03
ナユの質問に、シエルは笑みを浮かべた。
ミツルの幼い頃のことは思い出すと、なんだか甘酸っぱい。初恋ってこんな感じなのかしらと思ってしまう。
シエルがミツルと出会ったのは、ミツルが五歳くらいだったはずだ。
すでにその頃から世を達観していたというか、歳の割には大人びていた。
ミツルは生まれてすぐに祖父に引き取られたという話は本人から聞いていた。そのことがミツルのこの性格を形成する上で強い影響を与えていたのだろう。
灰色の髪を風になびかせて遠くを見ている姿はまったくかわいげがなかったけれど、それでもシエルは横にいられるだけで嬉しかった。
気まぐれに訪れてはミツルの気を引きたくて、やさしくしてもらいたくて、色んな話をした。
母親代わりにはなれないけれど、せめて姉の立場にはなりたいと思っていた矢先に、ラウラと出会った。
だからシエルがミツルのそばにいたのはそれほど長くない。
「ミツルって小さい頃からあんなだったの?」
「あんなとは?」
「意地悪なところとか」
「別にミツルは意地悪ではないと思うけどなあ」
シエルの反論に、ナユはぷうっと頬を膨らませた。
そんな反応を返すからミツルもついついいじめたくなっているのではないかなと思ったけれど、シエルはそのことには触れず、別の言葉を口にした。
「ミツルは基本、他人のことなんてどうでもいいと思ってるわよ」
「……そなの?」
「あなたに対してしかあんな行動は取らないもの」
「……でも」
「でも?」
シエルの問いにナユはむーっとさらに頬を膨らませた。思わず頬をつっつきたくなる。
「俺はすばらしいだとか、褒め讃えよだとか……」
「それはあなたも一緒でしょ?」
「違う……って。え? わたし、シエルとは初対面……だよ、ね?」
ナユはシエルの言葉の不自然さにようやく気がついた。
どうしてナユとミツルのことをこんなにも知っているのだろうか。
「あなた……だれ?」
警戒をまたもや露わにしたナユに、シエルは満面の笑みをたたえた。
「あたしはシエルよ」
その答えにナユは大きく頭を振った。
*
一方のミツルはというと、牢屋の中で殴る蹴るの暴行を受けていた。
インターというだけでどうしてこんな目に遭わなくてはならないのか。
悔しくて仕方がない。
この国でおまえたちがのんきに暮らしていけるのはインターがいるからなんだぞと思うけれど、そんなことを言ったらもっと酷い目に遭うのが目に見えたので、ミツルは上手い具合に急所を守りながら攻撃を受けていた。
それにしても、インターとは本当になんだというのだ。
ミツルは朦朧としながらそんなことを考えていた。
*
ナユの前に座っている女性は笑みを浮かべていた。そこに邪気はまったくなかったけれど、なぜかぞっとする笑みだった。圧倒的な力を前にしたかのようで思わずひれ伏したくなる。
「ねえ、ナユ。昔話をしてあげましょうか」
シエルの読めない笑みにナユはうなずくことも出来なかった。
「この世界が出来る前はどうなっていたか知っている?」
前触れもない言葉にナユは思わず眉間にしわを寄せた。
昔話とはそっちなのっ? と思ったけれど、シエルの思惑が分からなくて、首を振った。
「そうよね、知らないわよね。正解は、なにもなかった、でした」
なにもない状態はまったく想像がつかない。先ほどまでの真っ暗闇と同じなのだろうか。
「そこにね、ずーっと一人でいたの」
「……え?」
「なにもないの。暇をつぶすものも、なぁんにも」
うっすらと笑みを浮かべているシエルが薄気味悪くなってきた。
この人はなにを言っているのだろうか、と。
ぱっと見はおかしなところはないように思えるのに、話してみるとおかしなことばかりだ。
シエルを何度見ても、やはり覚えがない。だけど妙な懐かしさを感じるのだから質が悪い。
でもこの人はやはりおかしな人だ。こんな妄想、耳を傾けてはならないと思うのに、思わず聞き入ってしまう。
