34話 収束
「フレイエ団長代理。バルドゥクからの報告はまだないのですか」
「はっ、はい! 姫鳥は到着しておりません!」
ローディス王城、騎士の間。
壇上の椅子に腰かけているフェリシアは、落ち着きなく肘掛を指で叩きながら、本日五度目の台詞を口にした。
今日は戴冠式の日で、昼三の刻を告げる鐘がつい先ほど鳴ったところ。であるのに、バルドゥクにいる第三騎士からの報告が来ない。朝早くに執り行われる式が終わってすぐに姫鳥を飛ばせば、一刻前には到着しているはずなのに。
何かが起きたとしか考えられない。一昨日には国境付近にバルドゥク兵が集結しているとの報告を受けている。戦が起こらぬように動いている父レヴァイアやライカを信用してはいるが、万が一ということもある。
ローディスを護る『戦の護』として、民に犠牲を出すわけには絶対にいかない。攻め入ってくるというのであれば、全力で迎え撃つ。そのとき先陣で指揮を執るのは、他でもない、フェリシアだ。
「フェリシア様、すでに国境の各所には兵士を率いた第二騎士と第三騎士が配置についております。もし仮にバルドゥクが攻めてきたとしても、必ず彼らが防ぎきるでしょう」
類まれな美貌の持ち主、第二騎士団長リオン・グレアスが頭を垂れてフェリシアに進言する。それに同意するように、第三騎士副団長で今は団長代理のリューグ・フレイエは、緊張した面持ちで頷いた。
団長と違って副団長はフェリシアと接見する機会がそう多くはない。滅多に会わない敬愛する『戦の護』を前にして、さらに彼女から厳しい眼を向けられて、フレイエの心臓は破裂寸前だった。
「それは分かっています。私は、私に忠誠を誓ってくれている騎士の方々の力を信じていますから」
グレアスとフレイエの顔を見てフェリシアは言う。
「……ダレスからの報告がないまま、何の前触れもなしに戦が始まってしまえば、ここで開戦の知らせを受けることになる。それを案じておられるのですね」
「そう、私には『戦の護』としての責務、責任があります。本当なら今すぐ城を発ちたいのに」
大抵の場合、国同士の戦が始まる前にはまず相手国から宣戦布告がなされるため、開戦時に『戦の護』が先陣にいることは容易い。しかし、今回のように“戦が始まるかもしれない”というような不確かな情報だけでは、王城から出ることは出来なかった。何故なら、フェリシアが国境に姿を現せば、ローディスに戦いの意思ありとみなされてしまう。『戦の護』は良くも悪くも戦の象徴なのだ。
「ご報告申し上げます! ダレス団長の文を携えた姫鳥が到着致しました!」
扉が叩かれ、外からフェリシアの待ち望んだ声がする。
「本当ですか! フレイエ団長代理!」
「はっ!」
フレイエは足早に移動し、廊下に続く扉を開けて外にいた第三騎士から小さく折りたたまれた紙を受け取ると、書かれていた文章に素早く眼を通した。
「これは――貴方は隣に控えていて下さい」
「はっ、失礼いたします!」
騎士を下がらせた団長代理は、フェリシアの前に戻り胸に拳を当てて姿勢を正す。
「申し上げます。ダレス団長の文には“前王の弟ヒュザード、宰相クルツが死亡。バルディオ新王に戦の意思なし”と書かれておりました」
「……それだけ、ですか?」
短すぎる文章に、フェリシアが気の抜けた声で訊ねる。緊迫していた空気がどこかへ飛んでいってしまった。
「は、はい、そうです!」
自分が何かをしたわけでもないのに、まるで責められているかのように顔を青くするフレイエ。
「ダレスには一度、説教をしないといけませんね。いくら要点だけ書くにしても、これはひどすぎます」
整った眉を顰めてグレアスが嘆息する。戦が回避されたと分かったからか、幾分口調が和らいでいる。
戦になればグレアスもフレイエも、率先して戦いに身を投じるだろう。容赦なく敵を倒し、自国を勝利に導く。それが騎士だ。だが、好んで戦をしたいわけではない。平和であるに越したことはないのだ。
「そうですね、戻ってきたら注意しましょう。グレアス団長、お願いできますか」
「喜んでお受けいたします」
フェリシアに笑みを向けられたグレアスは、それ以上の笑みを彼女に返す。第二騎士団長の神々しいまでの微笑みを横目で見たフレイエは、背中に冷たいものが走るのを感じた。
「では、フレイエ副団長、国境にいる騎士を撤退させて下さい」
「畏まりました。失礼致します!」
踵を鳴らして敬礼したフレイエが戦の間から去っていく。
「私も第二騎士に引き上げ命令を出して参ります」
「お願いします。マール、入りなさい」
一礼するグレアスに頷きながら、フェリシアは戦の間と繋がっている小部屋に控えさせていたマールを呼んだ。すぐに笑顔の可愛い侍女が入ってくる。
「はい、姫様」
「第一騎士副団長を呼んできて下さい」
海で警戒態勢をとっている第一騎士にも警戒を解除するよう伝えなくてはならない。団長のヴォードが城にいれば呼ぶのだが、あいにく彼は不在だった。彼はフェリシアへの報告を副団長に押し付けて、海へと出ていった。三人の団長の中でヴォードは一番好戦的なのだ。
「畏まりましたー。すぐに連れて参りますー」
マールは駆け足で出ていく。
誰もいなくなった戦の間で、フェリシアは、ふぅ、と息を吐いた。安堵の溜息だった。




