3話 戦の護
「姫様、本日は騎士団長様方から定期報告を受ける日でございます」
ここはローディス国国王、レヴァイア・ローディスの住まう城。その広大な城の中にいくつもある庭園の一つ。限られた人間しか立ち入ることの出来ない、フェリシアお気に入りの場所だ。読書が好きな彼女は天気のいい日はよくここで本を読んでいる。
フェリシア・ローディス。ローディス国第一王女である彼女には、王女以外にもう一つ呼び名があった。
『戦の護』
それがフェリシアがこの世に生を受けたときから与えられたもう一つの名前だ。『戦の護』はこの国の騎士が忠誠を誓う存在。代々の『戦の護』は王女と定められており、当代の『護』がその生を終えた後、一番最初に生まれた王女が次代の『護』となる。そして『護』は生涯婚姻することが許されず、子を成すことができない。
「わかってるわ。でもまだ半刻は先でしょう?」
フェリシアは読んでいた本から顔を上げて、顔にかかった黄金色の髪を後ろに撫でつけた。宝石のような蒼い瞳が太陽の光を受けてきらきらと輝いている。ライカは小さく溜息をつくと、フェリシアのすぐ傍にまで近づいた。
「はい。ですが、騎士の間に向かう前に姫様には着替えていただかなければなりませんので」
「別にいいじゃないの、これで」
今着ている薔薇の刺繍が施された真紅のドレスをつまんで、フェリシアは不満げに頬を膨らませる。その顔はこれ以上ないほど魅力的だったが、日頃から見慣れているライカが動じることはない。彼女はフェリシアの意見をあっさりと却下した。
「駄目、でございます」
「そうですよー、姫様。お部屋に新しいドレスを用意してありますから、早く行きましょうですー」
侍女の服を着た茶色の髪と眼をした少女が、ライカの後ろからひょっこり顔を覗かせる。屈託のない笑顔がなんとも可愛らしい。
少女の名はマール。彼女は五年前に城下で、双子の弟のキールと奴隷商人に連れて行かれそうになったところを、たまたま目撃したライカによって助けられた。両親を幼いときになくしており、犯罪まがいのことをして生きてきた彼女たちを、ライカは保護し、真っ当な生活ができるよう力を貸した。手助けしたことに深い理由はない。ただ、何となく放っておけなかっただけだ。二人だけでも生活が出来るようになると、ライカは手助けすることを止め、双子との接触を断つつもりだった。しかし、二人は恩返しがしたいとかなり強引にライカにせまった。頭を悩ませた彼女がフェリシアに相談すると、あっさりと侍女になることを許可したのだ。
当たり前だがキールは侍女になることができないため、城下にある宿屋で何でも屋の仕事をしながら、過去に培った、犯罪まがいのあまり褒められたものではない能力を駆使し、ライカのために城下の様々な情報を集めている。
ちなみに、二人を連れ去ろうとした奴隷商人は、全員が捕まり一生を檻の中で過ごすことが決まっている。
「姫、早ク行ッタ方ガ良イノデハナイカ?」
フェリシアの座っている椅子の後ろから、人間のものとは違う声がした。低い声だが恐ろしさは感じられない。姿を現したのは、一般的なものより一回り大きな姿をした深緑色の狼。もちろんただの狼ではない。王都の南東に位置する、原初の森と呼ばれる森に住む地の民だ。彼らはみな知能が高く、人語を話すことができ、寿命は二百年から三百年と人間よりも遥かに長い刻を生きる。何故森に住んでいるはずの地の民がこんなところにいるのかといえば……彼が変わり者だからだというほかない。
「マールに続いてエルまで! もう、皆して冷たいわね」
フェリシアはきっ、とエルを睨むが、彼はどこ吹く風だ。立派な尻尾をぱたぱたと揺らして庭園の奥へと去って行った。
「さ、姫様。お部屋へお戻りください」
「わかった、わかりました。全く、私は一応貴方たちの主なのよ? もう少し私の意見を尊重しなさい」
ようやくフェリシアは椅子から立ち上った。部屋に向かって歩き出したものの、納得がいかないらしく後ろに付き従うライカとマールにぶつぶつ文句を言い始めた。しかし、ライカもマールも慣れきっているので、それぞれ無表情と笑顔で軽く受け流す。文句を言うのは信頼しているからこそなのだと、二人ともわかっているからだ。そしてライカとマールも心からフェリシアを慕っている。
「姫様の意見は常に尊重しております。しかし、それよりも優先されるべきことが時にはあるということです」
「そうです、あるんですー」
ライカの言葉をマールが後押しする。マールはフェリシアの侍女だが、ライカの意見に賛同することがほとんどだ。
「ということですので、お部屋へ急ぎます。このままでは騎士団長様方をお待たせすることになりかねません」
「皆様お忙しい方ですからねえ」
「……まるで私が忙しくないみたいな言い方ね」
「事実です」
「騎士団長様方よりは忙しくないのは確かですよね」
「二人とも、後で覚えてなさいよ!」
廊下を早足で歩きながら話し続ける三人の姿はかなり目を引くものがあったが、幸いにして誰にも目撃されることはなかった。