笑した。
「あらあら、あなた。それは酷いわ」
珍しくユリカが口を挟んできた。
「ナユちゃんは口ではミツルのことをぼろくそに言っているけれど、ミツルがインターだって知っていながらもあの態度をとれるような子よ。しかもミツル、ナユちゃんの家族を地の女神の元に送ったんでしょう? それでも憎むことなく懐いてるのよ」
そうなのだ。
ミツルはナユの態度の変わらなさに実は戸惑いを覚えていたのだ。
大切な家族を強制的に引き離すインターはたいてい、憎まれる。それなのにナユは憎むどころか、お礼を言ってきた。
そんなことは初めてで、ミツルは混乱していた。
ナユは見た目もさることながら、気の強さといい、あの訳の分からなさといい、ミツルの好みど真ん中なのである。諦めろと言われて、はいそうですかと引き下がれるほど、物わかりがいい性格もしていない。
「そこで、アラン殿」
「……どこまでも他人行儀だな」
「インターの本部を作ろうと思ったとき、資金という大きな壁にぶち当たった。幸い、実家は商売をしていて、お願いすれば多少は工面してもらえるだろうと考え、悩みましたが頼ることにしました」
祖父が亡くなり、一ヶ所に留まる理由がなくなったミツルは、身ひとつであちこちを放浪して回った。そしてインターの処遇を知り、あまりの理不尽さにどうにかしようと思った。
しかし、インター一人ひとりではどうすることもできないほどとてつもなく大変なことだとすぐに分かり、本部を作ることにした。
──まではよかったのだ。しかし、実際、本部を構えようとしたところ、いろいろと問題が起こったのだ。
まずはインターはどこに行っても忌み嫌われていた。本部は固定された場所になければ意味がない。
普通ならばきっと、そこで諦めるだろう。
しかし、ミツルはなぜか諦めることが出来なくて、城に日参した。年単位、掛かったかもしれない。ミツルは夢中だったので、それさえも覚えていない。
国が持っていた土地を無償で借り受け、いざ、建設となったとき、資金が全く足りないことに気がついた。
とりあえずの掘っ建て小屋は作ったが、ウィータ国内で圧倒的に治安が良いことで有名な城下町にも関わらず、毎日、一晩経てば小屋が壊されていた。
これではマズいと悩み、実家のことを思い出し、使えるものはなんでも使ってしまえということで頼ったのだ。
そのころはまだこの家もぼろ屋だったような記憶がある。
「あのときはほんと、参ったな」
「…………」
ミツルにも分かり切っていた。とんでもない金額をふっかけたと。
「でも、あれで目が覚めた。私たちは、おまえたちインターがいなければこうして平穏無事に生きていられないのだと」
「────っ!」
「だから、ミツル。私たちは心を入れ替えた。高慢な態度で行っていた商売を改めた。最初こそ上手く行かなくて試行錯誤していたが、そのうち、前以上に儲けるように……っと」
そう言ってアランは、取り繕うようにごほんと咳払いをした。
「おまえのおかげで、クロス商会を大きくすることが出来た。ありがとうと、伝えたかったんだ」
「…………」
やはりお礼を言われ慣れていないミツルはどういう表情をすればいいのか分からなくて、顔を逸らすことで誤魔化した。
「それはともかく」
そうだった、話の途中だったのだ。
ミツルは思い出し、懐から包み直した紙を取り出した。
「少ないが、借りていた一部を返済する。利子にも満たないかもしれないが、受け取って欲しい」
ミツルが紙の束を卓の上を滑らせてアランの前に置くと、アランは確認もしないでそのまま懐へと片付けた。
それでいいのかと思ったが、受け取らないと思っていた節もあったので、よかったということにした。
「返済は急がなくてもいい。また返す宛てが出来れば、ナユちゃんと来るといい」
先ほどはナユの将来を思うのなら云々と言った同じ口でなにを言っているんだと思ったが、ミツルはあえて突っ込まなかった。
しかし、代わりにユリカが突っ込みを入れた。
「あら、あなた。先ほどはナユちゃんの将来云々と偉そうな口上を垂れていたではありませんか」
「……うむ」
「なぁに、あなた? ナユちゃんに惚れたの?」
「……は?」
思わず声を洩らしてしまったが、アランを見ると柄にもなく照れていた。
「ありえねぇ……」
呻くように呟くと、アランが言い訳をするように口を開いた。
「あー、いやー。むっ、娘としてだな……」
「それなら、ミツルの奥さんになってもらえばいいではないですか」
「そ……それだとそのぉ……」
「なぁに? うちの三馬鹿息子のだれかにって? あー、無理無理。あの子たちにはナユちゃんみたいなじゃじゃ馬は御せないわよ」
本人のいないところで言いたい放題のユリカに唖然としつつ、やはりユリカにとっても息子はミツル以外の上三人しかいないことになっていることに、ほんのりと痛みを覚えた。
分かり切っていたことだし、二人は親だという認識はあったが、そこまで強く意識していなかった。それでも妙な痛みはあった。
まだミツルはマシだけれど、家族だと思っていた人たちから疎外される痛みは計り知れないということを再認識した。
「それで、ミツル。いつナユちゃんと結婚するの?」
「……はい?」
「早くあたしに娘を作ってくれないかしら」
ユリカの言葉の意味が分からなくて、ミツルは思わず何度も瞬きをした後、ユリカを見つめた。




