05
ない胸を必死に突き出して胸を張っているナユ。
周りはみんな、凍り付いている。
その空気を打ち破ったのは、落ち着いた女性の声だった。
「ユアン、早くミツルを探さないと……。って、あら? ミツル、なんであなた、そんなところに突っ立っているの?」
そう声を掛けてきたのは、ユアンに負けず劣らずの華やかな見た目の女性だった。
金色の髪は腰まで伸び柔らかく波打っていて、光を浴びてきらめいていた。瞳は濃い青色。そして身体の線を強調する服を身につけていた。
ナユはそれを見て、ふんっと鼻で笑った。
胸の大きさなんて、しょせんはまやかし。あれは男をたぶらかすための道具なのだ。男はあの胸にかしずいているのであって、中身に対してではない。
ナユは自分にそう言い聞かせると、さらに胸を張った。悲しいまでにまっ平らだった。
しかも先ほどまでは注目を浴びていたはずなのに、みんなの視線は新たに現れた金髪美女へと向かっていた。
あんな肉の塊……! と心の中で呪いの言葉を吐いてみたが、完全な負け惜しみにしかなっていなかった。
「ああ、ミチ。話は聞いている。今から向かおうとしていたところだ」
「ついて行くわ」
ミチと呼ばれた金髪美女は肩に掛かった髪をばさりと振り払うと階段を下りようとしてきたのを見て、ミツルは首を振った。
「ミチはユアンとここに残って、情報収集をして欲しい」
ミツルの言葉は予想外だったようで、ミチは目を見開いた。
「本当にヤツが絡んでいるのかどうか、調べてくれ」
「……分かったわ」
それだけでミチは引き下がった。
ナユの目には、ミツルとミチの間に信頼関係以上のなにかを感じた。周りを無視した妙に親密な二人だけの空気に息が詰まった。
けっ、公衆の面前でいちゃいちゃしやがってとナユは二人の間に割って入った。
「げふんげふんっ。じゃ、ミツル、行くわよっ」
「……なんで呼び捨てにされている? しかも俺は一緒に行くとは」
「男なら、こまけーこたぁいいんだよ!」
「男に偏見を持ちすぎだろ」
ミツルはあきれてため息をついた。
ナユは離れるどころかぴったりとひっついている。
「ほらほら、コロナリア村へ向かいなさい!」
「コロナリア村には行くが、おまえとは……」
「四の五のいいから、天下のヒユカ・ナユさまよっ! いいから行きたまえっ!」
ヒユカの名前にユアンがぴくりと反応したのを、ミツルは見逃さなかった。二人は目配せした。
「……分かった。村の手前まで連れて行こう」
あれほど拒否していたミツルが一転して、一緒に行くと言ったことに疑問を持ったものの、ナユはにやりと口の端を持ち上げた。
「ふふふ、それでこそわたしの下僕!」
「おい……」
「男ども全員、わたしの下僕よっ!」
ナユの高笑いに顔をしかめたものの、ユアンとミチに目配せをすると、ナユを引きずるようにして歩き出した。
*
インターの本部を出たところでミツルは立ち止まり、ナユを腕から引き離そうとした。
しかしナユは離れようとしない。
「離れろ」
「やだ。離れたら逃げるでしょ?」
「逃げない」
「もうっ、照れなくてもいいのよっ。こんな美少女に密着されるなんて光栄ですって鼻の下を伸ばしてでれでれしておけばいいのよっ」
ナユにさらに身体をすり付けられ、ミツルは憐憫の視線を向けた。
「おまえの周りにはそんな男しかいなかったのか。……不憫だな」
「あら、あなたはそうじゃないと?」
「板切れには興味はないな」
「……板」
ナユが気にしていて、唯一の弱点と思っている部分を指摘されたが、そんなことでめげるナユではない。
「ほほほ。やはりあなたも愚かな男だったのね」
「ないよりあるに限るだろ」
「さっきの言葉をそのままそっくり返すわ。あなたこそ、見た目や肩書きに惑わされてるわ!」
ああ言えばこう言うを地で行くナユにミツルは呆れ、口を閉ざした。
「勝ったわ!」
勝負でもなんでもないのに、言い返してこないミツルに勝利宣言をするナユ。
ミツルはつき合っていられないと黙々と歩くことにした。
