01
──初めに地があり。
地は上に焦がれ、天を創る。
天は煌めきを作り、休息を与える闇を創った。
闇は天を真似て仄かな淡い明かりを創った。
こうして天と地が創られ、昼と夜、太陽と月ができた。
これらができたことを知った女神は、地の底で深い眠りについた。
【ウィータ国創世記より】
*
ウィータ国の見慣れた景色がナユの目の前に広がっていた。
色とりどりの木々、土を隠すために隙間なく敷かれた木の板。この国の中でむき出しの土を探すのはかなり難しいというくらい、規則正しく木の板が地面に埋め込まれていた。他国から来た人たちからすると不思議な光景みたいなのだが、ナユはこの国で生まれ育ったために違いがよく分からない。
それらは見慣れているし、好きな景色の一つ。
しかしその光景の中にナユが気にくわないものが一つだけ混じっていた。
灰色の短い髪が風に吹かれてほんの少し揺れているのが見えて、ナユはふんっと鼻息荒くそっぽを向いた。
なんでこんな男と、しかも外泊を伴う外出をしなくてはならないのか。
ナユはやはり納得がいっていなくて、もう一度、ふんっと鼻息荒く苛立ちを吐き出して、顔を反対側へと向けた。
ナユは今、ミツルとともに城下町から歩いて数日かかる港町・ルベルムへと向かっていた。
今日は途中の町で宿泊をして、それからまた歩いて進み具合によってはどこかの町でもう一泊して、ルベルム入りする手はずになっていた。ナユの背にはそのために抱えなれない円匙と荷物があった。
そして少し前を歩くミツルの背にも同じように円匙と荷物があった。
この国で円匙を背負っていない者は、他国からの来訪者かあるいは罪人か。城下町では邪魔だから背負うなと言われるのだが、外に出ると背負っていないと問題になる。だから二人は慣れないながらも円匙を仕方なく背負っていた。
「もー、ちょっとミツル、待ちなさいよ!」
目の前の人物は気にくわないけれど、だからといって置いていかれるのは大変困る。どんどん離れていく距離にナユは焦り、仕方がなく嫌な相手の名前を呼んで呼び止めた。
それは実はミツルが狙っていたものだなんてナユは知る由もなく。
ミツルは少しだけにやりと笑みを浮かべた後、立ち止まってわざと不機嫌な表情を浮かべてから振り返った。
「なんだ、呼んだか」
「なんだじゃないわよ! ちょっとはわたしのことを気にしなさいよ! こんな美少女なのよ? さらわれるわっ!」
自分で美少女だというか? と思いつつ、しかし、美少女であるのは間違いないからミツルはあえてつっこまなかった。
「ねー、なんで乗り合いに乗らないわけ?」
ナユのその指摘に、ミツルはやはりそうなるよなと心の中で呟いた。
「なぜかって?」
ミツルはナユが追いつくのを待ってから口を開いた。
「それは俺がもてるからだ!」
「…………」
なにを言ってるの、この人? というナユの痛い視線にミツルはなにかよく分からない快感を覚えつつ、続けた。
「前に乗り合いを使ったとき、複数の女性から熱烈につきまとわれて大変だったんだ」
「……はあ」
「それが一度ならともかく、毎回となればさすがの俺も辛い」
それでナユが嫉妬してくれるのなら大歓迎なんだが、という言葉はぐっと飲み込んだ。
ナユはミツルのことを嫌っている。嫉妬なんて間違ってもしないだろう。
だからどうにか好感度をあげようと思うものの、ナユを前にするとどうにも意地悪ばかりしてしまう。大人げないという自覚はあるけれど、構ってほしくて、結果的にナユが嫌がることばかりをしてしまっていた。
今回のこの外泊で、少しでもナユがミツルに近寄ってきてくれるのを期待するには、余計な者は排除したかった。
乗り合いに乗ればまた女性たちから熱烈な誘いを受けるのは火を見るより明らかだ。
周りがすてき! と騒いでくれることでナユが見直してくれるのならまだしも、逆効果になりかねない。正直な話、単純に賞賛されるのは気持ちがいいが、そうではないものまでついてくるのは面倒だ。
