01
この場にミツルとデュランタ以外がいたのならば、だれかがツッコミを入れただろうが、不幸なことに眠り続けているナユと、固まっているシエルしかいなかった。
「それならば……今度こそあなたを殺せばいいんですね」
「黙って殺されるつもりもないし、死ぬ気もないっ!」
ここで死んだ場合もやはりダウディとかいう嫌な存在になるのだろうかとチラリと思ったが、ミツルはそもそも死ぬつもりはない。むしろ、逆に殺してやると殺意を抱いていた。
ミツルは円匙を握り直し、デュランタに振り下ろそうとして──妙な違和感を覚えて、止めた。それは、今までの戦いの中で培ってきた勘だった。
「なぜ振り下ろさないのですか」
「そんなの、俺の勝手だろう」
すんでのところで攻撃を止めたミツルに、デュランタは楽しそうに笑った。
「殺したいほど私のことが憎いのでしょう?」
「…………」
「ほら、私はここにいますよ」
そうやって誘ってくる様を見て、ミツルは目をつり上げ、デュランタを見た。これはどう考えても罠にしか思えない。
どうやって攻めればいいのか分からず、考えあぐねていると、デュランタの後ろに見えていたシエルが消えていることに気がついた。いつの間に消えたのだろうか。
いや、消えたのではない。
シエルはいつの間にかミツルの背後にいた。
ミツルはシエルの気配を背後で感じて、とっさに前にいるデュランタへ突進する勢いで飛んだ。
目の前にいたはずのデュランタが消え、背後にいたシエルの隣にデュランタがいた。
「さすが規格外。お見事」
デュランタは馬鹿にしたように手を叩きながら隣に浮かんでいるシエルを見た。ミツルもつられて見ると、シエルの手には透明な剣が握られていて、それは先ほどミツルが立っていた場所に振り下ろされていた。シエルの剣は床を切り裂いていた。いくらシエルの身体が透けているとはいえ、その手にしている剣は物理的に破壊するもののようだ。もしもミツルが避けていなければ、と思うとゾッとする。
「シエルっ!」
ミツルはシエルの名を呼んだが、反応がない。名前を呼んだだけで正気に戻るならば苦労はしない。それは分かっていたが、それでも思わず舌打ちをしてしまう。
狭い部屋の中、動き回るのも限界があるし、寝台にはナユが寝ている。
ナユもナユでこれだけ大暴れしているのにもかかわらず、起きる気配がない。いくらなんでもおかしすぎる。
まさか死んでいる? と思ったが、あの死体がそばにあるときの独特なざわつきがないから、生きているのだろう。
だが、この男のことだ、なにかやっているに違いない。
「ナユになにをした」
「あなたがなにを心配しているのかだいたい分かりますが、安心してください。ナユに死なれると困るのは私です。少し強めに眠りの魔法をかけただけですよ」
それにしても、起きないのはおかしい。
「ナユ、起きろっ!」
ミツルは大声でナユの名を呼んだが、ピクリともしない。
「くそっ」
このままここで戦っていては、いくらデュランタがナユを必要と言っても、巻き込んでしまう可能性が高い。
こいつは遠慮して戦って勝てる相手ではない。
今のミツルの全力で挑んだとしても、勝てるとは思えない。だけどミツルはなにがなんでも勝たなくてはならない。勝率がゼロパーセントでも、マイナスでも、勝たなければ最悪、世界が終わる。
いや、まさか──。
「おまえは、世界を終わらせたいのか?」
ミツルの問いに、デュランタは綺麗な顔を少しだけ歪めてミツルを見た。
その歪みは少しであるのにかかわらず、とても醜く、ミツルの顔が引きつった。美しいものの歪みは、よりひどく醜くなるということを知った瞬間だった。
「あなたが世界の終わりのきっかけになるのは気に食わないですけど」
ミツルとしては自分の存在がそこまで大きいとは思っていない。
ユアンが語ったように、インターが死ぬと、そこが冥府への入口になり、生きた人までも連れていくとなるのなら──インターとしての力が強いミツルが死ねば、とんでもないことになるのだろう。
だからといって、世界が終わるとは、思えない。
「虚言、妄言はそこまでにしてもらおう」
ミツルにはなにも策はなかったが、それでも白い円匙を構えた。あっさりとやられるほど諦めは良くないし、なによりも気に食わない。
たとえボロボロになってもナユは守る。
ついでに、そこにいるぽんこつ女神さまも救えたらいいな、という程度の認識はある。
「ったく、肝心の時に使えないな」
シエルに対して文句を口にしたとき、ふと昔、聞いたメロディを思い出した。
あれは確か──。
「そらをわりし──」
「っ! や、止めろっ!」
ここで初めて、デュランタが動揺した。
「めがみ──」
それから先が思い出せない。
それでも、思い出せただけ、充分か?
