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緋の扉 改訂版  作者: 緋龍
避けられない戦い
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18話 丘の上

 野営地を離れ、ライカとダレスはすぐ傍にある小高い丘の上にやってきた。頭上には満天の星が瞬き、眼下には点々と揺らめく篝火の灯り。軽やかな虫の音が聞こえてくる、心静まる穏やかな夜。


「奴らは我々がバルドゥクの王都セデアニーアに着くまでの間に、何か仕掛けてくると思うか」


 少し前を歩くダレスが口を開く。並んで歩くことはない。それがつまり、ダレスとライカの間にある距離だった。遠くはないが、手を伸ばしても届かないほどには離れた距離。


「そうですね、近衛兵も騎士もおりますが、警備には限界がありますから。私ならばこの移動中を狙います。ですが……」


「何だ?」


 後ろにいるライカは必然的にダレスの背中を見ることになる。騎士団長の名を背負うに相応しい、鍛えられた広い背中。ファラムルの平原で彼の背に庇われたとき、ライカは確かな安心感を感じた。自分は護られるような人間ではないというのに。


「いま申し上げたのは、セアルグが陛下のみを狙っている場合です。彼の考えが分からない以上、あらゆる可能性を考慮するべきかと」


「そうだな。奴の行動が読めればいいのだが」


 これ以上進めば視界から野営地が消えるというところまで来て、ダレスは足を止めた。振り向いてライカの方を向く。


「『闇』の人間が行動を起こすときは、必ず複数の手段を用意します。失敗してもすぐ次に移れるように。もしかすると、バルドゥク王の逝去は、ファラムルにいる難民を虐殺する計画の“次の手”なのかもしれません」


 少しの不備が命取りになる『闇』の任務では、策を何重にも練ることは必然だった。それが出来ない人間は死ぬ。生き延びるためには、まず自分が死なない作戦を立てることだと、ライカはセアルグに教えられた。


 (そして、いざというときには……)


「難民の虐殺の次の手が王の暗殺だというのか。共通性がないように思うが、何か根拠があるのか」


「……いえ、単なる憶測です。申し訳ございません、確固たる証拠もなしに口にするべきではありませんでした」


 ライカは一度首を振って頭を垂れた。


「謝る必要はない。……ところで、腕の傷はもういいのか」


 これ以上セアルグの話を続けたくないと思ったのか、ダレスは話題を変えた。

 空を見上げるライカの銀の髪が、風でふわりと舞い上がる。


「はい、もう何の支障もありません。それほど深く斬られてはいませんでしたので」


 手で髪を押さえてライカはダレスを見た。何気ない仕草。だが、ダレスの心臓はどくんと大きな音を立てた。


「そうか……」


 辺りには誰の姿もない。二人きりの空間。城にいるときにはまずあり得ないこの状況に、ダレスは本能が囁くまま、ライカを抱きしめたいと思った。自分の腕の中に閉じ込め、二度と離したくないと。


「ライカ」


 名を呼び触れようと、離れていた彼女との距離をつめる。一歩、二歩。ダレスが足を動かす度、彼に踏まれた草が乾いた音を立てた。


「どうかなさいましたか?」


 ライカは微かに首を傾げる。しかし、ダレスは何も答えなかった。手を伸ばせば触れられるところまで近づくと足を止め、じっとライカを見つめる。吸い込まれそうなほどに深い、それでいて冬の夜空のように澄んだ黒い瞳。

 綺麗だと、ライカは思った。


「ライカ、俺は……」


 八年前の入団式で一目見て一瞬で心を奪われた。想いは褪せることなく、年を重ねるごとに強くなるばかり。団長になり直接話す機会が出来てどれほど嬉しかったことか。

 ゆっくりとダレスの手がライカの顔へと近づけられる。痛いほどに鼓動が速い。あと少しで指が頬に指が触れる。その刹那、


「王ノ傍ニ居ナクテモヨイノカ」


 すぐ傍で声がして、ダレスの動きが止まった。熱くなっていた感情が急速に冷めていく。


「どこに行っていたのですか、エル」


 狼よりも一回り大きな、人語を話す地の民。今回の一団に加わっていることはもちろん知っていたが、こうも気配なく接近されるとは。意識して辺りを警戒していたわけではないが、それでも誰かが近づけば分かったはずだ。邪魔されたことに腹を立てるべきなのか、さすが地の民だと感心するべきなのか、ダレスは複雑な心境になった。


「酒ノ匂イハ好キデハナイノデナ。コノ先ノ木ノ下デ休ンデイタノダ」


 ふさふさの尾を振りながら話すエルの機嫌はかなり良さそうだ。


「そうですか。陛下が話し相手がいなくなったと嘆いておられました」


 フェリシアは冗談で言ったのだが、レヴァイアは話し相手としてエルを大層気に入ったようで、昨晩は遅くまで付き合わされたらしい。王都に戻った後も私の傍にいないかと言われたと、欠伸をしながらエルが告げてきた。そして、伏せた体を丸めながら、否と答えたとも。


「仕方ナイ、ソロソロ戻ルトシヨウ」


 エルは一度鼻を鳴らすと、ライカたちに背を向けて歩き出した。


「お願いします。そういえば、どうして気配を消して近づいてきたのですか? 少し驚きました」


 去っていくエルに向かってライカが訊ねる。地の民である彼が人間よりも完璧に気配を消せることは知っていたが、何故今そうしたのかが分からなかった。気配を殺す理由が彼にはあったのだろうか。

 そう思って訊いたのだが、足を止め顔だけ振り返ったエルの答えは、ライカの首を傾げさせ、ダレスの身体を硬直させるものだった。


「フム……邪魔ヲシテハ悪イト思ッタノダ」


 人間よりも遥かに寿命の長い地の民は、やはり機嫌良さそうに尾を揺らしながら去っていった。  

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