06
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ナユは自分の記憶のないままに部屋から出ていたことに気がついて、唖然としていた。しかもここがどこだかナユにはすぐには分からなかった。
ナユは朝ご飯を食べた後、部屋に戻った。
ミツルがナユの名前を呼んだことが気になっていたけれど、それよりも一晩経っても夢ではないことを知り、動揺していた。
父も双子の兄も死んでしまった。家族を一度に三人も亡くしてしまったことに、ナユはあまりの衝撃に泣くに泣けないでいた。
そして待機所を飛び出したまま帰ってこないバルドのことも気になった。
やはりここはミツルにお願いするしかないのだろうか。
そんなことを考えているうちに、ナユは眠くなってきた。寝たら駄目だと言い聞かすけれどあらがえなくて、ナユは寝てしまった。
そう、記憶は部屋で寝てしまったところで途切れていた。
それなのにどういうことか、ナユは待機所から出ていた。
でも、ここは待機所よりもすごく馴染みがある。ナユは辺りを見回して、ようやくここが壊された実家だと気がついた。
昨日から降っていた雨のせいでびしょ濡れだったけれど、ナユの見覚えのあるものばかりがそこにはあった。
ナユは身近にあったものを手に取り、眉尻を下げた。
半分に割れていたけれど、父のアヒムが愛用していた木の器だった。家が壊されたときに一緒に器まで壊れたようだ。
家や器のように、アヒム、カールとクルトの三人も元に戻らない。
そのことに気がついたナユは、鼻の奥がつんと痛んだ。
泣いたって仕方がないということを知っているけれど、悲しみは森に積もっている木の葉のようにナユの心に覆い被さってきて、重みが真実だと告げてきていた。
「お父さん……兄さん……」
目の前にはいないけれど──。
「……え」
そう、アヒム、カールとクルトは動く死体になって森を彷徨っているはずだったのに、悲しみに暮れているナユの目の前にやってきた。
一番前には父のアヒム。なぜか薄紫色の皮膚をしていた。その後ろには土色をしたカールとクルト。さらにその後ろに……。
「う……そ、だ」
ゆらゆらと揺れているのは、こちらはアヒムより濃い紫色をしたバルドだった。
「バルド兄さん……?」
朝起きて、バルドの姿を見かけなかったから気になっていたのだが、てっきり別の部屋で寝ているのかと思っていたのだ。
まさかよりによって長兄のバルドまで動く死体になってしまうとは思っていなかった。
「ねえ、嘘だって言って!」
ナユの言葉にしかし、だれも答えない。
そればかりかアヒムたちはゆらゆらと揺れながらナユに近づいてきているようだった。
「お父さん、兄さんたち!」
ナユは必死になって声を掛けたが、反応はなかった。
彼ら四人は動く死体になってしまった。
手には円匙が握られていて、その先には土が付いていた。彼らは死んだ後にあれに触れて動く死体になってしまったのだろうか。
ナユは近寄ってくる四人に、怖いけれど動けないでいた。
家族みんな、死んでしまった。
天涯孤独の身になってしまったナユは、それならば彼らに殺されてもいいかもと諦め、目を閉じた。
ふうっと意識が遠のいた。
痛みはないけれど、死んでしまったかもしれない。
ナユの最後の意識はそこまでだった。
*
少し時間は戻り、シエルがミツルの部屋から出ていってすぐのこと。
ユアンとミチ、ノアはどうやって事態をおさめるか悩んでいた。
「三体から四体になっていた?」
「ええ。ミツルは辛うじて四体から逃げてこられたようですよ」
「……相変わらずあの人は、こちらの気が休まらないことをしでかすわね」
ミチの苦言に、ユアンは苦笑いを浮かべた。
「無事だったからよかったけど、下手したら五体目の動く死体になっていたのかもしれないのよ?」
ミチの言葉にそれまで黙っていたノアが反論した。
「本部長ですから、そんな心配は無用ですよ!」
「あのね、これまでに動く死体が連携したなんて聞いたことないし、ましてや、円匙で掘って木を倒すなんて前代未聞よ!」
ミチの言うことはもっともであるが、ノアは聞いていない。
