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緋の扉 改訂版  作者: 緋龍
避けられない戦い
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28話 王子

 

 ――王なんてなりたい奴がなればいい。俺はそんな重荷を背負うのは御免だね。


 バルドゥク国第一王子バルディオ・ルツァ・バルドゥクは、幼いときから王の子という己の地位をこころよく思っていなかった。むしろわずらわしいとすら思っていた。

 国とは、まつりごととは、民とは。何人もの大人から、次代の王として兼ね備えておかなければならない知識とやらを教えこまれ、父親からは早く国を治められる人間になれと言われる毎日。

 うんざりだった。

 もっと自由に暮らしたい。何にも縛られずに生きたい。王になどなりたくない。

 バルディオは幾度となく城を抜け出し、民に紛れて城下を歩いた。城にいる何倍も楽しかった。王都に住む民は、高価な服や宝石を持っていなくても、数えきれないほど持っているバルディオより、何倍も輝いて見えた。誰もが順風満帆な暮らしをしているわけではない。通りの隅で酒を片手に不満を零す民を見ることも少なくなかった。だが、そんな彼らさえバルディオは羨ましいと思った。城の中で従順な仮面を被って過ごしている自分より、よほど“生きて”いた。

 父王が病に伏せると、叔父のヒュザードが王の座を狙って色々画策し始めた。バルディオはそれに気付いていたが、あえて気付かない振りをした。ヒュザードは嫌いだったが、王になりたくないという思いの方が強かった。

 重荷から解放される。自分の未来に光が見えた――ような気がした。自ら望んだものなど何一つとしてない豪華な品が溢れた自室に、幼少のときから仕えてくれている侍女が駆け込んでくるまでは。

 

「王子、大変でございます! ダリュス様が!」


 ダリュス・ディナムはバルディオの友人だった。彼は侯爵家の長男でありながら、王子のバルディオに媚びへつらうことなく接してくれた。最初は警戒していたが、変わらないダリュスの態度に、いつしかバルディオは仮面を外して話すようになった。一緒に王都を馬で駆け、獣を狩ったりした。二人で鍛錬するうちに剣の腕も上達した。

 自由になりたいと言ったバルディオに、ダリュスは「逃げるのは卑怯だ! お前にはこのバルドゥクを、誰もが幸せに暮らせる良い国にする責任がある!」と本気で怒鳴ってきた。そのあと殴り合いの大喧嘩になったが、同時に地面に倒れたあとは不思議と気持ちが軽くなった。王になりたくない気持ちは変わらなかったけれども。

 ヒュザードが王位を手に入れようと暗躍し始めたとき、ダリュスは率先して王子派なるものをつくり、王弟の悪行を暴こうと奔走した。いくら放っておけばいいと言っても聞かなかった。バルディオが持っていない、あるいは持とうとしなかった、真っ直ぐな正義の心と信念を彼は持っていた。

 だが、それが災いした。侍女が息を切らせて持ってきた知らせは、彼が落馬して死亡したというものだった。バルディオは城を飛び出し、無我夢中で馬を走らせた。

 馬の扱いに長けたダリュスが落馬など絶対にあり得ない。しかし、それをどうやって証明する? 何の証拠もなしにダリュスの死は謀られたものだといったところで、誰も信用しないだろう。王子という地位にありながら、あまりにもバルディオは無力だった。


「すまない……ダリュス」


 二人並んで地平線に沈みゆく夕陽を眺めた丘の上で、バルディオは強く拳を握りしめた。

 絶え間なく星が瞬く、泣きたくなるほど美しい夜だった。

 夜の闇が朝の光に変わるころ、ようやくバルディオは馬を王都へと向けた。具体的な何かを思いついたわけではない。だが、何かをしなくてはと思った。

 しかし、城に戻ることは叶わなかった。王都のいたるところで怪しげな連中がうろついていたのだ。ヒュザードの息がかかった者だと直感し、危険を感じて他国に逃れようとしていた民に紛れ、バルディオは王都を出た。

 複雑な思いを抱えたまま、バルドゥクとの国境沿いにあるローディスの町、ファラムルに着いたバルディオは、他国の民に優しく接してくれるローディスの人々の心の広さに胸を打たれた。

 住民も兵士も騎士も、誰一人としてバルドゥクの人間を厄介者扱いしなかった。困ったことがあれば言ってくれと声をかけてくれた。ファラムルの住民と酒場で言い争いになっても、駆けつけた兵士は一方的にバルドゥクの人間に非があると決めつけたりせず、両者から平等に話を聞いてくれた。

 ローディスは、ダリュスが言った“誰もが幸せに暮らせる良い国”だった。あんなに輝いていると思った王都の民が色褪せて見えた。

 バルディオには見えていなかったものが、ダリュスには見えていたのだ。だから悪評の絶えないヒュザードを王にさせまいとした。自分に王になれと何度も言ってきた。

 ようやく気付いた。だが、唯一無二だった友はもういない。


「俺、王になるわ。それがお前にしてやれるせめてもの弔いだから」


 異国の地でバルディオは今は亡き友に誓った。

 父王が逝去すると王都に戻り、下働きとして城に潜り込んだ。ダリュスが築いた王子派の貴族や、信用できると判断した城の使用人と密かに連絡を取り、戴冠式を前にすでに王のように振舞っているヒュザードを城から追放する機会を待った。

 一番いいのは戴冠式で他の三国の王に、自分が正当な王位継承者だと名乗りでること。聖宣の間には王と宰相しか入れないため、余計な人間がおらず邪魔が入ることはない。しかし、その分周囲の警備は厳重で容易に近づくことができないことが問題だった。

 他の方法を考えるべきか悩んでいると、ローディスの騎士が捕らえられたと、協力者の一人の兵士が告げてきた。ヒュザードがその騎士を利用してローディスに攻め入る計画を立てていると言うのだ。

 ローディスに宣戦布告するのであれば、戴冠式の日を措いて他はないだろう。証拠として捕らえた騎士も見せるに違いない。となれば、必然的に兵士も聖宣の間に入ることになる。

 これを利用しない手はない。

 厩舎で飼い葉の中に隠した武器の点検をしているとき、不思議な雰囲気を持つ美しい女に会った。

 侍女をしていると言うが、こちらを探る眼はとても冷静で、ただ者とは思えなかった。しかし、悪い人間には見えず、バルディオは彼女に「ローディスの騎士が地下牢に囚われている」と耳打ちした。


 そして迎えた運命の日。バルディオは、自分が描いた筋書とは少し違う形で聖宣の間にいた。

 


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