06
シエルはソルに抱きついていた。
ミツルはソルの喉元から円匙を引き抜き、二人を見ていた。
碧い光は当たり前のようにシエルに吸い込まれていった。
「ソルの、馬鹿っ!」
声が震えているからシエルは泣いているかと思ったが、涙はない。
「シ……エ……ル」
喉を潰したため、上手く声が出ないけれどまだ動けるらしいソルはそんなシエルの頬に手を当てた。
狙う場所を失敗したかと思ったが、ソルの言葉はシエルには毒にしかならない。これでよかったと思うことにした。
「やっと、触れてくれた」
泣き笑いのような声に、本当にこの女神さまは……とミツルは呆れていた。
「ソル、好きだったよ。……でも、もうお別れね」
シエルの意外な言葉に、ミツルは見守ることにした。
最後の最後で甘いと言われるかもしれないが、この世界の最初からいたという女神さまにこの世界の命運を任せることにした。
といっても、間違った方向に向かおうとしたら、全力で止める気ではいたが。
「ソル、あたしを見つけてくれて、ありがとう。あたし、ずっと独りだったから、嬉しかったの。でもね、あたしはソルだけじゃあ淋しかったの」
それはずっとシエルが繰り返し口にしてきた言葉だった。
「ソルはあたしのこと好きだって言ってくれたけど、でも、一度も触れてくれなかった。あたしはただ、ソルの温もりを知りたかっただけなのに」
触れようとすると逃げるから、と。
シエルは消え入りそうな声で告げた。
「でも、ようやく触れてくれた」
そう言って、シエルはソルの手の上から手を重ねた。
「……冷たい」
冷たい?
「あたしが欲しいのは、温もりだったの! なのになぜ、あなたはこんなにも冷たいの?」
ソルが逃げたのは、自分の身体に温もりがないばかりか、冷たいことを知られたくなかったから?
「あたしは! 淋しさを埋めてくれれば誰でもよかったの。あなたでいけない理由はなかったの。……でも、あたしは馬鹿だから、淋しさを埋めるものが温もりだって知って、ソルがそれを満たしてくれるかもって。……触れて欲しくて、力をあげたのにっ!」
本当にシエルは馬鹿だと思う。
そんなの、一言で済むのに。
「シ……」
「あなたなんて、大っ嫌い! あたしの名前、呼ばないでっ!」
そういいながらもシエルはソルから離れようとしない。手も離さない。
「もう、いいの! だから、さようなら」
そう言うと、シエルは乱暴に頬に当てていたソルの手をつかんで引き剥がして、ポイッと投げた。
これは……酷い、とミツルでも思った。
ソルはなにかを告げようと口を動かしていたけれど、喉はその音を伝えてくれない。
シエルは見向きもしないでソルから離れて、ナユに抱きついていた。ナユも一連の話は見ていたようで、とても渋い顔をしていたから、心境は一緒なのだろう。
「じゃあ、最期の引導を渡してやるよ」
ソルの瞳には絶望の光が浮かんでいた。
それはそうだろう。あんなにも追い求めていたシエルに大っ嫌いなんて言われてしまったのだから。
それだけでも絶望なのに、追い打ちをかけるミツルの言葉。
「ここは冥府。試してないけどたぶん死体にはこの力は効かないだろうが、あんたには逆に有効、なんだろうな」
ソルがどこから来たのかは本人しか……いや、本人でさえ分からないかもしれないが、ミツルがこんなにも強いインターの力を授かったのは、この時、この瞬間のため、だったのかもしれない。
「偽女神さま──シエルの力を悪用したあんたから授かったこの力で身を滅ぼされるのって、どんな気持ちだ?」
ミツルはつい、ニヤニヤとしてしまう顔のまま、ソルに聞いた。
「あれは……どう見たって悪役顔」
「うん、ミツルだし? でも、そういうところも好き、なのよね-」
シエル、趣味が悪すぎるぞ! と内心で叫びつつ、ミツルは両手に力を込める。
いつもは片手だけなのに、両手に宿った金色の眩すぎる光に、ソルは目を見開いた。
「迷惑なんだよっ!」
ミツルは叫ぶと同時に、両手でソルの身体に触れた。
シエルが言ったようにソルの身体は冷たくて、生きているとは思えなかった。
こんな奴にこの国がめちゃくちゃにされていたと思ったら、激しく、それはもう激しく腹が立った。
「滅び去れっ!」
ミツルはありったけの力を、全力をソルの冷たい身体に叩きつけた。
目を開けていられないほどの光がソルを襲い、全身を包み込んだ。
ミツルは顔を背けて光から目をそらした。
その光は急激に収縮したかと思うと激しく瞬くと、弾けて消えた。
そして後にはなにも残っていなかった。
ミツルの手に感じていた冷たさも、消えた。
しばらくの間、ミツルはそのままの体勢でソルがいた場所を見つめていたが、急激に身体から力が抜けて、ガクリと地面にくずれおちた。
