04
ミツルの乗った箱は勢いよく上昇していたが、ガクンと止まった。止まった瞬間、ミツルの身体も揺れたけど、それだけだった。
どうやら着いたらしいというのは分かったが、果たしてそこは浮島なのか、突然出ても大丈夫なのだろうか。
そんなことが頭によぎったが、ミツルは覚悟を決めて、箱の外に出ることにした。
荷物を確認して、ミツルは恐る恐る、箱の外をうかがうように首を出したが、ここも残念ながら白一色の世界だった。
またここを通って行くのかと思うとげんなりしたが、ミツルにはそれ以外の選択肢はない。
箱の入口から、冷たい空気が入り込んでくる。どれだけ高いところにいるのか分からないけれど、気のせいか、少しだけ息苦しいような気もする。
そんなことを思いながら、ミツルは金色の箱の中から足元に注意しながら外に出た。
*
行方の分からなくなっていたナユだが、予想どおり、鈍色の男が連れていた。
城下町でミツルと一緒にいたナユを攫った、まではよかった。
攫うとき、暴れたり騒がれると厄介だからと眠りの魔法をかけた。目的地の浮島に着くまで起きられて逃げられるのは嫌だったので、少し強めにかけたかもしれない。のだが、効き過ぎたのか、はたまた他の理由があるからなのか、ナユは一向に起きる気配がない。
目的地の浮島に着き、ナユを寝台に降ろして肩を揺さぶったのだが、身じろぎさえしない。
まさか死んだのか? とギョッとして口元に手を当てると、きちんと息はしている。
ホッとしたが、それにしても起きないのはどういうことだろうか。
疲れているのか? と思い、半日ほど放置してみた。
普通ならば、いくら強い睡眠の魔法を掛けたと言っても、せいぜいが一日くらいで目を覚ます。それなのにナユは起きない。
もう半日おいても一緒だった。
ユサユサと強く身体を揺すっても起きる気配はなく、頬を叩いても起きない。
これはさすがにおかしい。
だけどどうすればいいのか分からない。
前にナユを攫ったときも、眠りの魔法を掛けた。その時は気にしていなかったが、あの時もいつまで経っても起きなかった。
だが、あの若いインターにナユを不本意ながら渡して、ナユは目覚めた。
もしやあの男がなにかしたのか? と考えたが、インターは地の女神の力を授かって産まれてくるため、魔法は使えない。
もしも使えたとしても、眠りからいつまでも覚めない呪いのような魔法など、どうしてかける必要がある?
「……呪い?」
とそこで、鈍色の男はふと呟いた。
もしも眠りの魔法に反応する呪いがあるのなら──。
いや、と鈍色の男は頭を振った。
まさか彼女がこうなることを予想して、ナユに掛けたとは思えない。
それに彼女は、祈りを捧げることしか出来なかったのだから。
*
ナユの母であるレクティナ──アヒムに保護されてラウラと呼ばれていたが、本来の名はレクティナ──は、この浮島の聖女だった。金色の髪に碧い瞳を持つ、美しい女性だ。
この浮島に住む穹の民は、生涯のうちに必ず一人は子どもを産まなくてはならないという不文律があった。
しかし、聖女に選ばれた女性は、生涯、結婚することなく、子を産むこともなく、穹の民のためだけに祈りを捧げる存在だった。
そして、鈍色の男──名をデュランタという──は、聖女の身の回りを世話する神官だった。穹の民には珍しい鈍色の髪に碧い瞳をしていた。穹の民はみな美しい見た目をしていたが、デュランタは群を抜いて美しかった。
本来ならば、女性であるレクティナの身の回りの世話は同性がするべきだったのだろうが、適任者がいなかったのだ。デュランタは魔法に長けていて、もともと神官だったのもあり、選ばれたのだ。
そして神官もまた、女神に身を捧げた存在として、結婚も子を作ることも許されていなかった。
レクティナはだれにも優しく、穹の民の憧れで、まさしく聖女にふさわしい女性だった。
そのレクティナの身の回りのお世話が出来ることにデュランタは誇りに思ったし、喜びでもあった。