「それだけ家族の絆が強いってことですね。いいなあ、なんだか憧れます」
「…………」
インターは不幸にして家族に恵まれない者が多い。ここにいる三人は成長してからインターの力があると分かった者たちだ。だから中途半端に家族の温もりを知っている。
そして、インターだと分かった途端、三人とも問答無用で放逐されたのだ。
温もりと冷たさを身を持って知ってしまったのだ。
三人ともミツルと出会い、拾われた身だ。彼と出会っていなかったらきっと、野垂れ死んでいただろう。
だからミツルには頭が上がらない。特にノアはミツルのことを心酔していると言っていいだろう。
「その家族の絆を軽々と乗り越えるなんて、さすが本部長!」
ノアにそう言われて、ミチもほんの少しだけ溜飲が下がった。
ミチは裕福な家庭で幸せな少女時代を過ごしていた。しかも気心の知れた婚約者までいたのだ。
だけどそれは、インターの力があると発覚するまでの話だった。
ある日、ミチの身の上に不幸が起こった。なんと婚約者が視察先で亡くなったというのだ。
それまでミチの回りではだれ一人、亡くなったことがなかった。祖父母はまだ健在だったし、両親もそうだった。
だから初めての不幸にミチは目の前が真っ暗になった。しかもその初めての不幸は、ミチの婚約者。
ミチが連絡を受けたのは朝一番で、だから取るものもとりあえず、婚約者のところへと駆けつけた。
そしてそこで──ミチにインターとしての力があることが分かり……それからは思い出したくないほどのひどい仕打ちがあった。
愛する婚約者を亡くしたミチに追い打ちをかけたインターという力。
さらには家族と婚約者の親族におまえのせいで死んだと罪を擦り付けられ、身も心もずたぼろにされ、街から放り出されてしまった。
あまりの仕打ちにミチは怨嗟の言葉を吐きそうになったところに、ミツルが偶然、通りかかったのだ。
ミツルはミチの身になにが起こったのかすぐに分かったようで、保護してくれた。
それから鬱々としているミチの世話を焼くでもなく、なんとなくそばにいてくれた。
最初は慰めの言葉ひとつもかけてこないなんて、なんて優しくない人なのだろうと思ったけれど、徐々にそれはミツルなりの優しさであることを知った。
そして気がついたらミツルのことを好きになっていた。
ミチから告白して、彼女にして欲しいと願うと拒否はされなかった。
彼は自分の感情を表すのが下手な人なのだろうとミチは解釈した。ミチから甘えていけば、甘やかしてくれる。なにを言っても、なにをしても受け入れてくれる。
それが彼なりの優しさなのだと思っていたけれど、生活が安定してきて、インター本部を作り、ユアンとノアが加わり、余裕が出てくるとなにかが違うと思うようになってきた。
なにをしても受け入れてしまうミツルに、ミチは腹が立って──。
端から見なくても許し難い行為をミチは行ったのだが、ミツルは気がついていながら、咎めてこない。
彼にとってミチの存在とはなんだというのか。
ミツルは近寄れば受け入れてくれるのに、遠ざかっても追いかけてきてくれない。倫理的に赦されざることをしても、ミツルはなにも言わない。
そしてミチは気がついた。
この人はインターとしては尊敬できるけれど、人間としては欠陥なんだと。ミツルはミチに関心がない。人を殺すということ以外はきっと、この人はなにをしても怒らない。
そう思ったら悲しかったけれど、ミツルから離れることは出来なかった。でもこの人は淋しさを埋めてくれる人でもなかった。
その淋しさを一時のまやかしでも埋めてくれるのならそれでいいと、いけないと分かっていても、ミチはそれを止めることが出来ないでいた。
「ミチ?」
急に静かになったミチのことを不安に思ったユアンが声を掛けると、ミチはあからさまなほどびくりと身体を震わせた。
「どうかしましたか?」
「え……いいえ。ちょっと思い出していただけよ」
「家族のことをですか?」
ユアンの問いに、ミチは小さくうなずいた。
「家族の絆って、なにかしらね」
ミチの小さな呟きに、家族の絆を切られた三人は無言になった。




