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緋の扉 改訂版  作者: 緋龍
避けられない戦い
25/36

25話 戸惑い

『城ノ最モ西ニ人間ノ像ガアル。男ハ像ノ中ニ。土ト水、ソレニ汗ト血ノ匂イガシタ』


 翌日の夕暮れ前、ライカは再び厩舎に向かっていた。頭の中にあるのは昨夜眠る間際にエルが言ったことだ。像の中に入っていったということは、そこに隠し通路があるのだろう。それ自体は特に驚くことではない。どこの城にも隠し通路の一つや二つは必ず作られている。あって当然のもの。

 気になるのは、通路から血の匂いがしたとエルが言ったことだ。

  

 (城内のどこに繋がっているのでしょうか) 


「こんにちは」


 確かめたいという気持ちを抑え、ライカは馬に飼葉を与えている男に声をかけた。


「侍女さん、また来たの? そんなに馬好きには見えないんだけどねえ」


「これを返しに参りました」


 ライカがカンテラを差し出すと、男は目を丸くして大げさに身体をのけ反らせた。


「こんなものを、わざわざ? 不審者の俺に?」


「貴方は不審者なのですか?」


 確かに不審者だとは思うが、自ら宣言する人間も珍しい。今度はライカが驚く番だった。


「さあね。でも清廉潔白な青年だと言うつもりはないよ」


 持っていた飼葉を全て馬に与え終えた男は、そう言ってにやりと笑った。悪戯いたずら好きの少年のような笑い方だが、不思議と男には似合っていた。


「青年?」


「ちょっと、そこに引っ掛かりを覚えるのやめてくれない? これでもまだ若いつもりなんだから」


 訊き返すと、男は腰に手を当てて頬を膨らませた。その表情が可笑しくて、ライカの口から笑みが零れる。


「失礼致しました。ご不快に思われたのならお詫び致します――青年の不審者様」 


「棘のある呼び方だねえ、ってそういえば名乗ってなかったっけ。俺のことはディーって呼んでくれればいいよ」


 傍で飼葉をんでいる栗毛の馬の顔を、ディーと名乗った男は優しく撫でる。


「私はライカと申します、ディー様」


 こうべを垂れ、ライカも名乗った。


「いやいや、俺馬の世話係だから。様とかいらないから」


「――畏まりました、ディーさん」


「うーん、それもしっくりこないなあ。呼び捨てにしてよ」


「それは……」


 ディーの正体に心当たりがある、というよりほとんど確信を抱いているのだ。さすがに呼び捨ては抵抗がある。しかし、ディーは拒否を許さなかった。ライカの両肩をがっちりと掴み「いいじゃないの、ね、ほら言ってみて」と迫ってくる。言うまで放さないつもりらしい。まさか力ずくで彼の手を退けるわけにもいかず、ふぅ、と息を吐くとライカは小さな声でその名を呼んだ。


「……ディー」


「はい、よく出来ました。ご褒美にいいことを教えてあげるわ」


 ディーはにっこり笑うとライカの耳元に顔を近づけ、口早に囁いた。


「えっ?」


「じゃあ俺は他に仕事あるから」


「お待ち下さい!」


 咄嗟にディーの腕を掴もうと手を伸ばす。しかし、ほんの少しだけライカの手は届かなかった。


「……渡しそびれてしまいました」


 伸ばした方と反対の手には、返すはずだったカンテラが握られていた。 



「な、に……」


 ダレスの口から絶望の色に染まった言葉が零れる。

 レヴァイアは今、ヴィアン=オルガ、リムストリア両国の王と、塔の最上階の部屋で会談していた。部屋の前には各国の近衛兵が直立不動で並んでおり、他者の入り込む余地はない。誰かが空から降ってでもこない限り彼らの身に危険が及ぶことはないだろう。    

 そう判断したダレスは、セデアニーアの外にいる騎士から情報を得るため、塔の裏手の人目につかない場所で姫鳥の到着を待っていた。

 表情は普段通りでも、心の中には不安と焦りが入り混じっていた。戴冠式は明日。であるのにセアルグの考えは、ようとして知れないまま。さらに加えて、騎士の消息まで不明となれば、いかな冷静沈着な人間でも焦らざるを得ない。

 だが、冷静さを失えば見えるものも見えなくなってしまう。ダレスは首を振り、髪を掻き上げようと組んでいた腕を頭に持っていこうとして――固まった。

 ダレスがいる場所と同じく塔の裏手にある厩舎、そこにライカがいた。いや、彼女が厩舎にいるのは別に構わない。問題は見知らぬ男と話していることだ。声は聞こえなくとも和やかな雰囲気であることが、二人の表情から伝わってくる。

 ダレスは込み上げてくる感情のままに二人に近づこうとした。が、また彼の動きが止まる。ライカが笑ったのだ。彼女が自分以外の異性に笑みを向けている。信じられなかった。信じたくなかった。知らず拳を固く握りしめる。てのひらに爪が深くくい込んだが、痛みは全く感じなかった。

 信じられない光景はそれで終わらなかった。あろうことか、男はライカの頬に口づけを落とした。実際には違うのだが、ダレスにはそう見えた。

 漆黒の色を持つ騎士団長は、己の身体に絶望が満ちていくのを感じた。  


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