01
普段は雲に阻まれて見えないけれど空にはいくつか浮島があり、そこには女神に連なる血が連綿と、そして細々と伝えられていた。
ウィータ国の創世記は『初めに地があり』で始まるが、地が出来る前は女神はひとりきりだった。
地が出来、地が高い場所にいる女神に焦がれて空を作り、浮島へと女神を招いた。
淋しがり屋の女神は地という友が出来たことに喜んで地に力を与えたが、それでも淋しくて女神は人を作った。
女神は自分によく似た友がたくさん増えたことで喜んでいたが、地は面白くなかった。
だから地は、女神を独占したくて、浮島から女神を突き落とし、地へと連れ去った。
女神に作られた人たちは、女神の血を引くものたちだけ浮島に残り、他の人たちは下界に消えた女神を慕って地へと降りた。
語られることのない、本当の創世記。
*****
シエルは穹に伝わる話を思い出し、ため息を吐いた。
今では地の女神と呼ばれているけれど、本当は穹にいたのだ。女神の名前は人々の間ではいつの間にか失われてしまったけれど、本人は忘れていなかった。
だれも名前を呼んでくれなかった。
自由に世界を巡ることは出来たけど、だれも見つけてくれない。存在しても認識してもらえないことに淋しさを覚えた。
だからミツルが見つけてくれたとき、とても嬉しかったのだ。
ミツルとの出会いは、偶然だった。
肩まで伸びた灰色の髪に灰色の瞳。一本の木により掛かって空を見ている姿に、シエルは思わず見とれてしまった。
──すごくきれいな子。
意外にもミツルの第一印象はそれだった。
シエルは自分がとても惚れっぽくて、しかも面食いであるのも自覚していた。それで過去に失敗して痛い目に遭っていたにも関わらず、懲りていなかった。
……だからアヒムの『顔がいい男は駄目だ』という意見には同意する。
シエルは自分がだれにも認識されていないのを知っていたから、もっと近くでミツルの顔を見ようと思って近寄り、顔をのぞき込もうとしたところで固まった。
なんと、目があったような気がしたのだ。
「いやいや、あたしのことは見えてないから!」
と呟くと、
「聞こえてるぞ」
と返ってきてシエルは焦った。
「なんだ、すけすけ」
そういうと、ミツルは躊躇することなく胸の辺りに腕を突っ込んできたが、するりとシエルの身体を通り抜けた。
「なんで透明?」
ミツルは不思議に思ったようで、シエルの身体がある辺りで腕を振った。感覚はないが、なんだか変な気分だった。
シエルはいつ以来になるのか分からないけれど認識してもらえたのがとてもうれしかったし、なによりも面食いなので、ミツルのそばにいることにしたのだ。
とはいえ、ミツルはやさしくなかった。
顔がよくてやさしい男に騙され、執着され、身体は未だに囚われたままだというのに、それでもシエルは懲りてなくて、顔がよくてやさしい男を好んだ。
我ながら馬鹿だと思うけれど、好みというのは容易には変わらない。
顔がいい男に騙されたのに、そして、やさしいのはこわいのに、やさしさを求めてしまう。
ミツルはやさしくなかった。
やさしさを求めたけれど、シエルがほしいものはくれなかった。
だからミツルからやさしさがほしくて、過去の痛手を覚えていたにも関わらず、シエルはミツルにいろいろと教えたのだ。
やっぱり、ミツルはやさしくなかった。
だけど気がついたら、なんだかそれもすごく気持ちがいい。
我ながら本当に馬鹿だなあと思いながら、シエルはミツルのそばにいた。
そして、シエルはミツルの中にある淋しさを見つけて──ああ、同じなんだと妙な安堵を覚えた。
ミツルは来るものを拒むことはなかったけれど、去るものも追わなかった。自分から求めることはなかった。そこはシエルとは違っていた。
シエルはいつしかミツルの特別になりたい。好きだとかそういう感情抜きでシエルはミツルに対してそう思ったのだ。だけど、シエルがミツルの特別にならないのは知っていた。
それでいいと思った。
本当にほしいものは手には入らないからこそ美しい。
悔しいのでシエルはそう思って諦めた。
そしてラウラと出会い、ミツルと再会して、シエルがミツルと出会ったのはこれからのためだったのだと知った。
*
朝になった。
自然に目が覚めたミツルは、見覚えのない場所に一瞬、悩んだが、すぐに昨日の出来事を思い出して苛立った。
シエルがついているから大丈夫だろうが、それでも気になる。ナユは無事なのだろうか、と。こんなにもだれかのことを想ったことがなかったミツルはその気持ちにかなり戸惑った。
ミツルは固い寝台から起きると、凝り固まった身体をゆっくりとほぐした。昨日は久しぶりに大暴れしたし、殴られ、蹴られとしていたのもあり、身体が痛い。最近、鍛錬を少しサボり気味だったこともあり、思った通りに動けなかった。ナユに好かれる身体にするためにも鍛え直そう。そんな不純な動機とともにミツルは暇なのもあり、身体を動かしていたのだが。
容赦なくお腹が鳴ったことで、そういえば昨日の夜に飲み食いしてからなにも口にしていなかったことを思い出した。お腹を撫でるとさらに空腹の音がした。
自警団の牢屋に入れられてしまっているが、ここは食事が出るのだろうか。まさか飢え死に……?
ミツルは牢屋の中を見回して、どこにも土があるように見えなくて少しがっかりした。
もしもここで死んでしまったとしても、動く死体になれば出られるのではないだろうかと思ったのだが、死んだ後に出られても意味がないかと今の考えを却下した。
とにかく、ここからどうにか出て、ナユの行方を探らなければならない。
まったく手がかりがないけれど、ここでじっとしているよりはマシだろう。町で聞き込みをすれば手がかりを得られるかもしれないし。
そんなことを考えていると、だれかがやってくる足音が聞こえた。
ミツルは大人しく待っていると牢屋の前にだれかが立った。廊下側は明るいけれど、その人物は明かりを背にしているため、よく見えない。背格好で男だろうと判断した。
「ふぅん? これがインターなんだ」
妙に甲高い声に驚いたミツルだが、じっとして動かなかった。
「これの餌はなんなの?」
さっきから人のことをこれと言って人扱いしていないが、これもいつものことだ。ここで怒ってもいいことはない。だからミツルは諦めの気持ちのままうなだれた。
「なあ、これに餌をやっていいか?」
「いえ、団長。その……ここを開けるのは危険かと」
「えー? それならばこれ、ここにどうやって入れたのさ! 開けろよ! 団長命令だよ!」
団長……? ああ、そういえばここは自警団の牢屋だった。自警団というくらいだから団長がいるのは当たり前だよな。
と思ったけれど、なんだか相手にするのが馬鹿らしくて、ミツルはのしりと立ち上がり、廊下に背を向けた。
「おい、こっち向けよ! ほら、餌を持ってきたんだぞ!」
団長の甲高い声に周りにどれだけ人がいるのか分からないが、嘲笑う声が響いた。
「インターは土を好むと聞いたから、せっかくボク自らが木の板をはがして土を掘ってきたのに!」
だれだ、そんな嘘を言ったのは。
インターという能力があるだけで他は変わらない。ご飯も水も酒も摂取する。土なんて食べない。
「ほら、こっち向けよ!」
それでもミツルは背を向けたままだった。
そのことに団長は腹を立てたのか、ミツルの背中になにかが投げつけられた。思ったよりも重たいそれに少しだけ息が止まった。
「ほら、餌だよ!」
廊下に団長の甲高い声と笑い声が響き渡った。