レクティナが聖女になったのは十歳。デュランタは二十歳。
デュランタは妹のような気持ちでレクティナの世話をしていた。
レクティナの両親はまだ健在で、レクティナが聖女になった歳に、妹ができた。
レクティナは聖女になったために子を産むことが出来ない。きょうだいがいなかったレクティナはそのことをとても気にしていたが、妹ができたと知り、安堵した。
憂いがなくなったからか、レクティナは睡眠と食事以外の時間はずっと祈りを捧げていた。そのせいなのかどうかは分からないが、穹の民は浮島という閉鎖空間にもかかわらず、今までにないほど安定して暮らしていた。
だけど、いつからだろう。デュランタの中に昏い想いが芽生えてきたのは。
それでもデュランタはその想いから目をそらし、レクティナにひたすら尽くした。そうすれば、いつかはこの昏い気持ちがなくなると信じて。
レクティナはデュランタの献身的な様子にいつも恐縮していた。
そして、レクティナが十八歳、デュランタが二十八歳になった時、二人の関係が崩れた。
それまでの二人の関係は、綱渡りのような危うい状態ではあった。それでもまだ保たれていたのは、デュランタの中にあった昏い想いに目をそらし、蓋をして、なかったこととしていたからだ。
もしもだれかがデュランタの昏い想いに気がついていれば、避けられた出来事であったかもしれない。
だけどだれもデュランタの昏い想いに気がつかなかったし、人々はレクティナしか見ていなかった。
デュランタは生涯をかけて祈りを捧げる聖女レクティナに仕え、支えていくのが当たり前だと思われていた。それが穹の民の義務で、女神の血脈を守っていくために必要なものだと、だれもが思っていた。だからデュランタのことは軽んじられていた。
その当たり前にデュランタが疑問を抱き、そして目をそらし続けていた昏い想いに目を向けてしまったばかりに、悲劇は起きた。
レクティナはデュランタの中にある昏い想いに気がついていたのかもしれない。だからこそデュランタがレクティナに献身的であればあるほど息苦しくなり、想われれば想われるほどレクティナは返すことが出来ず、それから逃れたくて祈りを捧げ続けていた。
本来ならば女神に向けられる想いがレクティナに向かっていて、いつか女神から怒りを買うかもしれないと、デュランタの想いが怖かった。
ここは女神の罪を変わりに背負った人たちが住む浮島。穹の民は浮島から出られない。逃げたくても逃げられない。
レクティナは一刻も早く罪が赦されるように、デュランタから逃げられるように、女神の怒りを買わないように、強く深く祈った。
だけどそれは──あっけなくデュランタによって、壊された。
レクティナはデュランタによって、穢されたのだ。
レクティナはあまりの出来事に心が壊れ、祈りを捧げることが出来なくなった。それでもデュランタは何事もなかったかのようにレクティナを献身的に世話をした。
そしてレクティナはデュランタの子を宿してしまったことに気がついた。
レクティナは恐ろしかった。
女神に身を捧げた男の心を奪ったばかりか、その男の子を宿してしまったことに。
聖女でなくなってしまったことよりも、女神から男を奪ってしまったことが恐ろしかった。
だからレクティナは必死になって隠した。デュランタにもバレないように、必死だった。
しかしそれはいつまでも隠し通せるものでもなく。
そして運悪く、デュランタがたまたまいなかった時に、レクティナの身に起こったことが白日にさらされてしまう。
穹の民たちは怒り狂い、レクティナから聖女の称号を取り上げ、罪人とした。その時にレクティナは罪の色である紫を瞳に宿した。それからレクティナは、穹の民たちからむちゃくちゃにされた。
デュランタがそれを知った時にはすでに遅く、レクティナを残して穹の民を一人残らず殺した。
レクティナはデュランタのやったことを知り、この恐ろしい男から逃げようとして浮島から落ちてしまった。




