04
まったく反応しない男にナユはしびれを切らせ、握っていたマントの端を引っ張った。口を引き結び、恨みがましいと言わんばかりに見上げたが、それでもまったく男は動かない。
いつもだったらここで普通の男ならおろおろするのだが、いい男は慣れているからか、動じてくれない。
ナユはこの手は使いたくなかったんだけどと内心で思いながら、背伸びをして男の瞳をのぞき込んだ。
「あなたが欲しいの──」
これで少し瞳を潤ませれば、こちらの思い通り。
心の中でほくそ笑みながら、ナユはじっと男を見つめた。
「なんのつもりか?」
「!」
──最終奥義が効いていないっ?
ナユは激しく動揺した。
男ならば、これでいつもナユの思い通りになるのに。
「あなたもしかして、男にしか」
「誤解するな、きちんと女の恋人がいる」
こんな朴念仁に女がっ? と思ったが、そういえばデリアは熱っぽい視線でこの男を見ていたし、見た目はいいらしいので女には困っていないのだろう。
「ということで、帰ってくれないか」
「それは困るのよ!」
ナユは眉をつり上げて、男をにらみつけた。
「なんでもいいから、ついてきやがれっ!」
ナユは取り繕うことを忘れ、素になっていることに気がつかないままさらに強くマントを引っ張ったのだが、男はやはり動かなかった。
「なんでもいいから来なさいよ!」
ナユがしつこくマントを引っ張るので、男は鬱陶しくなりため息を吐きながら口を開いた。
「……意に添わない相手との結婚を壊すために偽装恋人になれという依頼か? それとも、田舎の祖父だか祖母を安心させるために偽の婚約者にならないといけないのか?」
「…………なんの話?」
「俺がいくら若くて格好良くて金を持っていて地位があるからって、そんな表面上の情報しか見てないヤツには用はない」
「はあ?」
ナユは目を点にして『なんだこの人』という表情で男を見た。
男の言っていることは事実で間違っていないのだが、本人の口から照れることなく言われると、なんだこのうぬぼれと思ってしまう。
呆気にとられてなにも言えないでいると、男はさらに続けた。
「残念だったな。金ならここを建てるのに全部使ったし、足りなかったから借りていて、今の俺は借金まみれだ」
「えーっと……?」
──なんの話に来たんだろう?
ナユは一瞬、目的を忘れてそのまま立ち去りそうになったが、思い出した。
兄からインターと帰ってこいという手紙が来ていたのだ。
「そんなもの、どーでもいいから! ぐだぐだ言ってないで、ついてこいっ!」
マントを握る手が緩んでいたが、力を入れ直してぐいっと引っ張り直した。
「だから断ると──」
「ミツル、大変です!」
男は自分の羽織っているマントに手をかけてナユの手を振り払おうとしたところ、階段の上から声を掛けられた。
ナユは声につられて上を見た。
そこには、目の前の灰色の陰気な男とは対照的に輝く金色の髪を持った男が立っていた。切羽詰まった表情はしていたが、普段ははつらつとして理知的なのだろうなとうかがわされる見た目だった。
どうしてそう思ったのだろうかと考えて、少ししてから分かった。
金色に輝く真っ直ぐな髪を後ろに一つで結び、青い瞳を覆うようにある眼鏡がそんな印象を与えるのだろう。
少し後ろにナユと灰色の男のやり取りをどうしようとおろおろ見ていたデリアがはぁっと熱い吐息をこぼしていたから、やはり彼もいい男なのだろう。
ナユとしては階段上の男も対象外だが。
どちらか一方を選べといわれたら……と考え、ナユは激しく悩んだ。
どっちも好みではないし、どちらも嫌だ。
どちらも拒否!
