04
部屋に数歩入って、ナユは固まった。
ミツルに似た男性の向こうにミツルが見えたのだが、ナユの着ている服の意匠に似た、こちらは髪色に合わせたのか、灰色の服を着ていた。
いつもは動きやすそうないい加減な服を着ているのしか見たことがなかったナユは、正装しているミツルを見るのは初めてだ。
いい男は嫌いなはずなのに、どうしてこんなにも、しかも相手はミツルだというのに! 胸が高鳴っているのだろうか。
そうだ、こんなにもどきどきするのはミツルが悪いのだ!
ナユの斜め上の思考はそう結論づけ、無言で部屋の中を横切り、ミツルの前に立った。
ミツルは部屋に入ってきたナユにもちろん見とれていた。
着飾らなくても元から好みど真ん中なのに、少し過剰すぎるがかわいらしく着飾っているのだから、でれっと締まりのない顔になってしまう。
だけど近づいてくるナユは怒りに震えていて、嫌な予感がした。
ミツルの真正面に立ったナユは眉をつり上げてにらみつけてきた。
こうして怒ると瞳がきらきらと輝いて美しいとまたもや見とれていると、べちんという場違いな音がした後、頬がじーんと痛んだ。
静まりかえる部屋。
「ナユちゃん……?」
戸惑ったユリカの声に、ミツルはようやくナユに頬を叩かれたことを知った。
跳ねっ返りだなと思うけれど、どうして叩かれたのかミツルは分からなかった。
「なんで叩く……?」
「わたしより目立ってる!」
「……は?」
「ユリカさんにせっかく綺麗にしてもらったのに! どうしてミツルの方が目立ってるのよっ」
完全な八つ当たりであるが、ミツルはどうすればいいのか分からず、情けないことに遠くから成り行きを見守っている両親に視線を向けて、思わず助けを求めていた。
しかし、二人はにやにやと笑ってミツルを見ているだけ。
ここはやはり、そんなことはない、ナユは輝いているし、とても目立っているとでも褒めればいいのだろうか。それとも、綺麗だとミツルの感想を伝えた方がいいのだろうか。
変にモテるが、そもそもミツルはあまり他人に興味がなかった。それに今まで女性に気を遣ったことがなかったため、気の利いたセリフがまったく思いつかない。
「……上着を脱げば少しは目立たなくなるか?」
結局、口にしたのはこちらも別の意味で斜めな言葉だった。
「ぬ……脱ぐって! そそそそそ、それはもっとだめーっ!」
収拾がつかなくなりそうな気配を感じたユリカが隣に立つ夫をちらりと見ると、人の悪い笑みを浮かべてにやけていた。
「あなた……ミツルを助けてあげなさいよ」
「いやいや、なかなか面白い見世物じゃないか。あんなにうちに寄りつかなかったあいつがいきなり女性と一緒に借りていた金の一部を返しに来るだなんて。あのお嬢さんも一筋縄ではいかないみたいだし、ミツルが振り回されていて楽しいねぇ」
さすがはミツルの父と言うべきか。さらっと黒いことを口にしていた。
とはいえ、ナユがミツルをぽかぽかと叩き始めたところでそろそろ止めないとと思っていると、ミツルがぼそりと呟いた。
「切り株にも衣装……」
「…………っ!」
「違った。君飾らざれば臣敬わず? ……いやいや、これも微妙に違うな」
ミツルはなにやらぶつぶつと呟いているのだが、どれも普通、言われたら怒り出すような語群たち。素直にかわいい、きれいと言えばいいのに、照れが入ってしまって言えないようだ。
そうするとますますナユは腹が立ってきて、ぶるぶると身体を震えさせると下から抉るようにお腹を殴りつけた。
ナユの力はたかがしれているからそれくらいではミツルはなんともない。しかし、ここで痛くも痒くもないと平然とした表情をしていると、さらにナユが怒り出すのを知っているミツルは、大げさなくらいお腹を押さえつけて呻いて見せた。
