30話 終わりをもたらす者
「いやぁ、驚いた驚いた。本当は俺がその役をやるつもりだったんだけどねぇ。まさか同じ考えの人間がいるとは思わなかったわ。ま、ここに入れれば何でもよかったんだけど」
「お前はローディスにいるはずであろう! い、いつの間に戻ったのだ!」
ライカの隣まで来たディーに怯みながらも、ヒュザードが叫ぶ。しかし、ディーはそちらを見向きもせずにライカに話しかけ続けた。
「危険を冒した理由がこのじいさんに興味があったからって、本当にそれだけ? 他にもあるんじゃないの?」
「よくお分かりになられましたわね。確かに他にもありますわ。何かは教えられませんけれども」
ディーの登場に内心驚きつつ、ライカは彼に妖艶な笑みを向ける。
「あらら、それは残念。でも、秘密めいた女性は嫌いじゃないのよね。名を訊いてもいいかい? ああ、俺の名前は、って前に自己紹介したよね」
にやりと笑う王子。金色の瞳がお前が誰なのかは分かっていると告げていた。だが名前を訊いてくるということは、ライカの正体を暴くつもりはないのだろう。本当に変わった男だ。緊迫した場だというのに、思わず緊張が緩みそうになる。
「いいえ、聞いていませんわ。でも存じています、バルディオ王子様。私のことはライラとお呼び下さいな」
踊り子らしく片足を後ろに下げ、ライカは優雅に一礼する。
「そっか、俺の勘違いだったみたいね、ライラちゃん」
予想通りディーはあっさりと納得して見せた。
「貴様ら! いい加減にするのだ! 余を愚弄することは許さんぞ!」
ディーに無視されたヒュザードが顔を真っ赤にして喚き出す。その姿にはもはや威厳というものが感じられず、国を治めるに相応しい人間には見えなかった。この老人が一瞬でも王になれたのは、王子がなろうとしなかったからに過ぎない。セアルグの入れ知恵がなければ、夢は夢のままで終わっていただろう。
いや、彼にとっては叶わない夢であった方が幸せだったかもしれない。夢の終わりには破滅が待っていたのだから。
「まだいたの叔父上。さっさと“黒き追憶の剣”を置いて捕まってくれない? おーい、叔父上と宰相を縛っちゃって」
ようやくヒュザードに眼を向けたディーは、ひらひらと手を振って味方の兵士に合図を出した。彼らは剣を抜き、偽りの王を捕らえようと動き始める。一方のライカに剣を向けていた兵士たちは、誰の命を訊くべきなのか迷う素振りを見せながらも、結局はヒュザードを守るようにディー側の兵士たちの前に立ち塞がった。
兵士同士の相対を三国の王はただ黙って見守る。
「ふざけるでないわ! セアルグ! どこにいるセアルグ! すぐに来い!」
追い詰められたヒュザードは“黒き追憶の剣”を振り回し、しわがれた声を張り上げて叫んだ。すると、どこからともなく全身を黒衣で覆った人物がヒュザードのすぐ傍に現れ、三度聖宣の間が騒然となる。
ライカの身体を緊張が駆け巡る。顔は見えなくとも分かった。間違いなく黒衣の男がセアルグだと。微笑みを浮かべたまま、暗器を取り出しいつでも動けるよう神経を集中させる。
「お呼びですか、ヒュザード様」
ファラムルの平原で聞いたのと同じ、凪いだ海のように静かな声。
「この目障りな者共を始末するのだ!」
「……仰せのままに」
黒衣を揺らして頷く仕草をしたセアルグは、ヒュザードと抱き合うようにして右手を動かした。一瞬、彼が何をしたのか誰も分からなかった。
「がぁっ、なっ、な、にを、すっ」
ヒュザード手から王の証が滑り落ち、口から赤い血と呻き声が零れる。ライカとディーの顔から笑みが消えた。セアルグは己の雇い主を刺したのだ。何の躊躇いもなく。
レヴァイアが眼でどういうことだと訊いてくる。しかし、ライカにもセアルグの行動が理解出来ず、眼を伏せて微かに首を振ることしか出来ない。
「一番目障りなのはお前だよ」
淡々とそう言って、セアルグはヒュザードの胸に埋まった剣を引き抜いた。鮮血が近くにいた兵士の鎧に飛び散る。ヒュザードが倒れると、見る間に床に血溜まりが作られていった。
「ぐふぅっ! こっ、この、う、らぎ、り、も――」
セアルグの黒衣の裾を掴もうと血塗れの手を伸ばすヒュザード。だが、その目的を遂げる前に、夢を叶えた老人は命の終わりを迎えた。皺だらけの手が、とさりと床に落ちる。
「俺はお前の味方だったことなど一度もない。ロウジュ」
「ああ」
セアルグが名を呼んだ次の瞬間、彼の隣に黒髪の男が姿を現す。その男の紫の瞳を見て、ゼフマーが「あっ」と声を上げた。
「後は頼む」
「分かった」
黒髪の男、ロウジュは頷くのと同時に真横に短剣を放った。短剣は壁際で震えながら逃げ出す機会を窺っていた宰相の喉に突き刺さる。
「うぐぅ、かはぁっ」
宰相ハージン・クルツは喉から血を垂らしながら絶命した。ロウジュはその死を見届けることなく、近くにいた兵士から順に刃を向けた。一対多数ではあるが、その力の差は歴然で、兵士たちは剣を交えることすらなく赤い血を流して倒れていく。むせかえるような濃い血の匂い。聖宣の間にはもはや厳かな空気など微塵も残ってなどいなかった。
「お前ら! ぼうっとしてないで王たちを守りながら下がれ! こんな狭い部屋じゃ殺してくれって言ってるようなもんだわ!」
「は、はっ!」
ディーの声で、兵士が部屋の隅に下がっていた三国の王の許へ駆け出す。しかし、それよりもロウジュの方が早かった。
「憎き王ども、死ね」
何の感情も篭っていない声でそう言うと、ロウジュはレヴァイアに向かって短剣を振り下ろした。
「陛下っ!」




