05
※死体が出てきます。
デュランタはまさかレクティナが浮島から落ちるとは思っていなかった。そもそもここは女神の罪を肩代わりした穹の民が住む場所で、罪を償わない限り、ここから出られないと言われていたのだ。
しかし実際は、罪を身に宿したレクティナは浮島から落ちてしまった。
レクティナはデュランタを恐れて逃げようとして浮島から落ちたのだが、そもそもの原因を作ったのは穹の民であり、すべては穹の民が悪いと自分のことは棚に上げ、責任転嫁をした。
それでも気が治まらないデュランタは地上にいる穹の民を探し出し、殺すことにした。
女神の罪がなんだというのだ、くそ食らえ、である。
そうしてデュランタは地上に降り、各地にいるという穹の民の末裔を殺して回った。
しかし、実際のところ、デュランタが殺した人たちは本当に穹の民の末裔だったのか。
もしもそうだったとしても、そんな理由で殺されるのは理不尽すぎる。
語られることのない創世記では、地上に降りたのは女神の血を引かない人たちだけとある。とはいえ、何事にも例外はあり、なんらかの事情で女神の血を引く者が地上に降りていた可能性はあるが、もう昔すぎて、それを証明する手段はない。
中には本当に女神の血脈の人もいたかもしれない。だが、ほとんどの人間が穹の民の末裔ではなく、ただのとばっちりとしか思えない。
いや、デュランタが殺した人がすべて穹の民の末裔だったとしても、殺していい理由にはならない。完璧な八つ当たりである。
そしていつしかデュランタは当初の目的を忘れ、殺すことに夢中になった。
デュランタはレクティナに手をかけた時点で壊れていたのだろう。
そして、デュランタはウィータ国を巡り歩き、なにかと理由をつけて人々を殺して回るうちに、レクティナが生きていて、さらに子どもを産んだことを知ることになる。
それは偶然であったが、その時、デュランタは信じてもいなかった女神は本当にいることを知った。これは女神のお導きで、女神はデュランタの今までの行為を罪とするばかりか、正当であると認めてくれた。だからご褒美としてレクティナの生存を知らせてくれた。そう考えた。
ひどいとしかいえない独りよがりの考えである。
だけどやはりここでも、だれもデュランタを正す者はいなかった。
だからますますデュランタは増長した。
とはいえ、デュランタにはレクティナが生きているということしか分からなかった。どこにいるのか分からなかったが、金髪碧眼の少女を探せば必ず見つかると信じて、探して回った。
そして、それはユアンに悲劇をもたらすわけだが……。
デュランタはレクティナを探しながら、片手間で人を殺した。
すでにデュランタは自分がなんのために人を殺しているのか分からなくなっていた。
*
ミツルは真っ白な世界をゆっくりと歩いていた。
これがどこまで続くのか分からないが、やはりここもあの山の中と同じく寒い。マントの前をしっかりと掴んで、できるだけ中に冷たい空気が入ってこないようにするのだが、それで防げるものではなく、寒さを我慢しながら進むしかない。
初めての場所で、しかも周りがまったく見えないのはとてつもなく不安になる。
とにかく前に進むしかないと歩いていると、唐突に壁にぶつかった。
確かに見通しの悪い場所ではあるが、さすがに壁があれば気がつきそうなのに、ぶつかった。
ミツルはイラッとしながら前を睨みつけたが、やはりそこは白い世界が広がっているだけ。
いや、よく見るとそこで白い世界が終わっているように見えた。
壁があると思われるところに身体を寄せると、そこには透明な壁が存在しているようだった。マントから手を離すと寒いが、仕方がない。ミツルは手を離し、透明な壁に触れてみた。
それは冷たくも硬質な手触りだったが、ツルリとしていた。
これはなんだろうと思いながら、それがどこまで続くのか確かめることにした。ミツルは右手で壁に触れながら、伝い歩く。それは緩やかに湾曲しているようだった。
どこまで続くのか分からないし、このままたどっていってもいいのだろうかと思っていると、その壁は急に途切れた。
ミツルは壁の縁に手をかけて、ゆっくりと切れ目に身体を入れた。
*
デュランタはいつまでも目覚めないナユにさすがに痺れを切らした。このまま起きるのを待っていられない。とはいえ、どうすれば起きるのか。いや、別に起きるのを待つ必要はないのではないか。