「止めろっ! それは!」
デュランタの反応を見る限り、この歌は有効のようだが、しかし、残念ながらミツルはここまでしか思い出せない。
しかし。
「空を割りし 女神 太陽と 月に──」
「シエル!」
今までいくら呼びかけても反応のなかったシエルの声──いや、歌声が聞こえてきた。
この澄んだ声はあの時に聞いたものと同じ。だけど、なにかが違う。
「繭の根 コクーン 幸は 群れる」
「止めろ、止めるんだ!」
デュランタは真っ青な顔をして、シエルを止めようとしているが、シエルは止まらない。目を閉じたまま歌い続ける。
「朧気な 皮膚 明日へ 燃えて 痩せぬ」
歌詞の意味はさっぱり分からないけれど、シエルが歌い終わった途端に、ようやくシエルがぼんやりと目を覚ましたようだ。
「……ミツル?」
「あぁ。やっと起きたか、寝ぼすけ」
シエルはふわりとミツルの肩に手をかけた。
「それで……?」
状況が分からないシエルはミツルに説明を求めようとしたが、しかし、デュランタがそうはさせてくれなかった。
「おまえら……っ!」
デュランタは顔を押さえて下を向いていた。肩がブルブルと震えている。
「よくも、よくも、よくも!」
デュランタの声が震え、どんどんと嗄れて来て、張りのあった皮膚も萎びてきた。
なぜ、先ほどの歌でそのような状態になるのか分からないミツルは、シエルを見上げた。
「今のはね、穹の民の断罪の歌よ」
「他にもあるのか?」
「んー、ないかなぁ」
とはいえ、デュランタが苦しんでいる。これはチャンスではないのではないか?
ミツルは円匙を構え直し、デュランタに向けた。
「覚悟は出来ているな」
ミツルはデュランタを赦すつもりも見逃すつもりもなかった。ここで逃せば今以上に大変になるのは間違いない。
罪を背負ってでも、デュランタを殺す。
そこまでの覚悟を背負い、ミツルはデュランタに円匙を向けたのだが。
「ミツル、駄目よ。あなたが背負うものではないわ」
そう言って、シエルがミツルの前に出た。
「そう……あなたの名前はデュランタっていうの」
「っ!」
「あなたは──人としてしてはいけないことをたくさんしてきたのね」
一歩、一歩とシエルはデュランタに歩み寄っていく。
「ち、近寄るなっ!」
「ナユは、あたしの大切な最後の子孫。返してもらうわ。でも、あなたは罪を犯しすぎた。要らないわ」
「ぐっ……」
シエルの一言に、デュランタが苦しみだした。
「あなたも不憫な子ね。ふふふ、死んで楽になるなんて、甘い考えよ。もっと苦しみなさい」
いつもは温厚なシエルの表情も雰囲気も、ミツルの知らない冷たい空気をまとっていて、口出しできないし、動けない。
「さようなら、デュランタ」
シエルは手を伸ばし、デュランタの胸の辺りに触れた。
デュランタはすっかりしわしわになり、見る影もない。
シエルのその一言で、デュランタはくずおれた。
「ぐ……っ、はっ!」
胸をかきむしり、苦悶の表情を浮かべるデュランタに、ミツルは見ていられなくて円匙を突き刺そうとしたのだが……。
「ミツル、止めなさい。あなたが罪を犯す必要はこれっぽっちもないわ。これは、あたしの罪。あたしが背負うべき、罰。あなたはやさしすぎるわ」
そう言われてしまえば、ミツルは見ていることしかできない。
シエルの罪で罰ならば、ミツルはそれを見届けなくてはならないのだろう。
デュランタは最後まで憎しみを込めた瞳でシエルとミツルを見ていたが、二人は目をそらさなかった。そらしたら負けだと思ったし、少しでもデュランタに良心の呵責というものを思い出して欲しかったのもある。
デュランタは目を見開いたまま息を引き取った。
その瞳は際限まで見開かれており、無念さを現していた。そして皮膚は見たことがないほど黒く染まっていた。
シエルはデュランタの顔の上にどこから出したのか分からないが、白い布を被せた。