全力の力を一気に使った反動が出たようだ。
「ミツルっ!」
驚いたナユがミツルに駆け寄って、それから抱きついてきた。
「ミツル、死んだら駄目っ! 嫌よっ!」
ナユから抱きつかれるのなんて、初めてではないだろうかと思ったが、身体に力は入らないし、抗えないほどの眠気が襲ってきた。
まだ安堵するには早いからどうにか身体を起こさなければと焦るのだが、ミツルの意に反して、身体は強制的にミツルを休ませようとしている。
「ナユ」
「な、なに?」
「俺は、大丈夫、だ。ちょっとだけ……寝かせ、て」
それだけ伝えるので精一杯で、ミツルはそこでプツリと意識が切れた。
「……え、ミツルっ?」
焦ったのはナユだ。
目を閉じて、倒れた姿を見て、ヒヤリとしたが、触れている身体は暖かく、そして……。
「……息、してる、よね?」
口元に手を当てれば、スースーという寝息とともに、手に暖かな息がかかるのが分かった。
ホッとしていると、シエルがやってきた。
「ミツルなら、大丈夫だって。殺しても死なないから!」
本人が聞いていたら間違いなく突っ込む言葉に、ナユは、
「そうよね。あんな悪役顔できるんだもの」
「そうよ。さすが、ミツルよね!」
と、なにがさすがなのか分からないけど、ナユは曖昧にうなずいておいた。
「それよりもナユ!」
「な、なに?」
「そのままだと寝づらいだろうから、膝枕、してあげなさいよ」
「……な、なっ? なに言ってるのっ?」
「これはいい機会よっ!」
「……それなら、シエルがしてあげなよ」
「んー、あたしがやりたいところなんだけど! ほら、なんでここに来たんだっけ?」
「あ。力と身体を取り戻すため、だっけ?」
「そう! 力は戻ってきたから、ミツルが寝ている間に身体も取り戻す! そして、起きたらあたしの魅力でミツルをメロメロにするのよっ!」
じゃ! と言って、シエルは軽やかな足取りで祭壇へと向かっていた。
一人で行かせることにかなり不安を覚えたけど、ここで疲れて倒れているミツルを放置しておくことも出来ず。
ナユがとったのは、ミツルの側に残る、だった。
シエルは大丈夫だろうし、さすがに同じ過ちは繰り返さないだろうと信じることにした。
そして、ミツルの側に座ったのだが。
ミツルはスヤスヤと眠っているが、若干、寝苦しそうでもある。
今回の功労者はなんといってもミツルだ。ご褒美に膝枕をしてあげよう、なんて思って、ナユはミツルの頭をつかんで、膝の上に乗せた。
頭を掴んだとき、ミツルの髪の毛に触れたのだけど、見た目どおりに硬かった。
いつ起きるのか分からないけど、しばらく待つことにしよう。
そう思ったけれど、膝枕をしているので、ナユは動けない。
喋る相手がいればまだしも、シエルは不在だ。
待つだけ、となると、激しく暇だ。
だからナユはミツルをしばらく見ていた。
寝ていても顔が整ってるのが分かる見た目とか、灰色の髪の毛とか。
顔周りを見るのも飽きて、身体に視線を向けた。
服を着ていても筋肉がついているのが分かることや、身長が高いのもあり、足が長いことを知ったり。
そして、ナユはハッとした。
ミツルを観察して、どうするのか、と。
慌ててミツルから視線をそらし、上を見た。
「あっ!」
天井を見ると、不思議とそこには星空が広がっていた。
冥府にも朝、昼、夜の区別があるのかどうかは知らないけれど、思ったより美しくて、ナユは見蕩れていた。
そして、どれくらい経ったのか分からないけど、膝の上で動く気配がしてナユは驚いて視線を下に向けると……。
「……おはよう」
紫色の瞳と、視線が合った。
紫色の瞳を見て、ナユは母のことを思い出した。そういえば同じ色だ。
そして、ここは冥府。
みんな、ここに来ているはずだ。探し出すのは大変だけど、会えるものなら、最後に一度だけ、姿を見たい。
「ねぇ、ミツル」
ナユの声に、ミツルは「ん?」とだけ返事をした。
そして自分が今、ナユに膝枕をされていることに気がついて、かなり動揺していた。
あのナユが、膝枕をしてくれている……だと?
「ここにいるはずの母さんに会えないかな?」
「……あぁ」
ナユの質問に、ミツルは反射的に身体を起こしていた。起こしてから、ナユの膝枕をもっと堪能すればよかった! と思ったのも後の祭り。
どうやら思っている以上に動揺していたようだ。
しかしミツルは冷静さを装って、ナユの質問に答えた。
「なんなら、探すか?」
「──えっ?」
「ナユの気が済むのなら、探すぞ」
「え……あ、うん。さっ、さすがにインターでも、それは無理よね! だってここ、こんなにもいっぱい、死体があるもの!」
「んー。案外、簡単に見つかりそうなんだが。……ところで、ナユ。シエルは?」
「あ、え……っと」