「それに、できるだけ経費を削減したい」
その言葉にナユは不機嫌さを隠さずに口を開いた。
「だったら、あんた一人で行けばいいじゃないの」
予想通りの返しに、ミツルはくっとのどの奥で笑った。
「そういうわけにはいかないから連れてきてるんだろう?」
出発前にナユにはその辺りを説明したのだが、やはり納得していないようだった。むっとしてミツルを睨みつけている。ナユの碧い瞳はそうやって怒っているときが一番きれいだと思っているミツルは、ナユにその表情をさせたことに満足していた。
「別にわたしじゃなくてミチさんでよかったじゃない」
「ミチは別件の仕事を頼んでいる」
「イルメラは」
「村が忙しいと聞いたぞ」
「う……」
ナユが忙しかったとしてもミツルはナユを連れ立っていただろうが、そういうとどうしてと聞かれるだろう。そうなるといろいろと困るから言わないでおけるのならそれに越したことはない。
「なんでいきなり『実家に行くからついてこい』なんだか」
わかんない、とナユは小さく呟くと、ミツルを抜かして歩き出した。
ナユは一月ほど前の事件で家族を亡くしてしまった。
それはとても悲しい事件で、ナユはしばらくふさぎ込んでいたが、ミツルはナユが落ち込んでいるにも関わらず、振り回していた。あまりにも配慮が足りない様子にナユは切れたのだが、ミツルに『いつまでも辛気くさい顔をしてるな。筋肉が逃げるぞ』と言われ、立ち直った。
慰めの言葉もひどいが、それで立ち直るナユもどうかと思う。
まあ、そのミツルのひどい言葉はきっかけにすぎなかったのだが、忙しくしていたからなのか、悲しみはまだ残っていたけれど、それほど落ち込まなくなった。
それからナユはがむしゃらに働いた。
……といっても、正直なところ、インターの本部はこういってはなんだが、暇だった。
いや、インターが忙しいというのはあまり喜ばしいことではないから暇なのはいいのだが、それでも本部は暇だった。
では、なにが忙しかったのかというと、よく分からないうちにクラウディアの服を着せられて、ミツルとともにほぼ毎日、登城させられていて、暇なんだけれど忙しいという、よく分からない状況だった。
そして、約一月、ミツルに付き合って分かったことがあった。
ミツルは本気でインターの地位を向上させるために城の人たちに働きかけている。
どうやって知り合ったのか知らないが、かなり上の人たちと顔なじみであるようだった。まだナユは謁見してなかったが、ミツルは王とも面識があるというのだから意外だった。
城の人たちの反応はいろいろだった。
ミツルの姿が見えただけで悲鳴をあげて逃げる人がいることに驚きだったが、不快な表情を浮かべるもの、あからさまな侮蔑の視線を向けてくる者、ひどいと罵倒して来るものさえいた。そういう反応が大半だったことにナユは悲しく思ったが、好意的な人もいて、安堵した。
負の感情を持っている人たちに出会う度にナユは叫びたい衝動に何度も駆られた。
インターが悪いわけではない。むしろ彼らはこの国を守ってくれている。それなのにどうしてそんな態度を取るのかと。
だけど、そういう行動をとる人たちの気持ちも分からないでもない。
ナユもインターが苦手だった。いや、実は今も苦手ではある。
ナユはいい男と死を連想させるものが嫌いだ。いい男はナユを特別扱いしてくれないし、死ぬのは怖い。
とそこでナユはふと思った。
だれでも死ぬのは怖いと思っているだろうけど、どうしてこんなにも死に畏れを抱いているのだろうか。
母は約一年前に病でなくなった。そして父と兄三人もつい最近、殺されてしまった。
だけどそれまでは身内はだれも亡くなっていない。それなのにどうしてこんなにも怖いと思っているのだろうか。
死を恐怖するのは本能だというのは分かるけれど、ナユはもっと根深いところで怖がっているような気がしてきた。
その原因がなにかは分からないけれど、ナユはそのなにかが分からなくて、ぶるりと震えた。




