8話 宿舎
騎士団の宿舎へと急ぎ足で向かう。宿舎は城とは別棟になっており、城の裏にあたる北の一画に団ごとに建てられている。鍛練場と馬と翼竜の厩舎もあり、騎士団が使用している敷地はかなり広い。
「おはようございます。急ぎダレス様にお目通り願いたいのですが、まだこちらにいらっしゃいますでしょうか」
一番右の棟の前に立つ騎士に声をかける。
宿舎の前で番をするのは、その年に新しく騎士になった者と決められていた。地味で退屈な任務だが、さぼればすぐに先輩騎士にばれて厳しい仕置きを受ける、忍耐を鍛えるために作られたと言っても過言ではない役目。
夜番だった同期の騎士と交代したばかりの、まだ幼さの残る少年と言ってもいい彼も、今日もまた退屈な一日が始まると思っていた……ライカが現れるまでは。
ライカのことを知らない騎士はいない。彼らが忠誠を誓う『戦の護』であるフェリシアの傍に控えているのを目にすることがあるからだ。
輝く太陽のような金の髪をしたフェリシアと相反するような銀の髪を持つライカ。冬の澄みきった空に浮かぶ美しい月を思わせる彼女のことが気になっている騎士は大勢いる。
話す機会など皆無に等しいにも拘わらず、だ。遠くから見るだけで満足らしい。
ライカに話しかけられた新米騎士も、入団式のときに彼女に目を奪われた一人だった。フェリシアも世の中にこんなに美しい人がいるのかと思うほど綺麗だったが、彼女は忠誠を誓う『戦の護』であり雲の上の存在。
身分も違いすぎるし、そもそもフェリシアは婚姻できない。恋愛対象にはなり得ないのだ。
その点ライカは王族でも貴族でもない侍女で、当然結婚も出来る。本人にその気があるかどうかは別問題だが。
そのような理由からライカを慕う騎士は多かった。
もちろんマールに好意を寄せる者も少なからずいる。
「おっおっおはようごっございますっ! だ、団長はまっまだ出て来られていませんっ!」
まさか話す機会が訪れるとは思いもしなかった新米の騎士は、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせ挙動不審な振る舞いをしてから、ようやく声を声として発した。
「そうですか、ありがとうございます」
舞い上がって裏返っている新米騎士の声にも全く表情を変えることなく、ライカは一礼して彼の横を通り過ぎ、宿舎の扉を開けて中に入った。
「おっ、お気をつけて!」
ライカの背中に向かって騎士は叫んだ。そしてすぐに後悔した。
何故“気をつけて”などと口走ったのだろう。宿舎の中に彼女が気をつけねばならないものなどないのに。だが、彼の後悔はすぐに空の彼方へと吹っ飛ぶことになった。
扉が閉まる直前、ライカが振り返って微笑んだように見えたからだ。実際には微笑んだわけではなく、ただ軽く頭を下げただけだったのだが、新米騎士は狂喜乱舞した。
そして、ライカと会話しているところを目撃していた、少し離れたところにある第二騎士団の宿舎の番をしていた騎士、さらに離れたところにある第一騎士団の宿舎の番をしていた騎士から、さんざん羨ましがられ、彼の幸せは絶頂期となった。
この五日後、話を耳にしたダレスによって満身創痍になるまでしごかれることを、彼はまだ知らない。
階段を上り、二階の一番奥にあるダレスの部屋に向かう。城の中にある執務室に行くことはあっても、宿舎にある私室を訪れるのは初めてだった。
すれ違う騎士たちが皆ぎょっとしながら廊下の端にどいていく。その後、彼らはぼうっとした表情になりながらライカの後ろ姿を見つめていた。
中には上半身裸で歩いている騎士もいて、彼はライカの姿を見たとたんもの凄い勢いで彼女の視界から消えていった。
ダレスの部屋の前に着いたライカは、扉を軽く叩いた。すぐに誰何の声が返ってくる。
「誰だ」
「朝早くから申し訳ございません、ライカでございます。姫様より火急の言伝を預かって参りました」
「……少し待ってくれ」
しばらくの沈黙ののち、少し慌てたような声が聞こえてきた。
滅多なことで動じないダレスも、まさかライカが自分の部屋に来るとは思わず、一瞬自分の耳を疑った。夢かと思ったが、すぐに我に返り光速で身支度を整える。部屋を見回して問題がないかを確認してから、ライカを中へ招き入れた。
「失礼致します。本来であれば執務室でご報告するべきなのですが、非礼をお許しくださいませ」
ダレスが扉を閉めるやいなや、ライカは深く頭を垂れた。
「構わん、急ぎの用なのだろう」
鋭い眼に怜悧な顔立ち。無表情で感情の籠もらない低い声。空から槍が降ってきても動じないと騎士の間で噂される第三騎士団長。
そんなダレスだが、ライカと二人きりという、この今の状況に少なからず緊張していた。顔にも声にも全く出ていなかったが。
「はい、ヴァイザ伯爵を捕らえるようにと。姫様からの命でございます」
「理由は?」
「国境沿いの町ファラムルに住む、バルドゥクからの難民の虐殺計画。向こうの貴族との文を屋敷にて発見致しました」
ダレスの緊張に気付かないライカは、淡々と質問に答える。
「わかった、今日中に捕らえるとフェリシア様に伝えてくれ」
小さくダレスは頷いた。ライカのことは誰よりも信用している。彼女が黒だと言えば間違いなく黒なのだ。
「畏まりました。では、失礼致します」
一礼をして踵を返すと、ライカは扉を開けてダレスの部屋を後にした。
宿舎を出てフェリシアの部屋に向かいながら眉をひそめる。
これだけでは終わらないような、さらなる事件が起きるような、そんな予感がした。外れてくれればいいと思いながらも、きっと現実になるだろうと確信に近いものがライカの中にはあった。