ナユはミツルにしがみついたまま、ご機嫌に鼻歌を歌っているが調子っぱずれなため、なにか分からない。
ミツルは気にしないようにしていたのだが、ナユの声は妙に耳に響く。しかも声自体は不快どころか心地よく感じるのだが、致命的なまでに、ようするに……音痴なのだ。
我慢して我慢して……一曲終わり、次の曲に入って、それがミツルも知っているものだったので、限界を超えて切れた。
「下手くそ」
ミツルがぼそりと呟いた言葉は、最初、ナユには届かなかった。
歌うことをやめないナユに、ミツルは足を止めた。
それに合わせて、ぴたりとナユの足も止まる。
「その下手くそな歌はやめろ」
口と目を丸く開け、ナユはミツルを見上げた。
「下手? だれが?」
「おまえだ」
「わたしはおまえって名前ではないわよ? ヒユカ・ナユさまよっ! ナユさまって呼べばいいと思うわ」
なんか面倒なものに捕まったな、これなら酒場の酔客相手が楽だ、なんて思いながら、ミツルは小さな子ども相手のような対応に出た。
「はいはい、ナユちゃんでいいんだな? で、ナユちゃんは、コロナリア村になにをしに行く予定なのかなあ」
思いっきり子ども扱いをしたというのに、ナユは怒らずにミツルに合わせた。
「えっとねえ、ミツルおじちゃん。帰ってくるようにって手紙が来たの」
おじちゃんじゃねーよ、とミツルは内心で思いながら、額に青筋を立ててはいたが、怒ることなくさらに聞いた。
「その手紙はだれから?」
「おにーちゃんから」
「…………」
聞けば答えるが、聞いた以上の情報が出てこないことにミツルはいらだちを覚えた。
「兄の名前は?」
「答えてもいいけど、なにか関係あるの? それとも、わたしに惚れた?」
「んなことあるかっ!」
「もう、照れ屋なんだからあ。周りを固めてわたしを陥落しようって考えなんでしょうけど、残念ながらあなた、ぜんぜん好みじゃないんだけど」
「…………」
「いるのよねえ、たまにそういう勘違い。わたしは特定のだれかだけにおさまるような女じゃないんだから」
「……そうか」
本気で相手にするのが馬鹿らしくなってきたミツルは、空を仰ぐと口を閉ざした。
昼の明るさから夕刻の光へと変わっていく中、ミツルは仕方なくナユに引っ付かれて通りを歩いていく。
周りは色とりどりの店。緑の外観は野菜を売っていて、茶色の建物はパーニャを売っている。ミツルはこの茶色の建物の店で焼きたてのパーニャを買い、隣の野菜店で切り立ての野菜を買って挟んで食べるのが好きだ。金に余裕があれば向かいにある肉店で焼いた肉を少し買って挟む。
早く終わらせて食べよう。
ミツルはそう決意すると、口を結んで歩みを早めた。
*
城下町からコロナリア村までそれほど距離は離れていない。
しかしすでに日は沈み始めていて、周りは薄暗くなってきていた。
完全に日が沈むまでに村に着きたい。
急ぐのなら乗り合いに乗ればいいのだろうが、時間的に最終便はすでにでているだろう。個別の乗り合いに乗れるほどの金をミツルは持ち合わせてない。
それならば方法は一つだけだ。自分の足で移動するしかない。しかも日が沈み始めていることを考えなくても、動く死体が出現してしまっているのなら、急がなくてはならない。
「走るぞ」
ミツルは城下町の門をくぐったところでナユへとそう告げた。
ナユはそれでもミツルから離れる様子はない。
ミツルはちっと舌打ちをすると、ナユを振り払うつもりで走り始めた。
ナユは鼻歌を止め、慌ててミツルについて走り始めた。
「なんで走るのっ」
「時間がない」
「そんなに急がなくても、コロナリア村はすぐだよ?」
「知っている」
油断すると手が外れそうになりながら、ナユは必死になってミツルに追いすがった。
「コロナリア村の場所を知っているのなら、後から来い」
「えーっ!」
そういうとミツルはナユを振り払い、マントをはためかせて走っていった。あっという間にミツルの姿は見えなくなった。
「……最低だわ、あの男」
ナユはしかめっ面をして、ミツルが消えていった道を見つめていた。