04
浮島に人が住んでいる?
ナユにはその様子がまったく想像がつかなかった。
「浮島からは出たくても出られない、天然の牢獄なの」
「牢獄って、そこに住んでいる人たちは悪いことをしたの?」
「いいえ、していないわ。あたしの罪をもろにかぶった憐れな人たちよ」
「シエルはなにか悪いことをしたの……?」
「ええ、したわ。人間を創ったことが罪なの」
さっきからシエルはとてつもないことばかりを言っているような気がする。
やっぱりこの人、頭がおかしいんだ!
ナユはそう決めて、シエルから離れることにした。
切り株から立ち上がり、下穿きを叩くのをシエルは笑いながら見ていた。
「おかしな人だと思ってる?」
「…………」
「これが妄想なら良かったのにねぇ」
やっぱりこの人は危なくておかしい。
だからナユは一刻も早くシエルから離れようと思ったのだけど、どういうことなのか、移動しているはずなのに、動いていなかった。
「ねえ、ナユ。あなたはどこのだれだか、説明することはできる?」
シエルから逃れようとしてあがいているナユを見ながら、シエルは笑みを浮かべて聞いてきた。
「あたしはね、自分のこと、説明できないわ。だって気がついたら暗闇にぽつんと立っていたんですもの。たった独りで。でもね、色んなことを識っていたの」
だけどね、とシエルは続ける。
「識っていたけど、地のことは分からなかったわ。だからきっと、あたしを創った人が創ったの」
「シエルを……創った、人?」
「人っていうより、神っていうの? そこだけよくわからないの」
ナユはシエルから離れられないと分かり、諦めて切り株に座り直した。
シエルが言っていることは難しすぎて、訳が分からなくて理解することを放棄した。
「浮島に住んでいる人たちは穹の民と呼ばれているの。穹の民は女神の血に連なる者だから、細々とその血を今の世に伝えている。だけど外から新しく血が入ってこないから、血が濃くなりすぎて滅びそうなの」
女神の罪をかぶって呪われた浮島。
そもそも空にそんなものがあるのなんて知っている人はいるのだろうか。知っていたとしても、ここからどうやって行けばいいのか分からない。
「下から浮島へは行くことができない。浮島からも出られない。閉じられた世界は──とてもひどいことになっていると思うの。あたしは怖くて見られない」
それにね、とシエルは続けた。
「ラウラの記憶をのぞいたら……すごく、こわかった、の」
ぐちゃぐちゃで混乱していて、なにがなにやらよく分からなかったけれど、こわかったの。
そういってシエルは頭を抱えた。
「あのね、ナユ。ラウラは穹の民だったの」
「……穹の民って」
「浮島に住んでいる、女神の血に連なる人たちのことよ。出ることが叶わない浮島から、なぜか放り出されたの、ラウラは」
呪いのかかった閉じられた島からナユの母は出てきた。
それだけでも衝撃的だったのに、シエルはさらに言葉を重ねた。
「ラウラはあの島で、禁忌を犯したの。だから……冥府の色に染まったの」
「う……そだ」
「その禁忌がなにかは分からない。だけど、あなたを身籠もりながら、あの浮島から突き落とされたのよ? あたしが見つけていなかったら、ラウラとあなたは死んでいたの」
*
自警団員は気が済んだのか、牢屋から出て行った。
昨日の怪我の上に新たな怪我が加わり、ちょっと身体を動かしただけでも痛い。荷物も奪われてしまっているので傷薬もなく、あまり清潔とは言えない牢内で手当てもできない状態は落ち着かない。
固い寝台に横たわり、ミツルは荒い息を繰り返した。
さすがに鍛えているだけあり、自警団員の一撃は重たかった。かろうじて急所を外して受けたけれど、それでもやはり殴られたのだから痛い。
痛みを忘れるために寝てしまおうと思ったけれど、痛くて眠れない。
どうしてインターだというだけでこんな目に遭わなければならないのだろうか。
何度も自問した言葉を繰り返し、痛みを逃すために大きく息をした。
痛いという感覚があるということは、まだ大丈夫。
そう言ったのはだれだったか思い出せないけれど、今のミツルには痛いほど分かった。
痛みのせいで眠ることも気を失うこともできない。それはまだ生きていると実感させるものだった。
