19話 バルドゥクの英雄
城を出立して五日目の朝、二つある国境の町のうち、北のファラムルではなく南にあるダクバで一夜を明かした一行は、ついにバルドゥクに入国した。町から少し離れたところにある国境砦には、バルドゥクの兵士が礼装で待ち構えており、王都までの案内及び世話役として一行を出迎えた。
一番立派な衣装を身に纏った金髪の壮年の男が、レヴァイアの乗る馬車に近づいてくる。
「ローディス国王レヴァイア陛下、バルドゥクにようこそお越し下さいました。私はバルドゥク国軍特務部隊隊長ダジュニ・ザハーノと申します。王都セデアニーアまで、陛下をご案内する任を仰せつかっております。どうぞお見知りおきを」
「バルドゥクの英雄殿か。よろしく頼む」
レヴァイアが姿は見せずに声だけを返すと、ザハーノは踵を鳴らして馬車から離れていった。
礼装の兵士はザハーノを入れて四人。他国の王を案内するには少な過ぎる人数だ。国内が混乱しているせいなのか、レヴァイアが兵を大勢連れてくることを見越してなのか、それとも何か思惑があるのか。後方の馬車の中から外の様子を窺がっていたライカは、美しい顔をわずかに顰めて窓から顔を離した。
列の先頭がローディス兵からバルドゥク兵に変わり、止まっていた馬車が一度大きく揺れゆっくりと動き出す。砦の上空では第二騎士が操る翼竜が、辺りを警戒するように翼をはためかせて旋回していた。
セデアニーアまで五日、戴冠式は八日後。予定では二十日後には、再びローディスの地を踏むことが出来る。何事もなく全てが滞りなく進めば、だが。
「セアルグが何か仕掛けてくるとすれば……」
待ち伏せ、奇襲、事故を装った罠。いくつもの手段が頭に浮かぶが、そのどれもが違う気がした。何より彼が標的にしている対象が分からないのだ。ローディスに復讐するという彼の言葉、あれは何を、もしくは誰を指しているのか。一番可能性が高いのは王であるレヴァイアだとライカは考え、同道を申し出たのだが、これは正しい判断だったのだろうか。
本人に聞く以外に正しい答は得られない。そうと分かってはいてもライカは思考の海にその身を浸し続けた。
ライカやダレス、エルが警戒するなか、一行は順調に予定通り王都までの距離を縮めていくことが出来た。一日だけ雨に降られたが、それ以外は獣の群れに遭遇することも、野盗や盗賊の類に襲われることもなく、拍子抜けするほど穏やかな道程。
自分たちは危機になど晒されていないのではないかとさえ思いかけた。
もちろん気を緩めるような迂闊な真似は誰もしなかったが。
だが、あと一日で王都に着くという、バルドゥク国に入って四日目の夜に、事件は起こった。
「侍女殿、少しいいだろうか」
「何でございましょう、ザハーノ様」
王都の手前にあるキュリオンという大きな町。それを治める侯爵の館にレヴァイアたちは宿泊していた。城と呼んでもいいほどの広大な館。ぼんやりと歩いていれば迷いそうなほど、部屋数も多く、似たような扉がずらりと並んでいた。
窓から月光が差し込む仄かに明るい廊下で、ライカはバルドゥクの特務部隊隊長に呼び止められた。
「その、あまりこのようなことは言いたくないのだが」
ザハーノはそこまで言うと、気難しい顔を顰めて口を閉ざした。
彼は三十年前に起きた、北方の国ヴィアン=オルガとの戦で、最も活躍した人物の一人として有名だった。当時まだ生まれていなかったライカも名前だけは知っていた。
バルドゥクの民からは英雄として慕われ、ヴィアン=オルガの民からは殺戮者として恐れられた人物。単身敵陣に斬り込む勇敢さと、その圧倒的な強さは、三十年経った今なおバルドゥクの民の間で語り草になっているという。
五十を過ぎているはずだが、隊長という地位を任されているからには、いまだ腕は衰えていないのだろう。
「どうかなさいましたか?」
剣の柄にかけられた、少し皺のある大きな手にはいくつもの傷跡があった。古い傷もあったが、中には最近のものとみられる傷もある。鍛練のときに出来たのか、誰かと斬り合ったときに出来たのか。
「……侯爵には近づかぬよう」
ライカがザハーノを何気なく観察していると、ようやく彼は閉ざしていた口を開いた。苦いものを吐き出すような口調だ。
彼の言う侯爵とは、当然この館の主のことだろう。世話になるという挨拶の際に、少しだけ顔を見たが、肥え太り脂ぎった、優雅や優美とは程遠い人間だった。端的に言えば、醜い。
「申し訳ございませんザハーノ様。それはどういう意味でございましょうか」
向こうはバルドゥクの貴族で、こちらはローディス王付きの侍女。直接話すことなど、普通はあり得ない。にも拘らず、彼は近づくなと言う。
侯爵に危害を加えるつもりなど毛頭ないが、まさか自分の正体を知られたのだろうか。ライカは気取れぬよう、何気ない仕草を装って腰の後ろに手を回した。指先が硬く冷たいものに触れる。
「あの男は――」
ザハーノの言葉がそれ以上続くことはなかった。