ナユもそれがミツルの演技だと知っているが、ようやく溜飲を下げた。
「ミツルってほんと、口が悪いわよね」
「悪くない。事実しか言ってないだろう」
「悪かったわね! どうせわたしは切り株体型よ!」
怒るところはそこなのかと思ったが、ナユが気にしているところは事実ではあるので突っ込んで言えない。
やはりここは気にするなと言えばいいのだろうか。言えばせっかくナユが落ち着いたのに、また怒りかねないから、黙るのが一番のようだ。
二人が落ち着いたのを見計らって、ユリカは口を開いた。
「これからお隣の部屋で食事をしようと思ってるの」
食事と聞いて、ぴくりと反応を示したのはナユ。ミツルに背を向け、ユリカへと駆け寄った。
「ユリカさんっ!」
「なぁに、ナユちゃん。お母さまと呼んでくれてもいいのよ?」
ナユはユリカのほっそりした手を取って、瞳を輝かせて口を開いた。
「ご飯が食べられるのならいくらでも言うわ! お母さま! すてきです!」
朝ご飯を食べてからこちら、なにも食べていないナユはお腹が空いていた。
最近はクラウディアのおかげでご飯がないということはなかったが、基本はご飯に弱い。ナユを釣るのなら、筋肉とご飯ということをミツルは覚えるべきだと思われる。
きらきらと目を輝かせているナユを見て、ユリカは目を丸くした。
初めて見たとき、とても不安そうな表情でミツルの後ろに隠れるようにいたし、とても儚そうな見た目であったので、大人しい子かと思っていた。しかし、ミツルに突っかかっていくし、喜怒哀楽がはっきりしているし、こうして瞳を輝かせていると急に生き生きとしてくるのだから不思議だ。
ユリカは目を細めて、ある決意をした。
この子をなにがなんでもミツルの伴侶に据えることを。
そんなユリカの決意なんて知らないナユは、ご飯と聞いて嬉しくて仕方がなかった。
*
隣の部屋に移ると、こちらはやはり煌びやかな空間だった。あちこちがきらきら光っていて、慣れるまで目がちかちかしていた。
長い卓が真ん中にあり、白い布が掛けられた上に食器や花が置かれていた。
その周りにはすでに三人の男性がいて、ナユたちが入室すると立ち上がった。
三人ともに背が高く、茶色い髪をしていて、やはりいい男揃いだった。見た目はユリカにとても似ていたので、ミツルの兄たちだとすぐに分かったのだが。
「……似てない」
というナユの呟きに、ミツルは苦笑したように返した。
「俺は親父似なんだよ」
初めて見たときから分かっていたが、髪の色以外は鏡に映したかのようにそっくりである。
「ミツル、久しぶりだな」
左側の一番歳が上だと思われる男性がミツルに声を掛けると、ミツルは軽く頭を下げた。
「ご無沙汰してます」
「……相変わらず、他人行儀か」
そう言って苦笑していたが、ミツルは態度を崩すことはなかった。なんだか意外な感じがしたが、なにか事情があるのかもしれない。
ナユはとてとてと最後に部屋に入ると、卓の向こう側にいるミツルの兄たちがいっせいにナユに視線を向けてきた。
いい男三人に視線を向けられたナユは、気分が高揚してきた。
そうそう、これよこれ! とナユは思いながらない胸をそらして、三人にゆっくりと視線を向けた。
「ごきげんよう」
いきなり澄ました態度をとったナユを見て、ミツルは思わずぶふっと吹き出した。ナユはそちらに気を取られることなく笑みを浮かべて三人を見た。
「……これはまあ」
「母さん好みの子だな」
「おもちゃにされた後っぽいな」
いや、そこは普通ならなんてかわいらしいだとか、すてきだとか、素晴らしいといった賞賛の声がするはずなのに、どうしてっ? やっぱりいい男は駄目だわ!
というナユの心の声はなぜかミツルにはしっかり聞こえていたようで、ミツルはお腹を抱えて笑い出した。