だけど少しの間でいいから、痛みを忘れさせてほしい。痛くて痛くて、仕方がない。しかも蹴られながら投げかけられた言葉を急に思い出して、あまりの悔しさに叫びたくなる。
──オマエ ナンテ 死ンデ シマエ
──オマエタチガ イルカラ ヒトガ 死ヌンダ
──オマエタチガ 消エウセロ
殴る蹴るの暴力も痛いけれど、言葉の暴力も痛かった。
人が死んでしまうのは、原罪のせいだと言う。
その原罪とはなにかミツルは知らないけれど、原罪を犯したことの責がインターにあるのならば、そう罵られるのは仕方がないと思う。
だけどそうならばそうだという話が残っているだろう。
なんでも識っているシエルからそんな話を聞いたことはなかった。
この理不尽な状況はいつまで続くのだろうか。
インターというだけで蔑まされるような馬鹿げたことは自分たちで終わりにしたい。
そうするためにはどうするのが効率的なのかは分からない。
人の意識を変えるのは一朝一夕ではいかない。今まで通りに国に訴え、ミツルは出来る範囲でやっていくしかない。
人に関心はないとはいえ、ミツルだって人が死ぬのは辛い。ましてや、自分が最期の引導を渡すのだ。悪いことをしているわけではないのに、罪悪感がこみ上げてくるのだ。
別に感謝してほしいわけではない。
インターの悲しみを知ってほしい。
人を地の女神の元へと送り、愛する人たちから遠ざける。
インターだってそれを好き好んでやっているわけではない。だれかがやらなければいけないから、インターという能力を持って生まれてしまったがゆえに、ただそれだけでやっているのだ。
「だけど……」
と思わずミツルはぼそりと呟く。
このまま放置して、みんな滅んでしまえばいいのに、と。
*
がたんという音がして、ミツルはびくりと身体を強ばらせた。
どうやら痛いと思いつつも、身体は休むことを求めて眠っていたようだった。
少し動かしただけで連動してあちこちが軋んだり痛んだりするのでゆっくりと慎重に力を入れ、どうにか起きあがった。
どれくらい眠っていたのか分からないが、それなりに時間が経っているようだった。
耳を澄ましていると、騒がしい音が聞こえてくる。
ミツルが入れられている牢屋は自警団の詰め所の奥になる。それほど大きい建物ではなかったが、最初に通された奥まった部屋の辺りで騒ぎが起きているようだった。そこと牢屋はそれなりに近いから音が聞こえてきたのだろう。
わーっだとかいう声と、なにかがぶつかり合う鈍い音が聞こえ、壁に当たったかのような音もする。
自警団の連中は血の気が多そうだったからなあと他人事でいられたのはそこまでだった。
牢屋から詰め所を結ぶ扉が乱暴に開けられる音がして、足音荒くだれかがやってきた。
「くっそ、ここまでかっ」
と甲高い声がしてきて、それが団長であるのはすぐに分かった。
なにが起こっているのだろうか。
そう思っていると、ミツルの牢屋の前をなにかが飛んでいった。なんだと思っていると、また別のものが横切っていった。そして三つ目で正体が分かった。
それは自警団員だった。
またもやよぎったが、それは団長の身体だった。
「くっそぉ。早くあれを取り押さえろ!」
「分かってますが、団長、ちょっと無理です」
「無理ではない! 今までも上手くやっていただろう! なんで急に動き出したんだっ」
団長の一言でミツルはなにが起こっているのか悟った。
聞いたことがある。
インターを否定して、独自の手法に則って死体を処理している町があると。
そうだ、思い出した。この町が城下町に近いのにインター常駐先一覧に載っていなかったのは、そんな町のひとつだったからだ。
何度か通過したことがあったし、そのときは特に問題もなかったから忘れていた。
この町は問題を抱えた場所だったのを今更ながらに気がつき、ミツルは自分の甘さを呪いたくなった。
インターであるということは、それだけ危険を背負っている。それなのに事前調査を怠って、自分だけではなく、ナユまで危ない目に遭わせてしまった。
馬鹿すぎて牢の格子に頭を打ち付けたくなったが、今はそれどころではないようだ。
とりあえずミツルはこの牢の中にいればしばらくの間は身の安全を確保できているのは分かった。
その間になにか対策を練ることにした。