そう、デュランタはナユの身体さえあればよかったのだから。
デュランタはナユが自分の娘であるということを確信していた。
そのうえでデュランタはナユを伴侶として、この浮島に新たな女神に連なる血脈の始祖として君臨することに決めていた。
本当ならばデュランタの伴侶はレクティナが良かったのだが、レクティナは死んでしまった。そしてデュランタが浮島に住む穹の民すべてを殺していた。
デュランタはそのことに関してまったく後悔していなかった。むしろ、今からやろうと思っている計画の妨げになる存在であるから、邪魔者を始末できてよかったと思っていた。
それにデュランタは穹の民の血を引いていればだれでもと思ったわけではない。レクティナでなければ嫌だったのだがそれはもう、叶わない。それならばレクティナの子であるナユでよい。
そして、ナユが起きていようが起きていなかろうが、ナユの身体さえあれば、デュランタの計画はなし得る。
いや、むしろ寝ていれば抵抗がない分、楽である。
そんな恐ろしい計画が進行しているのを知るのは、デュランタ以外、だれもいない。
いや、シエルは気がついていた。そしてそれを阻止するためにこの浮島に来ていたのだが、シエルは──。
*
シエルは浮島に着き、デュランタの目的というか計画を察して止めるために足を踏み出した。
とそこで地面がグニャリと歪み、身体の均衡を崩して地面に倒れた。
どうして? と思っていると、シエルの目の前に茶色と言っていいのか分からない、干からびたなにかが目に入った。
シエルは最初、それがなにか分からなかった。
それがなにか認識しようと視線をたどり……そしてそれがなにか分かった。
それは、すっかり干からびた死体だった。
シエルは永い時を生きてきたのもあり、なにも死体を見るのが初めてではない。だけどこんなに干からびた死体を見るのは初めてで、そしてそれに対してどういう感情を持てばよいのか分からなかった。
だけどそれに対して、怖い、という思いはなかった。
シエルはそれはもう、気が遠くなるほど永い時を生きてきた。
シエルという存在には死はなかった。いや、正確に言えば、シエルにも最期は訪れる。しかしそれは同時に世界の終わりを意味していた。
シエルという存在は、世界の要であり、世界そのものである、ともいえた。
それをこの女神が自覚していたかどうかは分からない。
けれどシエルはこの世界が出来たと同時に存在していて、いや、むしろシエルがいたからこそこの世界が出来て──。
それはシエルを創り出したと言われる存在が意図していたことなのか、偶発的なものだったのか。
もうそれも分からなかった。
この世界はすでにそんな存在さえ無意味なほど成長していて、介入を許さないほど大きくなっていたのだから。
とはいえ、シエルがこの世界の要であるのは揺るがない、変えられない事実であった。
とはいえ、シエルに出来ることは限られていた。
それは地に力を渡す前からであったが、今はもっと出来ることは少なかった。
今のシエルはやらなければならないことがあった。
それはあの得体の知れない男からナユを取り戻し、ミツルに渡すことだ。
それをするには、シエルは立ち上がらないとならない。
シエルの身体は地面に倒れている。そしてその地面はウィータ国にいたときにはあり得ない、むき出しの土の上。
それなのに目の前の死体は死体のままで、そして干からびているということは、死んでからずっとこのままの状態だったと推測される。
その意味するところは?
この浮島には地の女神の力が及んでいない、ということだ。
浮島が出来た経緯を思えばそれは納得だが、地上と分断されたここは完全に別世界ということか。
シエルは目の前にある死体を見ながら地面に手をかけて、立ち上がった。
そして気がついた。
ナユの中にずっといたせいで忘れていたが、シエルは重力に縛られる存在ではないのだ。なにも律儀に地面の上に立って歩かなくてもよかったのだ。
シエルはフワリと浮かび、それから地面を見た。
やはりそこには干からびた死体があって、周りを見渡せば、同じような死体がゴロゴロと転がっていた。
それはラウラの記憶を覗いたときと同じで、シエルはその意味することにようやく気がついて、あまりの出来事に青ざめた。