「あまりにも暇で、なのになにもすることがなくて、気が狂いそうだった」
ああ、やっぱりこの人はおかしいのだ。
ナユが同情めいた視線をシエルに向けると、くすくすと笑われた。
「頭がおかしいと思ってる? そうね、自分でもおかしいと思うわ。でも、正気なのよ! 気が狂えたらどれだけよかったことか」
真っ直ぐにナユをとらえて見つめてくるシエルの瞳の光にはなにもおかしなところはない。
だけど、と思う。
やっぱりこの人の言っていることはおかしい。どうしてそんなだれも知らない大昔の話をするというのだろうか。
「それでね、そのなんにもないところに地が出来たの」
「あ……」
創世記の内容だ、とナユは思った。
「あたしはそれがすごくうれしかったの。ようやくあたし以外のものが発生したんですもの」
「……え?」
「それでね、地があたしの最初の友だちになったの。だれかがそばにいてくれるのはとっても嬉しかった。だからあたしは彼に力を与えたの」
「あなた……だ、れ?」
ナユの掠れた声に、シエルは笑った。ぞっとするほどのきれいな笑み。
「さあ? 忘れちゃったわ。だって浮島から思いっきり突き飛ばされてここに墜ちてきて以来、ミツルに会うまでだれ一人としてあたしを認識してくれなかったんですもの。あたしがだれだったのか、そんなの……覚えているわけないじゃない」
覚えていないと言うけれど、シエルは自分が何者であるかを忘れたことはなかったと思う。
「地に力を与えた途端、彼は豹変したわ。あたしにやさしかったのはあたしが持つ力がほしかったからですって。ほんと、あたしは馬鹿だった。でもね、馬鹿だって思いながらも、おまえが必要だなんて言われたら、淋しいのは嫌だから、ついて行くって言ったら……。浮島から突き落とされたの」
「……ひどい」
「ひどいわよね? でもね、ナユ。ラウラも一緒だったのよ」
「え……? ラウラって、お母さん……。シエルはお母さんも知ってるの?」
どうして、なんで? と疑問ばかり浮かぶが、シエルはおかしそうに笑いながら説明をした。
「浮島はね、あたしが地上に墜ちたことで呪いがかかったの」
「呪い……」
「そうよ。浮島から出られないっていう呪いがかかったの」
「あの……浮島ってなに?」
シエルは当たり前のように口にしているけれど、ナユは浮島なんて聞いたのは初めてだった。
「浮島はね、空に浮かんでいるの」
「空って……空?」
ナユは思わず、上に指を向けてシエルへと確認をした。シエルはそのナユの動きに口角をあげて、うなずいた。
「地があたしを迎えるために作ったんですって。おかしいわよね」
ナユは聞いていてもまったくおかしくなかったが、シエルはくすくすと笑い続けた。
「空にね、浮いているのよ、島が。おかしいったらありゃしないわ」
島が浮いている? そもそも島ってなに? とナユは悩んだけれど、シエルが話を始めたので聞くことが出来なかった。
「そこで地と初めて会ったの。とてもいい男だったの」
「お父さんがいい男にロクなヤツはいないから止めておけって言っていたよ?」
「ええ、その通りよ。ほんと、ロクでもないヤツだった。だけどね……だって、あたし以外にはあいつしかいなかったのよ? もう独りは嫌だったの。それにあたしがほしいなんて熱っぽい瞳で言われたら、拒否できるわけ、ないじゃない!」
淋しいのは嫌……とシエルはもう一度呟くと、空を仰いだ。青い空には雲一つない。
「浮島にね、あたしに似た人たちを創ったの」
「創った……?」
「そう。人間って呼ばれている人たちをね。だって、あいつだけだと淋しかったの。だけどね、あいつにはそれが気にくわなかったみたい。あたしを浮島から突き落として、あたしは地に幽閉されたの。人間たちはあたしを慕って地上に降りてきてくれたみたい。だけど、一部の人が浮島に残ったの」




