7話 侵入
銀の髪を黒く染め上げ、侍女の服から男性用の黒いシャツとズボンに着替える。髪を一つに纏めて己の姿を鏡に映し問題がないことを確認していから、ライカは静かに部屋を出た。遠くで夜二の刻を告げる鐘が鳴っている。
限られた人間しか知ることのない隠し通路を通り、城から出る。外では翼竜に乗った第二騎士が上空から監視していたりもするが、ライカにとっては大した問題ではない。跳ぶように移動し、すんなりと城門の外に移動した。
(ヴァイザ伯爵家は、貴族区画の南東でしたね。紋章は伯爵家の証である三日月、それに火蜥蜴が加えられたもの)
人気のない通りを駆けながら、頭の中で先ほど城を出る前に読んだヴァイザ伯爵に関する資料を思い出す。
貴族の紋章には爵位によって決められたものが一つ、必ず入れられている。公爵は満月、侯爵は太陽、伯爵は三日月、子爵は星、男爵は金貨がそれに該当する。紋章を見ればその家の爵位が一目で分かるようにと、時の王が定めたらしい。それ以外は家によって異なり、ヴァイザ家の場合は火を吹く赤い蜥蜴だった。
(武器を集めるなど……戦でも起こすつもりなのでしょうか)
この王都に住む貴族は多い。公爵や侯爵など高位の貴族であれば、顔や名前も把握しているが、ヴァイザ伯爵家のことをライカはほとんど知らなかった。唯一知っていることといえば、隣国バルドゥクに令嬢が嫁いでいることぐらいだ。
(バルドゥクは最近内政が不安定になってきているとか。国境近くの町にバルドゥクからの難民が流れてきているとの話も聞きますし。その辺りと何か関係があるとすれば……)
考えを巡らしながらも、駆ける速度は落ちない。四半刻もかからずに貴族区画に着いたライカは、各々の屋敷の門に掲げられている紋章を見て回った。そしてヴァイザ伯爵の屋敷を見つけ出すと素早く侵入する。門の前に二人、さらに庭でも数人の私兵が見張りをしていたが、彼らがライカの存在に気付くことはなかった。
「兵がいるのは問題ないのですが……さて」
ヴァイザ家の庭にある木の上で小さく首を傾げて呟いた。ライカがすべきことは武器の保管場所を見つけ出し、その用途を探ること。となると、誰かの話を盗み聞きするか何かの書類を盗み見るのが妥当だろう。ライカはとりあえず伯爵の私室を目指すべく、木から二階のバルコニーに跳び移り、屋敷の中に滑るように入った。
「なあ、あの噂本当なのか?」
「ああ、どうやら本当らしいぜ。最近大量に武器を買い込んでいらっしゃるしな」
「ってことは俺たちも?」
「だろうな。まあ俺は金さえ貰えりゃ何だってするさ」
「しかし――を――など、やりすぎだと思わないか」
「何か考えがあるんだろ。俺たちには理解の及ばないような、な。それよりこないだ入った新入りがよ……」
私兵二人が廊下を見回りをしながら交わしていた会話。偶然それを聞いたライカは微かに顔を顰めた。今の話が本当だとするならば、ヴァイザ伯爵は間違いなく黒だ。必要な証拠を集めて騎士に捕らえてもらわなければならない。ふっと息を吐いて意識を集中させると、ライカは音もなく部屋から出た。
「なんですって!? それは本当なの!」
翌日の朝二の刻、清々しい朝日が差し込む部屋の中にフェリシアの声が響き渡る。窓辺で羽を休めていた数羽の鳥が、驚いて飛び去っていった。
「はい、間違いございません」
昨夜伯爵家で見聞きした全てを報告したライカは、深く頭を垂れた。マールはライカの言葉に大きな眼をさらに大きくして驚きながらも、口を挟むことなくフェリシアの長い黄金の髪を梳いている。
「理由は? 理由は何なの?」
「バルドゥクでの地位……この件が上手くいけばバルドゥクで確固たる地位を用意すると、ヴァイザ伯爵の私室に隠されていた書簡に記されておりました」
「そんな……そんなことのために! 到底許せることではないわ!」
フェリシアが手のひらに爪をくい込ませるほど強く拳を握りしめて叫ぶ。彼女が美しい眉を吊り上げて怒るのももっともだった。
何故なら、ヴァイザ伯爵が武器を集めていたのは、国境沿いの町に避難しているバルドゥクの難民を虐殺するためだったのだ。国境沿いにある町は二つ。北にあるファラムルと南にあるダクバ。詳しい理由までは分からなかったが、どうやらヴァイザ伯爵にこの話を持ちかけたバルドゥクの貴族は、ファラムルに避難しているバルドゥクの民をどうしても始末したいらしい。そこで野盗に見せかけて殺すようにと、ライカの見た書簡には書かれていた。
「野盗がヴァイザ伯の私兵だと気付かれれば、間違いなくバルドゥクは報復に出てくる。そうなれば最悪の場合、国同士の戦いになってしまうことだってあり得るのに。何て浅はかなことを! ライカ、すぐにダレス団長の許へ行ってちょうだい」
「畏まりました」
フェリシアの命にもう一度頭を垂れると、ライカは部屋を後にしてダレスの許へと急いだ。