とはいうものの、ナユはだれでもいいからインターとともに帰らなくてはならないのだ。
目の前の男か、階段の上の男もインターならば、どちらでもいいから連れて行かなければならない。
「なんでもいいから──」
「ミツル、動く死体が発生しましたっ!」
ナユの言葉に被せるように放たれた『動く死体』の単語に、ナユの手から力が抜けた。
男はこの隙にとナユの束縛から離れ、階段へと駆け寄った。
「どこでだ」
「コロナリア村です」
短いやり取りの後、灰色のミツルと呼ばれた男はきびすを返して飛び出していこうとした。
コロナリア村と聞き、ナユの身体は反射的に動いてミツルに飛びついていた。
ミツルは避けることもできずナユにがっしりとしがみつかれ、立ち止まった。
「さあ、行くわよ!」
ぷらーんとナユはミツルにぶら下がり、にっこりと微笑んだ。
ミツルは半眼でナユを見下ろした。
「…ユアン、その情報は確かか?」
ミツルの確認の言葉にユアンと呼ばれた金髪の男は口角を上げてうなずいた。
「コロナリア村にいるインターからの通報です。一人では手に負えないから助けて欲しいと。もしかしたら、例のはぐれインターが絡んでいるのかもしれませんよ」
野良だとかはぐれだとか、インターにも色んな種類があるのね、なんてのんきに思っていると、腕を振るわれて、ナユは床にどさりと落ちた。
「ちょっと、なにすんのよ! 痛いじゃない!」
「うるさい。仕事の邪魔だ」
とミツルに一蹴されたが、ナユは立ち上がると懲りずにミツルの腕にしがみついた。
「わたしもコロナリア村に用事があるのよ! 方向が一緒なんだから、連れて行きなさいよ!」
「断る」
「なんなのよ、けちっ! 減るもんじゃないでしょ!」
「おまえみたいな無神経と一緒にいると、神経がすり減る」
「無神経ってなによ! あんたこそ困ってる女性の事情も聞かずにばっさりと!」
「事情なんて、さっき言ったどれかだろう? 俺は間に合っている」
「あんたは間に合ってるかもしれないけど、わたしは足りてないのよ!」
言い合っているナユとミツルの元に、ユアンが階段から下りてきて二人の間に入ってきた。
「お嬢さん、なにか事情がありそうですが、詳しく話していただけますか?」
理知的な瞳にナユは苦手意識を持ったが、とにかくインターとともに一刻も早く帰りたい。
そう思ってナユは説明のために口を開いた。
「この男が欲しいのよ」
「……えっと?」
ユアンはナユの言葉に頬をひきつらせた。
ユアンはナユをじっと見て、それから深呼吸をして、眼鏡のツルに指を当て、上を見た。それから咳払いをして、気持ちを落ち着かせてからゆっくりとナユに言い聞かせるように口を開いた。
「あの、お嬢さん、この男はこれでもここインター本部の部長ですし……欲しいと言われましても、その……」
「今からコロナリア村に向かうのでしょう? ちょうどいいじゃない」
「あ……いえ、そういう問題ではなくて……」
ナユはミツルにしがみついたまま、頬を膨らませてユアンを見た。
ユアンはミツルと違い、ナユの表情におろおろとしていた。
それを見て、ミツルよりユアンを陥落させればよいことに気がついた。
「それじゃ、連れて行くから」
ナユはミツルにぶら下がったまま、満面の笑みを浮かべてかわいらしく小首を傾げた。
ユアンは呆気にとられてなにも言えないようだ。
ナユはそれを了承ととり、足を地面につけるとミツルの身体をぐいっと押して、扉へ向かおうとした。
「俺はおまえとは行かないぞ」
「細かいことは気にしないで」
「細かい以前の問題だ」
「さっきから何度も言ってるけど、目的地は一緒なんだからこまけーこたぁ気にしなくていーんだよ!」
「いや、気にするところだろう。俺はおまえとコロナリア村に一緒に入った瞬間に、村の人たちに婚約者だか恋人に間違われるのは嫌だぞ」
「さっきからなにを勘違いしてるのか知らないけど、あんたなんてこっちからお断りよ! 間違ってもそんな仲に思われるのは冗談でも嫌よっ!」
ナユの否定の言葉に、ミツルは眉をひそめた。
「それなら、なんで俺が欲しいだの訳の分からないことを」
「あなたが欲しいのは間違いないわよ!」
「…………? なにを言っている?」
ようやくミツルから戸惑いの感情を引き出せたことにナユは満足して、ぐふふと思わず気持ちの悪い笑いを洩らした。
「うん、いいわ。男はみんな、わたしにかしずけばいいのよ!」
ナユの発言に、場の空気が凍り付いた。